前回は「日米頂上会談へ大物「土肥原賢二と武藤章」派遣へ~米国のKonoeへの不信・近衛「昭和天皇打電+直接裁可」の謎・無理難題「原則的問題合意」〜」の話でした。
「戦争辞さない姿勢」へ一気に飛躍した帝国海軍:陸軍牽制する海軍

RooseveltKonoeが
私と直接話したい、と・・・
「日米頂上会談」に対して、「その気アリ」の雰囲気をちょっとだけ出したルーズベルト大統領。


超強気であった帝国陸軍は対米融和路線を検討し、土肥原賢二らの大物を日米頂上会談へ派遣検討しました。
ところが、



重要なる原則的問題について
合意に到達した上でなければ会談に応じ難い。
一気に「手のひらを返す」対応に出てきたルーズベルト大統領。
これで、「日米頂上会談」は消えてしまいました。



・・・・・
もはや万策尽きた形となってしまった近衛首相。


この頃の帝国政府・大本営の動きを、「大東亜戦争全史」は克明に記しています。
日米頂上会談にしても、とにかく「帝国陸軍中心」の動きであった当時。





これでは、我が帝国海軍は、
いつまで経っても、陸軍に振り回されてしまう・・・
写真の通り、温厚な性格であった岡敬純 海軍軍務局長は「陸軍主導」に対して、苛立っていました。





我が帝国海軍の立場ってものを
示そうじゃないか!
そして、当時、異常なほどに好戦派となっていた永野軍令部総長。



八月十六日、陸海軍局部長会議が
開かれ・・・



席上、海軍側は初めて「帝国国策遂行方針」
なるものを提示した。



その骨子は、十月下旬を目途に、
戦争準備と外交とを併進せしめ・・・



十月中旬に至るも外交妥結せざる場合には、
実力を発動するというものである。



これは、海軍としては正しく画期的なる
重大決意の表明であった。
ここで、帝国海軍は「実力を発動」と主張しましたが、「武力を発動」でした。



我が帝国海軍は、
戦争も辞さない姿勢なのだ!
つまり、永野総長は「戦争も辞さない姿勢」へ一気に飛躍したのでした。
「対米英戦争を決意」で対立した帝国陸海軍:永野総長の日程提案





海軍案は、戦争決意を保留したまま、
戦争準備を実施する考えであって・・・



陸軍は戦争決意なくして
本格的戦争準備を実施することに難色を示した。



決意なくして準備を進めんとする海軍と、
決意なければ準備を進め難しとする陸軍とが・・・



ここでも
意見の対立を生じた。
「重大決意の表明」であった海軍でしたが、陸軍から見ると「決意の有無」が重要でした。
実際、この頃は、鹿児島県錦江湾において、「真珠湾奇襲攻撃」の準備を進めていた帝国海軍。


山本五十六連合艦隊司令長官率いる連合艦隊は、真珠湾奇襲攻撃に万全の準備を進めていました。
この事実を完全に把握していたのが、永野修身 軍令部総長でした。
この「真珠湾奇襲攻撃準備」を、どの程度、帝国海軍は帝国陸軍に告げていたのか?
この「どの程度?」「いつ?」は諸説あります。



現に海軍は、既に八月末概成を目途に
万一の場合に応ずる戦争準備を・・・



大規模に着々実施中であって、
八月十五日大本営海軍部は・・・



次の如きことを陸軍側に
通報し、大本営陸軍部を驚かせた。
一、十月十五日迄に対英米戦備を完結する。
二、八月及び九月更に各三十万トンの船舶を徴用する。
三、九月二十日陸海軍作戦協定を実施する。
四、九月上旬、支那より陸戦隊三大隊を抽出する。
五、九月中旬より更に五十万トンの船舶を徴用する予定。
とにかく、期日を明確にした案を帝国陸軍に一気に提案した帝国海軍。
日米交渉最中に、かなりの強行案でした。



陸軍においては、かかる準備は戦争決意
なくしては実施すべきではなく・・・



又実施し得ないと
考えていた。



陸軍は、この際対米英戦争を決意し、
その決意の下に戦争準備と外交とを併進せしめ・・・



外交不調の場合においては、
開戦を決意するという意見であった。
「真珠湾」まで、三ヶ月あまりとなっていた当時。
帝国陸海軍では、「戦争の準備」に対して大きな見解の相違を持っていました。
「対米英戦争を決意」の有無、に対して、対立していた帝国陸海軍。
ここには、陸軍よりも準備がより大規模な海軍の意図が明確に表れています。
また、「決意するかどうか」と「準備はしておく」は異なるのが、一般的発想です。
ここでも、帝国陸軍と帝国海軍の性格の違いが如実に現れていました。

