前回は「滝川一益 23〜排除される忍武神 2〜」の話でした。

近江・賤ヶ岳で、柴田勝家と羽柴秀吉が決戦となります。

すでに時の勢いを、味方につけていた秀吉。
ノリに乗って、美濃と近江を暴れ回ります。
そして、山崎の合戦で「大返し」を見せたように、岐阜から大返しで柴田軍に挑みます。


猿なんか、
敵ではないわ!
しかし、秀吉の迅速さと前田利家の寝返りにより、柴田軍は総崩れとなります。



こんなはずでは・・・
戦国最強ランクの武将・柴田勝家の戦いにしては、あまりにもあっけない負け方でした。
勝家敗死・秀吉に降参後、一益は秀吉方の武将となります。


そして、最後はひっそりと消えるように1586年に亡くなります。
今回、滝川一益に関して改めて調べるうちに、彼の評価を改めました。
以前、滝川の統率能力はそれほど高くないような描き方をしました。
しかし、今回特に「神流川の戦い」を改めて調べ、考えた時、考えが変わりました。
当時の状況や戦場を鑑みて、18,000の兵を統率し北条軍と対峙しただけでも、当代一流の人物であったでしょう。
あの状況では、上杉謙信や武田信玄でも「どうしようない状況」であり、敗北・撤退するほかなかったでしょう。
信長ならば金ヶ崎のように、神の如き素早さで少人数で風のように「風のように消えて」岐阜まで戻ったかもしれません。


信長なき織田家の宿老の一人として、これだけの大軍を率いて、精強な北条軍に向かっていった滝川一益。
彼は、戦国第一級の猛将である「忍武神」と評価を改め、滝川一益の章を終わります。
滝川一益には、また改めて、他の武将との比較や織田家再考の際に登場してもらいます。