前回は「昭和天皇「支那が広いなら、太平洋はなお広い」〜返答窮した杉山総長・「瀬戸際病人論」持ち出した永野総長・「手術=戦争」と「助かる」望み」の話でした。
永野「病人理論」に納得出来なかった昭和天皇:統帥権「輔翼」の統帥部

対米戦争直前の1941年9月5日、翌日の御前会議の「草案」に強い懸念示した昭和天皇。

「近衛手記」とも呼ばれる、近衛の著作が数点あります。
その一つである「平和への努力」に、当時の昭和天皇と統帥部のやりとりが緻密に記録されています。
昭和天皇日米事起らば、陸軍としては、
幾許の期間に片付ける確信ありや。



支那の奥地が広いというなら、
太平洋はなお広いではないか。



如何なる確信あって
三月と申すか。
頭脳明晰で、きちんと戦争の流れを把握していた昭和天皇。
矢継ぎ早に、鋭い質問を陸海軍統帥部の長であった、杉山参謀総長に浴びせました。



・・・・・
黙ってしまった杉山参謀総長の傍から、永野軍令部総長が割って入りました。



今日、日米の関係を
病人に例えれば、



手術をするか、しないか、の
瀬戸際に来ております。



その場合、思い切って、手術をするかどうか、
という段階であるかと考えられます。
謎の「病人理論」を突如持ち出した永野総長。



・・・・・
昭和天皇は、内心「到底承服しかねる」と考えていたはずです。



とにかく、外交に重点を
置くのだ!


「大元帥」であったはずの昭和天皇でしたが、「御前会議を承認する」立場でありました。
戦後、昭和天皇が「形式的だった御前会議」と語った話を、上記リンクでご紹介しています。
| 職名 | 役職 |
| 参謀総長 | 帝国陸軍の最高指揮権(統帥権)のトップ |
| 軍令部総長 | 帝国海軍の最高指揮権(統帥権)のトップ |
| 陸軍大臣 | 帝国陸軍の軍政のトップ |
| 海軍大臣 | 帝国海軍の軍政のトップ |
日米で、陸海軍の統治機構は類似していましたが、肝心の「トップは誰か?」が曖昧だった帝国。
| 組織 | 天皇に対する役割 |
| 内閣 | 行政権を輔弼 |
| 統帥部 | 統帥権を輔翼 |
主権を握っていた天皇に対して、内閣は行政権を「輔弼(ほひつ)する」役割でした。
そして、軍部は統帥権を「輔翼(ほよく)する」役割でした。
ここで「輔翼する」統帥部の説明に対して、全く納得出来なかった昭和天皇。
このまま、翌日の1941年9月6日の御前会議を迎えました。
明治天皇御製「四方の海 皆はらからと 思う世に・・・」詠んだ昭和天皇


この時の御前会議の模様を、戦後に「昭和天皇独白録」で昭和天皇は語っています。



翌日の会議の席上で、
原枢密院議長の質問に対し、及川が、



第一と第二とは
軽重の順序を表しているのではない。



と説明したが、
これは詭弁だ、と思う。



しかし、近衛も
五日の晩は一晩考えたらしく、



翌朝会議の前、木戸の処に
やってきて、私に会議の席上、



一同に平和で進める様
諭して貰いたい、との事であった。



それで、私は、予め明治天皇の
四方の海の御製を懐中にして、会議に臨み、



席上、これを読んだ。
これも近衛の手記に詳しく出ている。
ここで、近衛手記とともに、当時の状況を描写している「昭和天皇独白録」の注記を引用します。



翌九月六日午前十時、御前会議が
開かれた。



席上、
原枢密院議長より、





この案を見るに、外交より
むしろ戦争に重点がおかるる感あり。



政府統帥部の趣旨を、明瞭に
承りたし。



との
質問あり。
帝国は現下の急迫せる情勢、特に米、英、蘭等各国の執れる対攻勢ソ連の情勢及帝国国力の弾発性等に鑑み、「情勢の推移に伴う帝国国策要領」中南方に対する施策を下記により遂行す
一、帝国は自尊自衛を全うするため、米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に、概ね十月下旬を目途とし、戦争準備を完整す
二、帝国は右(上)に並行して、米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努む
三、前号外交交渉に依り、十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於ては、直ちに対米(英蘭)開戦を決意す
確かに、常識的な日本語能力に従い、「帝国国策遂行要領」を読めば「戦争が主」でした。
この頃の、連絡会議で帝国政府と大本営が協議した話を、上記リンクでご紹介しています。



政府を代表して、海軍大臣が答弁したが、
統帥部からは誰も発言しなかった。
「海軍大臣の答弁」とは、上の及川大臣の答弁であり、



第一と第二とは
軽重の順序を表しているのではない。
「答えになっていない」答弁でした。



然るに、陛下は突如発言
あらせられ、



只今の原枢相の質問は
まことにもっともと思う。



これに対して、統帥部が何ら答えない
のは甚だ遺憾である。



とて、懐中より
明治天皇の御製、



四方の海 皆はらからと 思う世に
など波風の 立ちさはぐらむ



を記したる紙片をお取り出しになって
これをお読み上げになり、



余は、常にこの御製を拝唱して、
故大帝の平和愛好の精神を紹述せむと勤めておるものである。



と
仰られた。
突然、御前会議において、「四方の海 皆はらからと 思う世に・・・」と昭和天皇が詠んだ事実に対し、



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!!!!!!!



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陸海軍統帥部の長たち全員は極大衝撃を受けたのでした。


