前回は「勅命で決した「島津久光vs大久保利通」〜上聞に達させた仲介役伊藤・大久保利通の絶筆「伊藤博文への手紙」・極めて丁重な大久保の言葉〜」の話でした。
「兄弟同然だった」大久保と西郷:「政見の異同」と西南戦争の導火線

幕末維新の大物たちは、皆泰然としている雰囲気がありました。
・薩摩:西郷隆盛・大久保利通
・長州:木戸孝允
・公家:岩倉具視
維新の四傑である、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・岩倉具視は、カッチリしたイメージが強いです。
それに対して、「維新の脇役」であった伊藤博文・井上馨ら、長州第二世代は軽い印象があります。
そして、伊藤公直話では、伊藤博文が、軽快に幕末維新の裏側を語っています。
伊藤博文公(大久保)と西郷は
以前はよく相寄り相輔助けて・・・



一方は軍事、一方は君側にあって、
兄弟もただならぬ間柄であったが・・・



政見の異同よりして征韓論の時から、
提携が破れてしまった。
このように、大久保・木戸・岩倉らに対しては「公」と呼ぶのに対し、西郷は「西郷」と呼び捨ての伊藤。
この伊藤公直話の頃は、伊藤博文の晩年で、概ね1890年以降と考えます。


西南戦争で一度は「賊」指定された西郷隆盛は、大日本帝国憲法交付の際、1889年に大赦となりました。
その結果、名誉を回復した西郷でしたが、伊藤は、西郷に対してはかなり辛辣な姿勢です。
| 名前 | 生年 | 所属 |
| 大村 益次郎(村田 蔵六) | 1825 | 長州 |
| 岩倉 具視 | 1825 | 公家 |
| 西郷 隆盛 | 1827 | 薩摩 |
| 武市 瑞山 | 1829 | 土佐 |
| 大久保 利通 | 1830 | 薩摩 |
| 木戸 孝允 | 1833 | 長州 |
| 江藤 新平 | 1834 | 佐賀 |
| 坂本 龍馬 | 1835 | 土佐 |
| 中岡 慎太郎 | 1838 | 土佐 |
| 山縣 有朋 | 1838 | 長州 |
| 高杉 晋作 | 1839 | 長州 |
| 久坂 玄瑞 | 1840 | 長州 |
| 伊藤 博文(俊輔) | 1841 | 長州 |
伊藤博文は、岩倉公実記「岩倉具視を語る」で、西南戦争に対して、



西南戦争は、実に
馬鹿馬鹿しい間違いだ!!
「実に馬鹿馬鹿しい間違い」とまで言いました。
伊藤の「西南戦争は実に馬鹿馬鹿しい」に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
西郷加勢に「碁をパタリと止めた」大久保利通:才識の木戸と忍耐力の大久保





しかしながら、固よりこれは国に尽くす
政治上の見解を異にしたので・・・



双方の心中では互いに信じ合っていたに
相違なかった。
1874年、明治六年の政変で下野した後、3年後の1877年の西南戦争に至った西郷隆盛。



・・・・・
私学校を設立し、自ら「鹿児島を独立・西郷王国」とした西郷隆盛。
どう考えても、明治政府に逆らう姿勢でしたが、この頃の「西郷の真の心境」は不明です。
下野後、西郷隆盛は、一切の「自ら書いた記録」を残していません。
この「下野」が、大久保利通・木戸孝允であったならば、何らかの日記等を残したでしょう。
ところが、そうした記録には「異様なほど淡白」だった西郷隆盛。
その一方で、伊藤博文は「大久保と西郷は互いに信じ合っていたはず」と断言しました。



というのは、
他でもない。



西南戦争の起こった時に、
西郷が入っているということを聞いて・・・



・・・・・



大久保公は
非常に驚いた。



その時、打っていた碁を
パタと止めてしまった。



この一事で見ても、
その心持ちが分かるではないか。
大久保の「碁好き」は有名ですが、「島津久光に取り入るために必死に学んだ」説もあります。
何事も、極めることが好きであった大久保は、久光の相手をしているうちに、碁が趣味となりました。



木戸公は、才識共に優れた人で、どちらかといえば、
寛仁大度、識量の広い人と言ってよかろう。



大久保公の方は、沈毅で、忍耐力の強い人で、
容易に進退するという事をしなかった。



木戸公は、識の高いだけに、識によって物事を
判断してゆこうという人だから・・・



忍耐力の方では、自ずから
大久保公に一歩を譲っていた。



その代わり、識力の方では、
大久保公も木戸公に一目置いた。



両雄の取り組みは、
こんな具合のものだった。
ここで、伊藤博文は「才識の木戸と忍耐力の大久保」というまとめをしました。
「才識」という言葉は「知識」に類しますが、単なる知識を超えた、幅広い知識・識見と考えます。
対して、大久保に対して「とにかく忍耐力が圧倒的だった」と評する伊藤。
確かに、政治家には「高い識見」が常用ですが、「鋼の如き忍耐力」は最も重要かもしれません。



岩倉・木戸・大久保の三公は、
とにかく度量といい、胆力といい・・・



時流に卓絶した点といい、
遥かに斉輩を抜いていた。
とにかく、「岩倉・木戸・大久保は別格」と褒めちぎっていた伊藤博文でした。


