前回は「近衛文麿の超奇策「昭和天皇へ直接打電+裁可」〜支那事変と日米交渉・「勝ったつもり」のような米英太平洋憲章・「真珠湾」前に既に「戦後の話」〜」の話でした。
近衛「昭和天皇打電+直接裁可」の謎:無理難題「原則的問題合意」

近衛文麿ルーズベルト大統領!
この近衛とトップ会談しましょう!



一日も早く、
日米交渉を妥結させましょう!
「近衛・ルーズベルトのトップ会談」によって、一気に交渉進展を目論んだ近衛文麿。



近衛メッセージに対しては、野村大使と
ルーズベルト大統領及びハル国務長官の間に・・・



会談の期日及び場所等に関し、
具体的な応酬が行われ・・・



一見その実現の有望を
思わしめたが・・・
「日米トップ会談の実現」が「一度は期待された」事実を、大東亜戦争全史は明らかにしています。



九月三日に至り、ルーズベルト大統領は
近衛首相宛メッセージを送り・・・



重要なる原則的問題について
合意に到達した上でなければ会談に応じ難い。



旨を
回答して来た。



この際、米国は同時に覚書を提示して、
例の「四原則」を指摘し・・・



会談の前提条件として、これについての
意見の一致を要請したのである。
この米国の姿勢は、外交姿勢としては「極めて真っ当」でした。
「重要なる原則的問題の合意」がなければ、「トップ会談のしようがない」のが欧米の論理でした。
ところが、近衛首相としては、「四原則」のうち「支那からの撤兵」は陸軍が絶対に同意しませんでした。
つまり、大日本帝国側の論理としては「重要なる原則的問題の合意」は「100%不可能」でした。
これに対して、近衛首相は、



いざとなったら、会談先から
昭和天皇に打電して・・・



そこで裁可を得て、
日米交渉を進めるのだ・・・
このように「昭和天皇への打電+直接裁可」を考えていたようですが、これは無理だったと考えます。


主権者であった昭和天皇でしたが、「政府・軍部が決定したこと」に対し、原則反対しない姿勢でした。
この中、「近衛首相の単独決定」を、昭和天皇が「政府・閣議を無視」して裁可したかどうか。
この点は極めて怪しく、「近衛首相単独の思い込み」だったように感じます。
この「昭和天皇へ打電+裁可」の強行突破に対して、仮に「成功する」としても軍部は大激怒します。



私は殺されても
よい・・・
当時、近衛文麿が、こう言っていた説もありますが、どうにも不可解です。
日米頂上会談へ大物「土肥原賢二と武藤章」派遣へ:米国のKonoeへの不信





戦後、米国務省の公刊した文書によれば、
ルーズベルトとチャーチルの洋上会談において・・・



ルーズベルト大統領は、チャーチル英首相に
対し・・・



交渉によって、日本を
あやしておくのだ!



という態度を表明しており、また米国が日米首脳者会談を
拒否した理由の一は・・・



近衛首相が支那事変開始の際における
日本政府の総理であり・・・



かつ、中国との和平問題について、日本政府がおそらく
固執するであろうところの・・・



近衛原則を宣言した、その人であるからと
いうことであった。
要するにルーズベルト大統領の視点から見れば、



我々は、JapanにはChinaから
撤兵してもらいたいのだ!



だが、Konoeは、そもそもJapanが
Chinaと戦争(支那事変)開始した時の総理であり・・・



「蒋介石を相手にせず」とかいう
謎の声明まで出したではないか!



そのKonoeと会談して、
なんの意味がある?
このように、米国側からすると「不信感しかない」近衛首相でした。
1.米国及び大英帝国は、領土拡大を求めないこと
2.領土の変更は、関係国の国民の意思に反して領土を変更しないこと
3.全ての民衆が民族自決の権利を有すること
4.貿易障壁を引き下げること
5.全ての人によりよい経済・社会状況を確保するために世界的に協力すること
6.恐怖と欠乏からの自由の必要性
7.海洋の自由の必要性
8.侵略国の軍縮と戦後の共同軍縮を行うこと
すでに「勝ったつもり」とも言える大西洋憲章を定めた米国と大英帝国。
米国は当時世界一の国家であり、大英帝国は当時の40年ほど前、1900年頃まで世界一の国家でした。
つまり「新旧世界一国家」が高く謳ったのが、大西洋憲章でした。



かくの如きであるならば、日米両国首脳の
大局的話し合いによって・・・



時局を収集すると言うことも事実極めて望み薄、
否むしろ不可能のものであったのである。



当時、陸海軍においては、右首脳会談については、
極めて熱心であって、すでに全権随員等を内定し・・・



所用の準備を
進めていたのである。



陸軍からは、全権の一員として、
航空総監・土肥原賢二中将を・・・


悪名高き土肥原賢二 航空総監を陸軍トップの全権として内定していた帝国陸軍。



又随員として、武藤軍務局長及び
有末参謀本部第二十班長を内定していた。


そして、「陸軍の中枢を握り続けた」武藤章軍務局長もまた、随行予定でした。
これほどの大物が随行すると言うことは、「会談先でなんらかの決定権がある」ことになります。
それほど、熱心に日米頂上会談を望んでいた帝国陸海軍。
ところが、米国側は、「最初から会談する気などさらさらなかった」のが事実でした。

