ルイス・フロイスが見た「本能寺」〜「高貴の出ではない」光秀・「ときは今」の真相=謀反の「時」・光秀が超名門土岐とは無関係の事実〜|本能寺の変1・ルイス・フロイス「日本史」17

前回は「「天の使い」信長の延暦寺焼き討ち〜「近江国三分の一」握った延暦寺・強力な偏見を持っていたフロイス・緻密で生々しいフロイスの描写〜」の話でした。

目次

ルイス・フロイスが見た「本能寺」:「高貴の出ではない」光秀

New Historical Voyage
ルイス・フロイス「日本語」原書(Wikipedia)

外国人であるルイス・フロイスのイエズス会に対する報告書である、ルイス・フロイス「日本史」。

「報告書」の形式であれば、情勢や分析が最も重要です。

それらの情勢や分析を緻密に行いながらも、

Frois

そして聖ミカエルの祝日における右の戦いの時、
この天の使い(信長)は、この山王の社で・・・

Frois

彼に敵対して武器を取った千百二十人の
僧侶を殺戮し・・・

Frois

近江国の三分の一なる比叡山の
全収入を兵士たちの間に分配した。

ルイス・フロイスは、信長のことを「天の使い」と呼ぶこともありました。

ルイス・フロイスの後年の秀吉に対する誹謗中傷もまた、凄まじいものがあります。

とにかく「好き嫌い」が明確だったルイス・フロイスは、報告書において、様々な表現をしています。

New Historical Voyage
信長公記(太田牛一著、中川太古訳、新歴史紀行)

この「好き嫌い」が多数登場する点が、「信長公記」との大きな違いです。

ルイス・フロイス「日本史」と比較すると、淡々とした口調で語っている「信長公記」。

「信長公記」における本能寺の変を、上記リンクでご紹介しています。

ここから、ルイス・フロイス「日本史」における本能寺の変をご紹介します。

Frois

信長の宮廷に惟任日向守殿、
別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。

Frois

彼はもとより高貴の出ではなく、
信長の治世の初期には・・・

Frois

公方様の邸の一貴人兵部大輔と
称する人に奉仕していたのであるが・・・

Frois

その才略、深慮、狡猾さにより、
信長の寵愛を受けることとなり・・・

Frois

主君とその恩恵を利することを
わきまえていた。

本能寺の章では、冒頭から明智光秀が登場しました。

光秀を「彼はもとより高貴の出ではなく」と、「大した身分ではなかった」と明確に語るフロイス。

「ときは今」の真相=謀反の「時」:光秀が超名門・土岐とは無関係の事実

新歴史紀行
織田家重臣 明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

光秀の出身に関しては、諸説あり、最も「高貴の出」は美濃・明智城の城主と考えます。

単なる「雑兵」であった説もあります。

本能寺の変の直前、里村紹巴らと連歌を行った際、、光秀は、

明智光秀

ときは今 あめが下知る
五月かな 明智光秀・・・

有名すぎる「ときは今・・・」を歌い、

西坊行祐

水上まさる
庭のまつ山 西坊行祐・・・

里村紹巴

花落つる 流れの末を
堰き止めて 里村紹巴・・・

西坊行祐、里村紹巴は、このように連歌を続けた事実があります。

「ときは今」の真意に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

光秀連歌の歌の意味

・光秀:ときは今 あめが下知る 五月かな

今、時は五月雨の降りしきる五月である

裏に、「今こそ土岐氏の庶流である明智が天下を取る時だ」という意味が隠されているとも言える

・西坊:水上まさる 庭のまつ山

川上の水音が高く聞こえる庭には松山が見える

・里村:花落つる 流れの末を 堰き止めて

水の流れを堰き止めるように花がたくさん散る

この「とき→自らの出身である土岐」であることが、「隠されている」とされる光秀の句。

ところが、ルイス・フロイスは、

Frois

彼はもとより高貴の出
ではなく・・

光秀を「大した身分ではなかった」とバッサリ切り捨てています。

守護・守護代・国衆(地侍)出身大名
守護武田家・大友家・島津家・今川家・大内家・六角家・土岐家
守護代長尾家(上杉家)・朝倉家・尼子家
国衆(地侍)三好家・織田家・徳川家・毛利家・北条家・(豊臣家)
戦国期の大名の家柄:守護・守護代・国衆(地侍)

なんといっても、美濃国守護であった土岐氏は、当時の社会通念では「高い身分」でした。

朝廷の権力が大きく下落する中、下剋上の世だったため、守護もまた不安定な立場でした。

その一方で、「守護」という「国のトップ」であった一族は、戦国期も超名門であったのでした。

仮に光秀が「土岐の端っこの傍流」であったならば、フロイスは、ここまで言わなかったでしょう。

或いは「好悪の感情が激しい」フロイスだったため、「信長殺し」の光秀を貶めたのか?

この可能性はもちろんあります。

ところが、この「日本史」は「イエズス会への報告書」であるため、事実はきちんと描写したフロイス。

実際、フロイス「日本史」の描写は極めて緻密で、多数の数字・数量なども明記されています。

この点を考えれば、客観的視点だったフロイスは「事実を述べていた」と考えます。

すると、明智光秀は「大した身分ではなかった」ことになります。

そして、「ときは今」の「とき」は「土岐」ではなかった、と筆者は考えます。

あくまで「とき」は「時」でしかなかったと考えます。

そして、「とき」は、「謀反の『時』であった」のが、「ときは今」の真相と考えます。

新歴史紀行

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