攘夷決行の先頭切った長州藩〜一気に冷や水浴びせられた長州攘夷熱・「効率優先学問大革命」の絶大な効果・明治末期も英語原書の学習〜|大村益次郎17・人物像・エピソード

前回は「「降格人事+俸禄大幅削減」承知した村田蔵六〜長州藩への郷土愛・「長州藩士超強化塾」博習堂の巨大な成果・効率的な翻訳書主義へ〜」の話でした。

New Historical Voyage
兵部大輔 大村益次郎(村田蔵六)(国立国会図書館)
目次

「効率優先学問大革命」の絶大な効果:明治末期も英語原書の学習

New Historical Voyage
長州藩の軍事の柱:左上から時計回りに、村田蔵六(大村益次郎)、桂小五郎(木戸孝允)、久坂玄瑞、高杉晋作(国立国会図書館、Wikipedia)
村田蔵六

私が翻訳書の内容を
確認した上で、翻訳書を学ぶのだ!

幕末から明治期にかけて、日本は「欧米の学問を学ぶ」姿勢でした。

江戸時代は寺子屋、私塾、藩校などがあり、日本の教育水準は世界的に見て、まあまあ高い方でした。

「私塾の帝王」とも言える松下村塾に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

ほどほどに高い教育水準だった江戸期の日本でしたが、欧米の様な体系的な学問ではありませんでした。

そのため、明治の終わりの頃の時代でも「欧米の学問中心」でした。

New Historical Voyage
草鹿龍之介:海軍兵学校三年生(一海軍士官の半生記)
草鹿龍之介

数学も物理も
英語の原書で学ぶのだ!

海軍兵学校では、1910年頃も「数学や物理は英語の原書」で学んでいました。

海兵生徒が、英語原書で学んだ話を、上記リンクでご紹介しています。

明治末期において、英語原書で学ぶ姿勢は、「英語を理解する」意味でも重要でした。

その一方で、幕末の時期にオランダ語を理解するのは、英語を理解するほどの意義はなく、

村田蔵六

まずは、兵学や舎密学(化学)などは、
原理を理解することが先だ!

村田蔵六

蘭語(オランダ語)を理解するのは
望ましいが、そんな時間はない!

ここで、明治末期の50年前に、村田蔵六は「原書主義を打ち砕いた」のでした。

この点は、村田蔵六が「効率を優先した」点で、慧眼でした。

英語にしても、蘭語にしても「相手国の言語を理解する」ことは、相手国を知る上で重要です。

この点では、明治期の海兵教育は「原書理解=米英を理解」する視点でもありました。

その一方で、幕末は「英米や仏露との交渉が増えた」時代でしたが、「まずは国内」でした。

そして、「まずは何よりも軍事力強化」の時代だった幕末維新期。

桂小五郎

我が長州藩士たちが
メキメキ力を上げている・・・

村田の「翻訳書主義」によって、大いに力を挙げた長州藩士及び長州藩。

村田の「効率優先学問大革命」の賜物でした。

攘夷決行の先頭切った長州藩:一気に冷や水浴びせられた長州攘夷熱

新歴史紀行
徳川幕府第十四代将軍 徳川家茂(Wikipedia)
徳川家茂

攘夷を
決行してよし。

村田が、長州藩士を大いに教育し、長州藩士たちの兵学の体系化が進んだ二年後の1863年。

国内の攘夷派に押された将軍・徳川家茂は「攘夷実行OK」を、正式に通達しました。

幕府の瓦解が始まった1868年の5年前、大いに弱体化していた幕府は、まだまだ「日本のボス」でした。

久坂玄瑞

よしっ!
幕府が公式に攘夷を認めた!

この頃、先進的な発想を持っていた、かなり優秀な青年だった久坂は大いに勢いづきました。

「とにかく攘夷」だった久坂たちは、思い切って攘夷決行を「本当に実行」しました。

幕府としては、

徳川家茂

ペリー以来、
明らかに西欧の方が軍事力が上だ・・・

徳川家茂

「攘夷実行」と言っても、
本当にやるのかどうか・・・

徳川家茂

そして、攘夷実行を
やれるのかどうか・・・

おそらく、将軍家茂含め、幕府最高幹部たちは「攘夷実行」に対して、懐疑的だったでしょう。

新歴史紀行
下関戦争:米国ワイオミング号の馬関砲台への攻撃(Wilipedia)

そして、長州藩は、「攘夷の先頭」切って、下関海峡を通過した米国船を砲撃しました。

久坂玄瑞

よしっ!
まずはメリケンの船を攻撃だ!

久坂玄瑞

続いて、フランス、オランダの
艦船も叩け!

久坂玄瑞

村田先生の兵学の学びを
活かすのだ!

村田の「翻訳書兵学講義」によって、「兵学の何たるか」を大いに吸収した長州藩士たち。

確かに、兵学の能力は大いに上がっていましたが、肝心の艦船や大砲などは「まだまだ」でした。

米国

我が艦船や商船を
一方的に砲撃するとは、言語道断!

米国

Japanの連中は、
国際法違反だ!

米国

よし、一気に軍艦を出撃させ、
叩き潰してくれるわ!

怒りに燃えた米国などの各国は、一気に軍艦を下関海峡に向けました。

米国艦船

よしっ!
Choshuの砲台を潰せ!

久坂玄瑞

な、
なにっ!

大砲の砲撃力に圧倒的な差があった、欧米艦船と長州藩の砲台。

そもそも、欧米と長州の大砲では、到達距離が違い過ぎました。

そのため、「長州藩が砲撃出来ない位置」から、ガンガンと砲撃された長州藩の砲台。

New Historical Voyage
下関戦争:連合国に占拠された砲台(Wikipedia)

挙げ句の果てには、欧米の陸戦隊が乗り込んできて、長州藩の砲台は占領されてしまいました。

村田蔵六

・・・・・

この下関戦争の頃、村田がどこで、何をやっていたかは記録が少なく、不明な点が多いです。

村田は「長州ではなく江戸にいた」説もあります。

いずれにしても、仮にこの時「村田が総司令官」だったとしても、敗北は確実でした。

海の艦隊と陸の砲台での砲撃戦において、完全な敗北となった長州。

高杉晋作

これが、西洋の
艦船の砲撃か・・・

高杉晋作

我が長州の砲台や艦船など
相手にならぬ・・・

高杉晋作

このままでは、攘夷など
到底無理だのう・・・

久坂玄瑞

確かに、
このままでは、いけない・・・

高杉晋作

村田さんの兵学も
大事だが・・・

高杉晋作

艦船や大砲などの
武器がなければ、攘夷など出来んな・・・

久坂玄瑞

うむ・・・

もはや戦闘ではなく、一方的に砲撃され、「完敗を超えた敗北」となった長州藩。

「攘夷攘夷」と沸騰し続けていた長州藩は、一気に強烈な冷や水を浴びせられました。

新歴史紀行

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次