前回は「近畿軍団長に出世した明智光秀〜明智と細川と筒井・異常な出頭人羽柴秀吉すら嫉妬した光秀・織田家の中核から軍団長になった柴田勝家と佐久間信盛〜」の話でした。
前代未聞の安土城を建築した天下人・織田信長
拠点を次々と移転した織田信長。
その生涯で三回の大きな拠点移動があり、清洲城→小牧山城→岐阜城→安土城と移転しました。
各大名で「城造り」は重要でしたが、織田家では極めて重視されていました。
それは、織田家の経済力が抜群であったことも大きな理由です。
「城」と言っても実際には「砦のような城」も多い中、織田家は大きな城をたくさん築きました。
その最たるものが安土城であり、これほど巨大で豪華絢爛たる城を築いたのは信長が最初でしょう。
この世にない
新たな城を築くのだ!
南蛮人たちが、
こんな城は(遥かに進んでいる)
我が西洋にもない・・・
当時、文化が最先端であった南蛮人がここまで言うほどの「極めて斬新で豪華」だった安土城。
この「安土城を建築」した特別なセンスこそ、信長が天下人たる要素の一つでした。
前代未聞の安土城を建築した織田信長こそが、次の天下人たる素質を最も有していました。
抜群の築城術とデザインセンス:加藤清正と藤堂高虎を凌ぐ技量
そして、足利家から織田家に移籍し、大出世した明智光秀もまた「城を築く」ことになりました。
新たな城と
街をつくるのだ!
軍事能力・政治能力が目立つ明智光秀は、築城術・街づくりにも長けていました。
後世、築城に優れた武将として加藤清正や藤堂高虎などがいます。
明智光秀は、彼らをも凌ぐ「抜群の築城術」を持っていたと考えます。
光秀がどのような過程で、この技術を身につけたのかは謎に包まれています。
織田家に仕官する前の朝倉家などにいた頃に、なんらかの城か砦の築城に関わっていたのか。
あるいは、様々見聞を広めた過程で身につけたのかもしれません。
たくさんの城を
見てきた・・・
「見聞を広める」ことによって「ある種の素養」が磨かれて、デザイン性を高まるかもしれません。
城と言っても、
砦のような規模の建築も多いが・・・
実に多くの城を、
この目で見てきたのだ。
ところが、「様々な城を見て回る」だけでは、「築城術」がどこまで向上するのか不明です。
「視察する」だけでは、築城に関する具体的技術力が磨かれるとは考えにくいです。
具体的な設計・計画は大工に任せていたとしても、縄張りには、ある程度の技術とセンスが必要です。
技術とセンスにも
磨きをかけてきたのだ!
謎に包まれている光秀の前半生の人生。
同様に、具体的な経緯は謎に包まれていますが、光秀は築城術とデザインセンスも磨き上げました。
そして、織田家で「最初に領地を拝領した」光秀は、坂本城を築きました。
未来都市を実現した明智光秀
坂本城は琵琶湖に面することもあり、非常に優美な水城というイメージで作られています。
秀吉の長浜城も、同様に琵琶湖畔に築城されました。
当時、水運が重要であったため、琵琶湖の水運を生かすために、「湖畔に築城」したのでした。
長浜城は築城当時、「湖畔に突き出していた城」という説もあります。
しかし、この坂本城は「湖畔に突き出した」というよりも「湖に建築した」とも言える城です。
水運だけでなく、
湖をデザインに取り込んだのだ!
当時他に類例が、ほとんどなかったでしょう。
キンカン頭め。
妙な才能をもっておるな。
坂本城は
優美な城よのう・・・
その独創的な芸術的センスから、光秀を「未来都市を創った男 」と呼んでも良いでしょう。
次回は上記リンクです。