前回は「薩摩の国」の話でした。

薩摩の海には、有名な桜島があります。
沖縄などの島を除くと、日本の最南端に位置してきた薩摩。
沖縄は戦国期を通じて「琉球」という別の国で、島津家が間接支配していました。
といっても、清国にも属しており、いわば「両属」だった琉球。

日本列島だけをみると、「端っこ」にありますが、世界地図で見ると、まさしく「世界とつながっている」のです。
戦国時代は、多くの大名がキリスト教をはじめとした南蛮文化に触れたのでした。
織田信長・大友宗麟などの一部の大名だけではなく、多くの大名が「海の向こうの世界」を知ったのでした。
日本海に面する加賀や越後などの国は、長らく交流のあった中国や朝鮮などの国との関係や影響が大きかったでしょう。

九州では、大友家をはじめとして、南蛮との交流にかなり積極的でした。

南蛮と接することは、
大いなる利益につながる。



貿易すれば、莫大な収益が生まれる。



そして、海外の最新兵器も手に入る!
薩摩・島津家もまた、「交易による莫大な利益」に目をつけました。





中国大陸や南蛮との交易は、
積極的に!



特に中国大陸との結びつきは、
どんどん深めたい!
そして、南蛮との交流は積極的に行ったのでした。
やはり拠点の薩摩からは、広い外界が見えて、ここから世界を常に意識していたと思います。

