前回は「西郷加勢に「碁をパタリと止めた」大久保利通〜才識の木戸と忍耐力の大久保・「兄弟同然だった」大久保と西郷・「政見の異同」と西南戦争の導火線〜」の話でした。
欧化主義を大絶賛した伊藤博文:打ち破った封建主義と開国論

大久保利通が暗殺された後、伊藤公直話の大久保の章は、人物像を総括しています。
伊藤博文岩倉・木戸・大久保の三公は、とにかく
度量といい、胆力といい、時流に卓絶した点といい・・・



時流に卓絶した点といい、
遥かに斉輩を抜いていた。



予が先輩として見る所では、
この三人に及ぶものは一人もいない。



岩倉公などは、
実に偉いものだった。



三条公は立派な玉を見るような人で、
これは勿論格別だ。



岩倉公は、多少瑕疵(きず)はあったかもしれぬが、
有功無比の器だった。


ここで、これまでほとんど触れなかった三条実美が登場します。
ただし、三条は「岩倉の引き立て役」的存在で、黒幕は岩倉でした。
そして、岩倉は「瑕疵があっても」というよりも「瑕疵だらけ」の存在だったものの「有功無比」でした。
「明治維新の大黒幕・岩倉具視」に関する話を、上記リンクでご紹介しています。



国を憂うる上については、三人とも鼎足の形で、
その間に少しも甲乙はなかった。



たとえ、時によって種々議論を上下することはあっても、
その精神は国を憂い、国を治めてゆこうということに集中した。



この点で、外の者は到底三公と
肩を並べることは出来ぬ。



ああいう人々が出て、攘夷論だの鎖国論だのというものを
一変して、封建政治を打ち破って、郡県政治とし・・・



それから、日本の前途を見透して、
断然開国論を主張し・・・



ヨーロッパ流の文明に日本を引っ張ってゆくという決断を
つけたから、維新の大業が出来たのだ。
欧化主義を大絶賛した伊藤博文。
とにかく、「岩倉・木戸・大久保は別格」と語る伊藤博文。
一般的には、維新の三傑は西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允です。
・薩摩:西郷隆盛・大久保利通
・長州:木戸孝允
・公家:岩倉具視
筆者は、この三人に岩倉を加えて、「維新の四傑」と考えています。
・薩摩:大久保利通
・長州:木戸孝允
・公家:岩倉具視
そして、伊藤博文によると、「岩倉具視・木戸孝允・大久保利通こそ維新の三傑」でした。
大久保利通・岩倉具視・木戸孝允の三公こそ維新の三傑


そして、この伊藤の「岩倉具視・木戸孝允・大久保利通」の順序は、身分や世話になった順です。
伊藤は、「大久保利通・岩倉具視・木戸孝允の三公こそ維新の三傑」とまとめていると考えます。
| 名前 | 生年 | 所属 |
| 大村 益次郎(村田 蔵六) | 1825 | 長州 |
| 岩倉 具視 | 1825 | 公家 |
| 西郷 隆盛 | 1827 | 薩摩 |
| 大久保 利通 | 1830 | 薩摩 |
| 木戸 孝允 | 1833 | 長州 |
| 三条 実美 | 1837 | 公家 |
| 山縣 有朋 | 1838 | 長州 |
| 高杉 晋作 | 1839 | 長州 |
| 久坂 玄瑞 | 1840 | 長州 |
| 伊藤 博文(俊輔) | 1841 | 長州 |



新日本の建設は、何といっても、
これらの人々の力と言わなければならぬ。



種々新しい知識を献替する者を採って、
その説を実行したから、今日あるを得たのだ。



大久保が参議兼内務卿として、
大政輔翼の任に当たっておられた時・・・



世間には種々の
流言があった。



贅沢な生活をしたなどという説もあるが、
それは嘘の皮だ!



公が死んだ時には、金など一文もなく、
却って、八千両の借金が残ったくらいだ。
大久保の有名な「亡くなったとは、八千両の借金」の根拠が、伊藤が語ったことでした。
ここで、「八千両」の金額が、現代のいくらくらいか、は諸説あります。
いずれにしても、具体的な金額をあげて、「清廉潔癖だった大久保」を語る伊藤。



公の一番好きなのは
碁であった。



それもよほど好きの
ようだった。



詩も、ちょいちょいあるが、
詩人としては成功しなかった方だ。
最後に、「碁が大好き」な大久保を再度紹介し、「詩人としてはイマイチ」と語った伊藤。
大久保のイメージから、「詩人」は全く結び付かず、どうでも良いことと考えます。
それを敢えて「大久保は詩人としてはイマイチ」と語った伊藤。
伊藤の意図は「とにかく政治家としては、ピカイチ」の大久保でした。



しかし、自分の志を言うだけのことは
十分やられた。
こういって、伊藤は、大久保利通の人物像を総括しました。
次回は、伊藤博文による木戸孝允の人物像・人物評です。


