前回は「薩摩の国と海〜広い外洋へ続く薩摩の海・錦江湾と薩摩・海外と国内・薩摩の広大な領域・戦国期から幕末の薩摩と外国〜」の話でした。
薩摩の海と島津家:島津薩摩藩と日本の歴史
戦国末期に、薩摩・島津家は急速に勃興します。
そして、江戸時代にも「加賀藩に次ぐ大藩」であり、特別な格式と立場でありました。
そして、明治維新の原動力となり、日清・日露戦争など明治以降の日本に多大な影響を与えた薩摩。
その薩摩・島津家の力の原動力こそが、「薩摩の前に広がる広大な海」だったのでした。
戦国末期には、鹿児島湾・錦江湾に広がる海を背に、北へ北へと勢力を伸ばした島津家。
戦国末期に勃興した名門島津家:四カ国の守護
元々、守護の家柄で名家であった島津家。
戦国初期〜中期には、一時的に一族間の争いなどで没落気味であった島津家。
その島津家の起源は、源頼朝による鎌倉幕府創設にまで遡ります。
すでに鎌倉幕府創設の時点で、「九州に島津あり!」の武名を轟かせていた島津家。
島津には、
薩摩・日向・大隅の三カ国の守護を任せよう!
なんと、当時9カ国あった九州の国々のうち、1/3である三カ国の守護となります。
さらに、
島津はしっかりしているので、
越前の守護も兼ねてもらおうか・・・
そして、初期には「薩摩・日向・大隅・越前四カ国の守護」を兼ねた島津氏。
なぜ、九州からはるか離れた越前の守護を島津に任せたのか。
この「頼朝の意図」は不明点が多いですが、
島津には、
京周辺の国も治めてもらおう・・・
「九州の端だから、京周辺も」ということだったかもしれません。
そのため、島津家は家柄の良さでは、織田家や上杉(長尾)家の比ではありません。
我が織田家は、
尾張守護代・織田家の三家老の家柄!
我が長尾家は、越後守護代の家柄で、
上杉家は関東管領だ!
戦国期に勃興した織田家・武田家・上杉家・毛利家・北条家などとは「比較にならぬほど良い家柄」の島津。
さらに、島津の軍は極めて精強でした。
その精強な軍隊に加え、島津四兄弟などの優れた武将たちのいた島津家。
九州全土制覇寸前から薩摩へ逆戻り:維新でほとばしらせた猛烈なパワー
戦国末期に、猛烈な勢力に拡張し、九州全土を征服する寸前まで行きました。
そこで、豊臣秀吉によって鎮圧されてしまいました。
領土は元の薩摩及び周辺に押し込められてしまいました。
島津は、
薩摩・大隅に引っ込んでなさい!
おのれ・・・
もう少しで九州制覇であったのに・・・
その後、関ヶ原の合戦から江戸時代にかけて、薩摩はその力を恐れられます。
島津・薩摩は潰して、
禍根を絶っておきたいが・・・
家康!
島津を取り潰したいなら、弓矢で来い!
奴らを叩き潰すのは、
大変な時間とエネルギーがかかる・・・
そして、日本国内においては、肥後の細川藩によって「蓋をされたように」され続けたのです。
そういう環境だからこそ、幕末維新期に、苛烈な薩摩藩士が登場したともいえます。
あたかも、戦国時代そのものを凍結したかのような薩摩藩。
戦国時代から、タイムマシンで移動してきたかのような存在でした。
そして、「日本国内で蓋をされたように」されてきた島津・薩摩藩。
だからこそ、海外に目が行き、密貿易によって莫大な富を蓄積しました。
その富と精悍な軍隊、そして西郷隆盛・大久保利通らが登場するに及んで、薩摩は歴史の表舞台に躍り出ます。
薩摩の力をば、
見せるごわす!
我が薩摩が
中心になって、新政権を樹立するのだ!
幕末まで大いに力を蓄えて、「最強の藩・国家」として登場したのでした。
薩摩の海から、遠くに「見えない海外の国々」に思いを馳せてみました。
すると、江戸期から維新期を駆け抜けた「薩摩藩士たちの思い」に少し近づけた気がしました。
その「薩摩藩士たちの熱き思い」こそ、日本史の新たなページを生み出したのです。
次回は上記リンクです。