前回は「薩摩の国〜西郷・大久保たちが見た海・海外とのつながり・九州の海と世界・海と薩摩の非常に近い関係・織田信長・大友宗麟・龍造寺隆信・島津義弘〜」の話でした。
広い外洋へ続く薩摩の海:錦江湾と薩摩
広い外洋へと続く、鹿児島の海。
西郷隆盛も大久保利通も、この海を見て、遠い異国を感じたのでしょう。
西郷隆盛・大久保利通・東郷平八郎・大山巌は、同じ町内出身です。
現在は、鹿児島の中心部に位置する加冶屋町。
下加治屋町出身の西郷たちは、同じ郷中教育で育った仲です。
大山に至っては、西郷の従兄弟であり、非常に近い関係でした。
薩摩といえば桜島であり、桜島の威容は当時の西郷たちを大いに勇気づけたでしょう。
この桜島のある錦江湾こそが、薩摩の内海であり外洋への扉ともいえました。
この錦江湾を眺めた西郷は、
この海の向こうに
メリケン(米国)がある・・・
と思ったでしょう。
海の向こうには、日本の島々もたくさんありますが、「藩が国」だった当時。
薩摩に属する琉球他の島々にも、薩摩の人々は思いを馳せたでしょう。
海外と国内:薩摩の広大な領域
交通が発達した20世紀に入ると、海外は全然遠い世界ではなくなりました。
さらにインターネットが発達して「当たり前のツール」となった今、海外は間近に感じられます。
一方で、ネットなどで「写真や情報に触れるだけ」と、「現地に行ってみる」ことは全く違います。
現地に行けば、実に様々なことに触れられます。
そこに住む人々の風土や食事などの習慣、あるいは匂いなど。
それは、とても貴重な体験です。
外国等、現地に行ければ最も良いのですが、そうできなければ、色々な情報に触れるのも楽しいです。
「向こうはどんな雰囲気だろう?」と思いを馳せてみるのもまた、楽しいですし、いい経験になります。
戦国期から幕末の薩摩と外国
戦国期には、現在の大阪である堺が南蛮・ヨーロッパとの交流の拠点・窓口となっていました。
そこでは、様々な舶来品がやってきて、莫大な富をもたらしていました。
様々な物品が堺に運ばれてきましたが、やはり南蛮・中国から見て、「近い港」にものが集まります。
向こうから見て「近い」のは、なんと言っても九州です。
九州のさまざまな港では、古来から中国とさまざまな交易をしてきました。
太平洋側に面していた先進的な尾張や伊勢などでは、戦国期から
海の向こうに
南蛮がある。
と考えていたかもしれません。
地球儀を理解した信長は、そういう視野を持っていたでしょう。
一方で、秀吉や家康などの武将には、あまりそういう痕跡はありません。
太平洋側の国々も、水運があるとはいえ、やはり国内側を向いていました。
東海道の海に面する国々もまた、海外よりも美濃や近江との関係が多かったと考えられます。
長州藩・佐賀藩などの国もまた、江戸後期〜幕末にかけて、諸外国と接してきました。
織田家・豊臣家・徳川幕府以外、「諸外国と接点を持つ国・藩」もありましたが、薩摩は別格でした。
そして、「海から外洋・外国を見続けてきた」ただ一つの国・薩摩。
幕末において、薩摩のみが「飛び抜けたパワー・エネルギー」を持っていた理由。
その理由には、薩摩独特の武士層の多さ・密貿易による経済力などがあります。
それらも重大な要素ですが、「薩摩の海」が最大の「力の根源」だったのでしょう。
次回は上記リンクです。