「勅許取得」を最優先していた井伊直弼〜アロー戦争を利用するハリス・「日本の兄貴分」清国の大惨敗・「どうしようもない時」の解釈と「日本的曖昧さ」〜|井伊直弼14・能力・人物像・エピソード

前回は「将軍継嗣問題を強行した「徳川幕府の守護神」井伊直弼〜「幕府切っての秀才」岩瀬忠震・進まぬ交渉にイラつくハリス・「座り込み戦術」の岩倉たちと弱腰の幕府〜」の話でした。

井伊直弼(Wikipedia)
目次

アロー戦争を利用するハリス:「日本の兄貴分」清国の大惨敗

アロー戦争(Wikipedia)

当時、清国(中国)と大英帝国中心とする欧米との間で勃発したアロー戦争。

近代兵器を有する欧米列強に対し、清軍は瞬く間に押されます。

そして、屈辱的な内容を含む天津条約を押しつけられた清国。

古来から日本と関係を持ってきた清国(中国)は、当時は人口もGDPも世界一でした。

いわば、日本にとって「兄貴分」である清国が欧米列強に粉砕されてしまったのでした。

Townsend Harris駐日米大使(Wikipedia)
Harris

Japanも隣国Chinaのことは、
大いに関心があるはずだ・・・

Harris

そもそもChinaは、Japanの
兄貴分的存在だ・・・

Harris

そのChinaが、Great Britainに
ここまでやられた事実・・・

Harris

「我がUSがJapanを
Great Britainから守ってやる」と言ってやろう!

そう考えたハリス。

「勅許取得」を最優先していた井伊直弼

目付 岩瀬忠震(Wikipedia)

交渉相手である、目付の岩瀬忠震にハリスは話しかけました。

Harris

Iwaseさん・・・
Great BritainとChinaのことは知っていますね・・・

岩瀬忠震

それは
もちろんです!

Harris

今、Great Britainの大艦隊が
Chinaにいます・・・

Harris

そのGreat Britainの大艦隊が
Japanに来たら、どうしますか?

岩瀬忠震

そ、そんなことが
あるのですか?

非常に頭脳明晰で、各国事情に通じていた岩瀬。

岩瀬忠震

確かに
それはありえる・・・

岩瀬は「ありうる」と考えました。

Harris

そこで、もしGreat Britainが
武力を背景に、Japanに不利な条約を求めたら・・・

Harris

我がUSが、
間に入りましょう。

岩瀬忠震

それは
有難いですな!

大老 井伊直弼(Wikipedia)
井伊直弼

やはり、勅許は
得なければならん!

この前に、江戸城で井伊直弼大老と打ち合わせした岩瀬。

元々は優秀な頭脳を持ち、開国派だった井伊直弼。

井伊直弼

開国はすべきだが、
天皇とは良い関係でゆきたい・・・

岩瀬忠震

井伊大老。
引き伸ばしは難しいです。

井伊直弼

しかし、勅許は
得なければならん!

井伊大老は、「きちんとした手続きを」と考えていたのです。

岩瀬忠震

しかし・・・
すでにある程度引き延ばしており・・・

岩瀬忠震

これ以上引き伸ばしは、
難しいかと・・・

上司であり絶対権力舎である井伊大老には逆らえないものの、

岩瀬忠震

孝明天皇が考えを
変える可能性は0%だ・・・

こう考えた岩瀬は、

岩瀬忠震

ハリスを、これ以上
怒らせたら大変だ・・・

岩瀬忠震

ここは、
どうするか・・・

頭脳明晰であった岩瀬は、必死に打開策を考えました。

「どうしようもない時」の解釈と「日本的曖昧さ」

攘夷派vs開国派(歴史道 vol.6 朝日新聞出版)

この時は「開国派」と「攘夷派」の間で深刻な対立がありました。

「頑迷な守旧派」と誤解されがちな井伊大老は、実は「開国派」の急先鋒だったのでした。

ここで岩瀬は、

岩瀬忠震

流石に外国との折衝上、
これ以上「引き伸ばし」は不可能・・・

こう考え、「井伊大老の言質」を取ろうと考えました。

岩瀬忠震

井伊大老のお考えは、
分かりました・・・

岩瀬忠震

しかし、「どうしようもない時」は、
締結に踏み切って良いでしょうか?

井伊直弼

どうしようも
ない時・・・

井伊直弼

確かに、
今は国内外で何が起きてもおかしくない・・・

井伊直弼

「やむを得ない時」は、
仕方あるまい・・・

「どうしようもない時」の判断は、個々によります。

後に「ハリスとの日米修好通商条約を強行した」と言われる大老 井伊直弼。

しっかり国学を学び、教養ある井伊大老。

井伊直弼

だが、とにかく
踏ん張って、引き延ばすのだ!

井伊大老は「勅許獲得」という、きちんとしたステップを踏もうと努力していました。

一橋派vs南紀派(歴史人 幕末維新の真実 KKベストセラーズ)

第十四代将軍将軍決定において、明確な「南紀派」だった井伊大老。

ところが、日本古来の文化・歴史を学ぶ「国学を尊重する」立場としては、一橋派だったのです。

この点において、井伊大老は「両方の立場を理解する」人間であり、微妙な立場でもありました。

井伊直弼

「やむを得ない時」は、
本当に「やむを得ない時」だ!

その中、井伊とハリスの間に挟まれた岩瀬外国奉行は、

岩瀬忠震

私が「やむを得ない」判断したら、
「条約締結して良い」と言質を得た・・・

「自分に任された」と理解しました。

ハッキリした欧米では、あまり見受けられない「日本的な曖昧さ」が表面化した瞬間でした。

そして、この日本的な曖昧さが、のちに大きな禍根を残します。

次回は上記リンクです。

新歴史紀行

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