前回は「「政治的挫折ゼロ」木戸孝允の初大挫折〜「条約交渉成果なし」使節団・使節団から離脱した木戸・吹き荒れた「征韓論争」の嵐と政変の兆し〜」の話でした。
少し静養すべきだった木戸:「巨大な人間パワー」と偉業

幕末維新から明治の様々な人物を、「伊藤の視点」で語る伊藤公直話。

ここで、伊藤博文は、「若い頃から、ずっと兄貴分・師匠」であった木戸孝允に最も触れています。

現代は「海外を広く知ることが出来た」と語られることが多い「岩倉使節団」。
1.江戸時代に締結した(させられた)不平等条約改正の予備交渉
2.条約締結中の先進国の国家元首に国書を提出
3.西洋の先進文明の実地調査
岩倉使節団の「最大のミッション」である「条約交渉」は「成果ゼロ」に終わりました。
木戸孝允・・・・・
幕末から、危機の連続だったものの、政治家としては光り続けていた木戸。
ここで、「政治における成果ゼロ」に極大衝撃を受けた木戸は、かなり不機嫌になりました。



こんな、
バカな・・・・・・
そして不機嫌を超えて、精神不安定になってしまった木戸。
ここで、木戸は少し静養すべきだったかもしれません。
とにかく幕末維新から、ずっと「長州正統派の総帥」として動き続けてきた木戸。
巨大な人物には、普通の人間とは別格の「巨大な人間パワー」が漲っているのが大きな特徴です。
この「巨大な人間パワー」によって偉業を成し遂げた後は、「パワー切れ」するのは当然でした。


・薩摩:西郷隆盛・大久保利通
・長州:木戸孝允
・公家:岩倉具視
「維新の四傑」の中で、比較的「大人しめに扱われる」ことが多い木戸。
最後は、対立して西南戦争まで突っ走り、爆発し続けた「西郷と大久保」の薩摩コンビ。
そして、とにかく「巨大な睨みパワー」で幕末から明治を切り抜けた岩倉具視。
それに対して、明治に入ってからは大人しめであり、精彩感を落としてしまった木戸。
大久保との「超不和」と木戸孝允の政治力ダウン:台湾出兵に怒り心頭


その一方で、幕末維新は、どう考えても「木戸の力」が飛び抜けていました。
確かに、最終的には「薩摩の巨大パワー」が維新を制したのは事実です。
その一方で、爆発し続けていた「長州の猛烈書生パワー」が時代を動かしたのが現実でした。
ずっと、時代を牽引し続けた存在だった木戸。
その木戸が、幾分、というよりも、かなりパワーダウンしてしまったこと。
これこそが、明治初期の大混乱の最も大きな原因でした。



日本をこれから、どうしてゆくか、という
議論である。



それが大変、公の気に適って、
ヨーロッパで起こった感情の行き違いが、



煥然として
氷釈してしまったのである。



台湾事件については、
木戸公は不承知で、



とうとう辞職して
国に帰られた。


明治六年の政変では、征韓論が大いに議論され、「征韓派」は一気に駆逐されました。
その翌年に台湾に出兵した大久保たちに対して、



なんだ、
これは!



台湾へ
出兵するとは!



内地優先、という言葉は
嘘だったのか!
台湾出兵の前後関係や、出兵の経緯は諸説あります。





我が国の民衆を
殺すとは、許せんごわす!
西郷従道が「出兵を強行した」説もありますが、「大久保が関係していない」はずはありません。



この俺が
徹底的に反対したのに・・・



大久保は
強行しおった・・・
早い時期から、「攘夷熱」にうなされていた長州。
「長州攘夷熱」に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
そのこともあり、多数の優れた人物たちが次々と亡くなってしまい、国力も急減した長州。
そして、幕末に「長州の敵から、会津を突然裏切った」薩摩は、満を持して乗り込んできました。
「討幕時点」では、ほぼ無傷だった薩摩の方が強い力を持っていましたが、



幕末維新期は、私が反対したことを
「強行」は出来なかったはず・・・
とにかく「長州正義派総帥」木戸孝允の発言力は圧倒的であったのでした。
そして、「討幕時点」は、確かに大きな功績を上げましたが、「裏方」だった大久保利通。



おのれ・・・
大久保めが・・・
西郷が下野してしまったこともあり、大久保の力が一気に巨大化した明治七年頃。
精神不安定となっていた木戸は、「大久保の超台頭」に怒り心頭となりました。
そして、この「大久保との超不和」こそが、木戸の精神を蝕み、木戸の政治力ダウンに繋がりました。
| 名前 | 生年 | 所属 |
| 大村 益次郎(村田 蔵六) | 1825 | 長州 |
| 岩倉 具視 | 1825 | 公家 |
| 西郷 隆盛 | 1827 | 薩摩 |
| 大久保 利通 | 1830 | 薩摩 |
| 木戸 孝允 | 1833 | 長州 |
| 山縣 有朋 | 1838 | 長州 |
| 伊藤 博文(俊輔) | 1841 | 長州 |
さらに、若手であったはずの木戸が、早くに病死してしまう原因に繋がってしまうことになります。


