前回は「排除された忍武神・滝川一益〜丹羽長秀とタッグ組んだ羽柴秀吉・織田家の分裂・「羽柴」の名前の由来・険悪だった丹羽長秀と柴田勝家〜」の話でした。
「本能寺の変」で急転した織田家重臣の運命:実権握った秀吉
「まさか」の本能寺の変で、運命が急転した織田家の重臣たち。
織田信長を
討ち取るのだ!
「本能寺の変」勃発の理由は諸説あり、未来永劫確定はしないでしょう。
いずれにしても、「天下人・織田信長」を討ち取ることに成功した明智光秀。
光秀が「天下人になりかけた」ところに、ある人物が乗り込んできました。
羽柴秀吉様が
まだ健在だぜ!
光秀を
誅殺せよ!
なんと、羽柴秀吉が中国から大返しして京へ乗り込んできました。
ま、まさか・・・
羽柴如きに・・・
明智が内心「格下に見ていた」羽柴秀吉に、思い切り足を掬われてしまい、この世から消えた明智光秀。
「織田家の今後」を話し合う清洲会議では、
信長様の後継は、
直系であるべき!
後継者は信長様嫡男
信忠様のご長男・三法師様だ!
そして、まだ3歳(数え年)の三法師を祭り上げて実権を握った秀吉。
決裂した柴田勝家と羽柴秀吉
すでに羽柴秀吉が「時勢の勢い」を背景にした、人智を超えたパワーを持っていました。
おのれ・・・
猿めが・・・
歯軋りする織田家筆頭格の柴田勝家。
本来ならば、
ワシが織田家の行く末を決めるのはずだ!
これは、柴田勝家の主張が正しかったのが現実でした。
名前 | 生年(一部諸説あり) |
織田信長 | 1534年 |
林秀貞 | 1513年 |
柴田勝家 | 1522年 |
滝川一益 | 1525年 |
明智光秀 | 1528年 |
佐久間信盛 | 1528年 |
丹羽長秀 | 1535年 |
羽柴秀吉 | 1537年 |
なんと言っても、柴田勝家は、かつて織田信長の弟信行について、信長に反旗を翻したものの、
信長様のために、
織田のために、誠心誠意働いてきた!
ずっと「織田信長ファースト」を貫き通した柴田勝家。
信長よりも12歳も年上であり、ずっと「織田家の中で重きをなし続けてきた」のが柴田勝家でした。
猿の横暴は
絶対に許せん!
柴田勝家と羽柴秀吉の関係が決裂します。
ところが、まだ冬の時期で柴田勝家の本拠地・越前からは出陣できません。
よしっ!
今だ!
まずは、滝川を
片付ける!
羽柴秀吉との死闘に向かった滝川一益
滝川一益は、当然「大の仲良し」であった柴田勝家側です。
柴田が越前から
出てこれないうちに・・・
伊勢の滝川を
叩き潰してしまおう!
伊勢において、柴田勝家方として羽柴軍と戦います。
猿めが
攻め込んできたか!
ここは、我が故郷同然の
伊勢なのだ!
猿めに負けてたまるか!
防戦せよ!
ところが、すでに往時の勢い・能力を大きく失っていた滝川一益。
智謀高き猛将・滝川一益といえど、もはや「智謀高き猛将」とは程遠い存在になっていました。
「らしくない戦い」を続けた滝川軍。
勢いが強い羽柴軍に対して、為す術もなく開城するに至ります。
う〜む・・・
猿ごときに・・・
早くから信長に仕え、秀吉の身分が低い頃に、すでに織田家の重臣だった一益。
猿なんかに、
負けた・・・
一益を下した秀吉は、北上して柴田勝家の本軍と決戦に至ります。
猿!
勝負だ!
勝家殿!
勝たせてもらいますぞ!
すでに、無力となっていた一益でした。
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