前回は「大久保利通と川路利良が使用した「凄まじい隠語」〜坊主と一向宗と黒砂糖・薩摩の蠢動と薩摩軍団オールスター・大久保を「止めた」伊藤博文〜」の話でした。
兵力などの謎が多い佐賀戦争:士族反乱に戦慄した明治政府と情報秘匿

明治六年の政変で、西郷隆盛・江藤新平ら、明治新政府の中核が一斉に下野しました。
この巨大政変は、1873年のことであり、明治維新成立が1868年と考えると5年後でした。
西洋の革命と比較すると、「穏当な革命」であったとも言える明治維新。
とは言っても、世の中が一変して、「全てが大きく変わった」大革命でした。
そのため、「革命推進派」であった薩長土肥の中で、内部分裂することは必至でもありました。
この観点から考えれば、明治六年の政変はある意味で「避けられない道」でした。
その後、板垣退助・後藤象二郎らは、明治政府と協調する姿勢を見せました。

江藤新平我が佐賀は
決起して、明治政府を正す!
明治六年の政変の翌年、1874年、江藤率いる佐賀藩は決起して反乱を起こしました。



私自らが、
制圧に向かおう!
それに対して、大久保は全権を持って、佐賀に乗り込み、一斉鎮圧に乗り込みました。
後世の視点から考えれば、極めて短期間に終わり、1ヶ月ほどで江藤率いる憂国党は敗れました。
江藤らの戦いは、「佐賀の乱」又は「佐賀戦争」と呼ばれます。
比較的小規模に終わった佐賀戦争ですが、奇妙なことは「情報が少ない」ことです。
| 勢力 | 兵力 | 戦死者 |
| 明治政府 | 6,000〜8,000名? | 209名 |
| 憂国党・征韓党 | 2,500〜6,000名? | 173名 |
西南戦争は、双方の兵力の情報は概ね明らかですが、佐賀戦争は非常に幅があり、情報不足です。
兵力は、江藤側「憂国党・征韓党」が、2,500〜6,000名ほどという説が有力です。
その一方で、「反乱蜂起に加わらなかった人物を含めると1,0000名以上」という説もあります。
そして、「一気に大久保が鎮圧した政府軍」の兵力もまた、謎が多いです。
その割には、「戦死者の数は明確」であることも特徴的です。
これは、士族反乱に戦慄した明治新政府が「情報を秘匿した」と考えます。
この観点から考えると、江藤らが引き起こした佐賀戦争は、明治政府に大激震をもたらしたのでした。
「実像不明」西郷隆盛への憶測と憧憬:存在しない西郷「公式記録」


そして、「反政府の希望の星」であった西郷隆盛は、薩摩でのんびり暮らしていました。
その一方で、薩摩全土を自らの子弟で固め、「西郷独立国」のような国家体制を作り出した西郷。
私学校を設立し、私学校の幹部が薩摩を牛耳る異常事態が続きました。
見方によっては、「明治政府転覆のための雌伏」とも考えられた、西郷の奇妙な姿勢。
この時の西郷の本心は、明確な記録が残ってなく、全ては憶測となります。
明治維新の人物に関する書籍では、圧倒的に多いのが西郷隆盛に関する書籍です。
現代においても、次々と西郷隆盛に関する書籍が登場しています。
それらの書籍の中では「西郷自身が語った言葉」である、「西郷南洲遺訓」が最も有名です。
ただし、この「西郷南洲遺訓」は、人生論・道徳論の傾向が強く、歴史的記録としては乏しいです。


自身が記録した「大久保利通日記」「木戸孝允日記」がある大久保利通と木戸孝允。
大久保・木戸と比較して、「正確な記録」が異常に少ないのが西郷隆盛です。
そもそも、「正式な写真が一枚もない」西郷隆盛。
この点から考えると、「維新最大の巨星」西郷隆盛は「最も謎に包まれた人物」でもあります。
この「最も謎に包まれた人物」であることが、西郷隆盛に対して様々な憶測を呼ぶ結果になりました。
そして、この「西郷に対する憶測」が「西郷に対する憧憬」につながり、様々な描写がなされています。
・薩摩:西郷隆盛・大久保利通
・長州:木戸孝允
・公家:岩倉具視
維新の四傑に対して、伊藤博文は様々語っています。


大久保・木戸・岩倉に対しては、饒舌に語っている伊藤ですが、西郷はそっけないです。
西郷に対して冷たい伊藤博文に関する話を、上記リンクでご紹介しています。


この中、岩倉具視自身の編纂ではありませんが、確かに岩倉を軸とした記録である岩倉公実記。
岩倉公実記においては、西南戦争に対して、極めて詳細に描写しています。
極めて貴重な資料である岩倉公実記。
| 維新の四傑 | 日記・公式な記録等 |
| 大久保利通・木戸孝允・岩倉具視 | あり |
| 西郷隆盛 | なし |
この点から、西郷隆盛を慕う人物たちが、西郷隆盛に関する公式記録を作成しなかったのが謎です。
西郷自身の手紙などをまとめた資料は残っていますが、記録が少ない西郷隆盛。
本来ならば、「岩倉公実記」ならぬ「西郷南洲(公)実記」があっても良かったはずでした。
ところが、それらの「公式記録」ではなく、多数の「憶測を含んだ書籍」が生まれた西郷。
この点もまた、西郷隆盛の異常なまでの人気につながっていると考えます。
次回は、岩倉公実記から、西郷隆盛が考えていたこと、西南戦争の真相を見てゆきます。


