前回は「山口多聞第二航空戦隊司令官の熱意〜噛み合わぬ山本長官と南雲長官の関係・海軍兵学校の先輩と後輩と・詰め寄る山口司令官〜」の話でした。
山口司令官に押される山本長官:正規空母六隻へ
山口が
そこまでいうなら・・・
山口多聞司令官の熱意、というよりも強情に折れてしまった山本長官。
山口の
気持ちも分かる・・・
山本長官は、山口の気持ちを理解していました。
我々が足手まといであったら、
攻撃後に我々を太平洋でほったらかしにしてくれ!
とにかく、
なんとか我々も参加させてくれ!
・・・・・
軍令部を押し切った山本は、今度は山口に押し切られます。
分かった!
山口!
お前も一緒に真珠湾へ
行ってもらおう!
よし!
やるぞっ!
海軍兵学校卒業期 | 名前 | 役職 |
28 | 永野 修身 | 軍令部総長 |
31 | 及川 古志郎 | 海軍大臣 |
32 | 山本 五十六 | 連合艦隊司令長官 |
36 | 南雲 忠一 | 第一航空艦隊司令長官 |
39 | 伊藤 整一 | 軍令部次長 |
40 | 山口 多聞 | 第二航空戦隊司令官 |
41 | 草鹿 龍之介 | 第一航空艦隊参謀長 |
山本は一度決定した「空母四隻」から「空母六隻」への増強を軍令部へ伝えます。
奇襲部隊の空母は、
四隻から六隻にします!
本来、作戦指導する軍令部。
これでは、逆になってしまいました。
第一航空戦隊(南雲司令長官直卒):空母 赤城・加賀
第二航空戦隊(山口司令官) :空母 飛龍・蒼龍
第五航空戦隊(原司令官) :空母 翔鶴・瑞鶴
本来は、軍令部が連合艦隊に作戦指導するのが日本海軍の仕組みです。
作戦指導に関しては、軍令部が主であり、連合艦隊は従であったのでした。
海軍:軍政・人事・兵站
軍令部:軍令・作戦計画
連合艦隊:作戦計画の実行
完全に「主客転倒した状況」となりました。
追認する軍令部:困惑する伊藤次長
困った、伊藤軍令部次長。
はぁ・・・
六隻ですか・・・
山本さんは
強引すぎる・・・
この状況では、もはや山本長官が全ての責任と権限を持ったかの状況です。
「空母六隻案」案への作戦変更も承認されます。
「承認」というより「追認」でした。
連合艦隊の旗艦は、まもなく完成する戦艦大和の予定です。
日本の最重要艦隊はこの時点では、精神的には戦艦大和です。
そして、航空戦に移行しつつある中、最も重要な正規空母を、ほぼ全て投入する作戦となります。
山本司令長官は思います。
まさに
乾坤一擲の奇襲作戦だ!
当時、世界最強の米海軍に対して、海軍力を比較すると世界2位の日本。
米国は、太平洋と大西洋に部隊を分ける必要がありました。
対して、日本も太平洋とインド洋・南洋に艦隊を分ける必要があります。
そして、戦艦の数は米海軍に負けていても、航空戦の空母の数のみは日本海軍が米海軍を上回っていました。
世界最強艦隊誕生:「空母機動部隊の生みの親」小沢治三郎長官
「空母機動部隊の生みの親」と言われる小沢治三郎 南遣艦隊司令長官。
小沢もまた、賛成します。
兵力は集中運用が基本で、分散させるよりも集中させる方が合理的です。
もともと小沢は、その思想でした。
空母は分散させず、
数隻をまとめ戦力を集中すべし!
海軍の主戦力は
航空機・空母になる!
伊藤軍令部次長は、もはや全ての作戦を「追認する」しかありません。
これでは、
軍令部の存在意義がなくなるが・・・
海軍全体が、
山本長官に
任せた!
状況となりました。
最終的に、主力の正規空母六隻を中心とする超強力なハワイ真珠湾攻撃部隊が編成されました。
作戦計画は決まりました。
大変危険で、
色々とあった・・・
だが、この最強部隊なら
米太平洋艦隊を完膚なきまで叩けるだろう!
ここで人事、つまり奇襲部隊を率いる司令長官が問題となります。
作戦に関する最高意思決定者は、永野軍令部総長でした。
それに対して、人事の最高意思決定者は及川古志郎 海軍大臣でした。
私が海軍軍人の
人事権を握っています・・・
作戦が決定したものの、今度は人事で一悶着します。
次回は上記リンクです。