前回は「昭和天皇に近衛総理「それは無理です」〜「別格公家」近衛家と天皇・昭和天皇「永野総長更迭」要請却下した及川大臣・「之はいかん」海軍計画〜」の話でした。
出師準備知らなかった昭和天皇:宙に浮いていたかの様だった統帥権

対米戦直前の1941年9月5日、翌日の御前会議の案を見た昭和天皇は、
昭和天皇之では、戦争が主で交渉は従であるから、
わたしは近衛に対し、



交渉に重点を置く案に改めんことを
要求したが、近衛は、



それは
不可能です。



と言って
承知しなかった。
もはや、ほぼ「対米戦決定」の様な案に対して、昭和天皇は極めて強い危惧を伝えました。
ところが、天皇の要求であった「御前会議の案の変更」が却下となりました。



私は、軍がこの様に出師準備を
進めているとは思っていなかった。
明らかに、1941年の6月頃から、「出師準備を進めていた」帝国陸海軍。


「日米交渉妥結」を念じていた、と言われる山本長官は、「真珠湾」の準備を猛推進していました。
帝国陸軍もまた、南部仏印進駐など、「出師準備」を超えた行為を継続していました。


ところが、「軍を統帥する」大元帥であった昭和天皇は、「出師準備を知らない」状況でした。
明確な「大日本帝国の国家元首」であった昭和天皇。
| 大日本帝国憲法 | 日本国憲法 | |
| 公布 | 1889年(戦前・明治時代) | 1946年(戦後・昭和時代) |
| 主権 | 天皇 | 国民 |
| 天皇 | 神聖不可侵の元首 | 日本国民統合の象徴 |
| 戦争 | 天皇が陸海軍を率いる | 戦争を放棄(交戦権否定) |
| 軍隊 | 国民に兵役義務 | いない(自衛隊) |
ところが、1941年、帝国陸海軍は、完全に天皇の手を離れた状況でした。
つまり、「統帥権」が宙に浮いたかの様な状況のまま、時代が動いていた極めて異常事態でした。
直ぐ呼び出された杉山参謀総長と永野軍令部総長:昭和天皇の強い懸念





それでは、両総長を呼んで
納得の行く迄尋ねては、如何でしょうか。



近衛が、こう言うので、
急に両人を呼んで・・・



近衛も同席して一時間
許り話した。



この事は朝日新聞の近衛の手記に
書いてあることが大体正確で・・・



この時も近衛は、案の第一と第二との順序を
取り替えることは、



絶対に
不可能です。



と
言った。



九月五日の天皇と両総長との問答に
ついての「近衛手記」は次のとおりである。
ここで「昭和天皇独白録」は、「近衛手記」の記録を紹介しています。
「近衛手記」とは「失われし政治ー近衛文麿公の手記」です。


同様の話は、「平和への努力」にも記載されており、「平和への努力」から引用します。



これでは一に戦争準備を記し、
二に外交交渉を掲げている。



なんだか戦争が主で、外交が従であるかの
如き感じを受ける。



この点について、明日の会議で統帥部の
両総長に質問したいと思うが・・・



と仰られた。
余(近衛)はこれに対し奉り、



一二の順序は、必ずしも
軽重を示すものに非ず、



政府としては、飽くまで外交交渉を
行い、交渉がどうしても纏まらぬ場合に、



戦争の準備に取り掛かる
という趣旨なり。



と、申し上げ、
尚、



この点につき統帥部に御質問の思召あらば、
御前会議にては場所柄如何と考えられますから、



今直に両総長を御召に
なりましては如何。



と奏上
せしに、



直に呼べ。
尚総理大臣も陪席せよ。



との御言葉で
あった。
御前会議で、昭和天皇が色々と質問すると、御前会議が紛糾してしまう可能性がありました。
それを避けるため「事前質問」を提案した近衛首相。
それに対して、昭和天皇は「直に呼べ」と迅速な姿勢を示しました。





両総長は直に参内拝謁し、
余も陪席した。



陛下は両総長に対し、
余に対しる御下問と同様の御下問あり、



両総長は、余と同じ
奉答した。
近衛手記「平和への努力」は、近衛首相と同じ奉答を両総長がした、と記録しています。



一二の順序は、必ずしも
軽重を示すものに非ず、



政府としては、飽くまで外交交渉を
行い、交渉がどうしても纏まらぬ場合に、



戦争の準備に取り掛かる
という趣旨なり。
機械のように「同じ回答」を繰り返す、近衛首相、杉山参謀総長、永野軍令部総長たち。



・・・・・
この「オウム返し」のような対応に対しては、昭和天皇は一種の不信感を持ったでしょう。
「昭和天皇独白録」で様々なことを記憶し、的確に語っている昭和天皇。
実際、昭和天皇は、かなり頭脳明晰な人物であり、能力は極めて高い人物でした。
ここで、昭和天皇は、さらに両総長に鋭い質問してゆきます。
次回は、昭和天皇の「鋭い質問」を見てゆきます。

