前回は「出師準備知らなかった昭和天皇〜宙に浮いていたかの様だった統帥権・直ぐ呼び出された杉山参謀総長と永野軍令部総長・昭和天皇の強い懸念〜」の話でした。
昭和天皇「支那が広いなら、太平洋はなお広い」:返答窮した杉山総長

翌日の1941年9月6日の御前会議の議案を、前日の9月5日夕方に提示された昭和天皇。
昭和天皇これでは一に戦争準備を記し、
二に外交交渉を掲げている。



なんだか戦争が主で、外交が従であるかの
如き感じを受ける。



この点について、明日の会議で統帥部の
両総長に質問したいと思うが・・・
そして、杉山参謀総長、永野軍令部総長は、直ぐに昭和天皇から呼び出しを受けました。


この時の、昭和天皇、杉山参謀総長、永野軍令部総長のやりとりを近衛文麿は詳細に記録しています。



両総長は直に参内拝謁し、
余も陪席した。



陛下は両総長に対し、
余に対しる御下問と同様の御下問あり、



両総長は、余と同じ
奉答した。



続いて、陛下は
杉山参謀総長に対し、



日米事起らば、陸軍としては、
幾許の期間に片付ける確信ありや。



と仰られ、
総長は、



南洋方面だけは、三ヶ月くらいにて
片付けるつもりであります。



と奉答した。
陛下は更に総長に向かわられ、



汝は、支那事変勃発当時の
陸相なり。



その時、陸相として、「事変は
一ヶ月くらいにて片付く」と申せしことを記憶す。



然るに、四ヵ年の長きにわたり、
未だ片付かんではないか。



と仰られ、
総長は驚懼して、



支那は奥地が開けており
予定通り作戦し得ざり・・・



事情をくどくどと
言明申し上げたところ、



陛下は御声一番、
総長に対せられ、



支那の奥地が広いというなら、
太平洋はなお広いではないか。



如何なる確信あって
三月と申すか。



と仰られ、
総長は、



・・・・・



唯頭を垂れて
答うるを得ず。
昭和天皇の「鋭過ぎる指摘」に対して、杉山参謀総長は返答に窮してしまいました。
この昭和天皇の指摘は、「言われてみれば当然」ですが、こういう切り返しを即するのは困難です。
それだけ、当時の帝国陸海軍の事情を把握し、明晰に記憶し、整理していた昭和天皇でした。
「瀬戸際病人論」持ち出した永野総長:「手術=戦争」と「助かる」望み


ここで、横で杉山総長が困っているのを、見かねた永野軍令部総長。
| 名前 | 生年 | 役職 |
| 杉山 元 | 1880 | 参謀総長 |
| 永野 修身 | 1880 | 軍令部総長 |
| 及川 古志郎 | 1883 | 海軍大臣 |
| 東條 英機 | 1884 | 陸軍大臣 |
| 近衛 文麿 | 1891 | 総理大臣 |
| 昭和天皇 | 1901 | 天皇 |
同い年だった杉山参謀総長と永野軍令部総長は、昭和天皇よりも21歳年上でした。



この時、軍令部総長
助け舟を出し、



統帥部として
大局より申し上げます。



今日、日米の関係を
病人に例えれば、



手術をするか、しないか、の
瀬戸際に来ております。
ここで、突然、独自の「日米病人論」を持ち出した永野軍令部総長。



手術をしないで、このままにしておけば、
段々衰弱してしまうところがあります。



手術をすれば、非常な危険があるが
助かる望みもないではない。



その場合、思い切って、手術をするかどうか、
という段階であるかと考えられます。
要するに、日米関係がこのままでは「大日本帝国は段々衰弱して崩壊する」と主張した永野総長。
更に、「手術=戦争」すれば、「助かる望みもないではない」という「ゼロではない」論だった永野。
なんとも分かりやすいようで、分かりにくい論理でした。



統帥部としては、
あくまで外交交渉の成立を希望しますが、



不成立の場合は、思い切って
手術をしなければならんと存じます。



この意味で、この議案に賛成致して
おるのであります。



と申し上げたところ、
陛下は重ねて、



統帥部は、今日のところ、外交に重点を
おく趣旨と解するが、その通りか。



と念を
押させられ、



その通りで
あります。



その通りで
あります。



両総長共
その通りなる旨奉答した。



・・・・・
近衛手記「平和への努力」による、1941年9月5日の昭和天皇と両総長の記録はここまでです。
昭和天皇は重ねて確認しましたが、どう考えても「手術=戦争」に向かっていた統帥部。


そして、大元帥であり、統帥部である大本営を統率していた昭和天皇。
それにも関わらず、意味不明の「瀬戸際病人論」を持ち出され、



・・・・・
納得は出来ないものの、なんとなく口を閉ざさざるを得なかった昭和天皇。
「真珠湾」まで、あと約三ヶ月。
昭和天皇は「手術=戦争」への懸念を強めながらも、日米交渉に期待していた、と思われます。
それにしても、とにかく不自然で不思議な機構をしていたのが、大日本帝国の統治機構でした。

