滝川一益 24〜忍武神の最期〜|評価

前回は「滝川一益 23〜排除される忍武神 2〜」の話でした。

滝川 一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

近江・賤ヶ岳で、柴田勝家と羽柴秀吉が決戦となります。

柴田 勝家と羽柴 秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

すでに時の勢いを、味方につけていた秀吉。

ノリに乗って、美濃と近江を暴れ回ります。

そして、山崎の合戦で「大返し」を見せたように、岐阜から大返しで柴田軍に挑みます。

佐久間 盛政(歴史人2016年12月号 KKベストセラーズ)

猿なんか、
敵ではないわ!

しかし、秀吉の迅速さと前田利家の寝返りにより、柴田軍は総崩れとなります。

こんなはずでは・・・

戦国最強ランクの武将・柴田勝家の戦いにしては、あまりにもあっけない負け方でした。

勝家敗死・秀吉に降参後、一益は秀吉方の武将となります。

滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

そして、最後はひっそりと消えるように1586年に亡くなります。

今回、滝川一益に関して改めて調べるうちに、彼の評価を改めました。

以前、滝川の統率能力はそれほど高くないような描き方をしました。

しかし、今回特に「神流川の戦い」を改めて調べ、考えた時、考えが変わりました。

当時の状況や戦場を鑑みて、18,000の兵を統率し北条軍と対峙しただけでも、当代一流の人物であったでしょう。

あの状況では、上杉謙信や武田信玄でも「どうしようない状況」であり、敗北・撤退するほかなかったでしょう。

信長ならば金ヶ崎のように、神の如き素早さで少人数で風のように「風のように消えて」岐阜まで戻ったかもしれません。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

信長なき織田家の宿老の一人として、これだけの大軍を率いて、精強な北条軍に向かっていった滝川一益。

彼は、戦国第一級の猛将である「忍武神」と評価を改め、滝川一益の章を終わります。

滝川一益には、また改めて、他の武将との比較や織田家再考の際に登場してもらいます。

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