軍人勅諭を礼賛した草鹿龍之介〜半月一月で海軍軍人基礎作る海兵教育・穏やかな人物が多い「華の海兵39期」・交互の「強面組」と「穏やか組」〜|草鹿龍之介10・一海軍士官の半生記・エピソード

前回は「「命令服従の鉄則」叩き込まれた若き海兵生徒達〜華族も百姓も平等・「懇切丁寧の世界」から「鉄拳の世界」へ・殴られた後「双方敬礼」〜」の話でした。

新歴史紀行
草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)
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穏やかな人物が多い「華の海兵39期」:交互の「強面組」と「穏やか組」

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海兵40期の同期:左上から時計回りに大西瀧治郎 航空本部総務部長、宇垣纏 連合艦隊参謀長、山口、福留繁 軍令部第一部長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往社,Wikipedia)

「華の40期」と呼ばれる、海兵40期卒の将星たち。

海軍兵学校卒業期名前専門役職
32山本 五十六航空連合艦隊司令長官
36南雲 忠一水雷第一航空艦隊司令長官
37小沢 治三郎航空南遣艦隊司令長官
40宇垣 纏大砲連合艦隊参謀長
40大西 瀧治郎航空第十一航空艦隊参謀長
40福留 繁大砲軍令部第一部長
40山口 多聞航空第二航空戦隊司令官
連合艦隊幹部の専門・役職・海軍兵学校卒業期(1941年12月)

確かに海兵40期卒は、宇垣纏、大西瀧治郎、山口多聞など大物が多数います。

海兵40期三羽烏

宇垣纏、大西瀧治郎、山口多聞

筆者は、宇垣纏、大西瀧治郎、山口多聞の三名を「海兵40期三羽烏」と呼びます。

宇垣纏に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

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海兵39期卒業の将星たち:左上から時計回りに、山県正郷、伊藤整一、高木武雄、西村祥治(Wikipedia)

そして、草鹿龍之介が海兵で先輩として仕えた39期もまた多数の将星達が登場しました。

卒業席次名前職務
5山県 正郷第26航空戦隊司令官
15伊藤 整一第二艦隊司令長官・軍令部次長
17高木 武雄第六艦隊司令長官
21西村 祥治第二戦隊司令官
26阿部 弘毅第11戦隊司令官
45角田 覚治第一航空艦隊司令長官
85原 忠一第五戦隊司令官
志摩 清英第五艦隊司令長官
岡 敬純海軍次官
海兵39期卒業生の卒業席次と大東亜戦争における主な職務

時期にもよりますが、上記の通り、縦横無尽に活躍したのが39期であり、「華の39期」とも言えます。

40期と比較すると、やや穏やかな人物が多いのが特徴であり、顔つきも40期とは明らかに違います。

海兵は「強面組」と「穏やか組」が交互に入れ替わる傾向が強かった、とも言われています。

その傾向は、39期と40期を見れば、確かにそうかとも思われます。

いずれにしても「華の39期」に、鉄拳制裁で「海兵の生徒らしさ」を叩き込まれた若き草鹿たち。

軍人勅諭を礼賛した草鹿龍之介:半月一月で海軍軍人基礎作る海兵教育

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カッター訓練(一海軍士官の半生記)
草鹿龍之介

新入生は、入校後二週間ほどは、
カッターの漕ぎ方と・・・

草鹿龍之介

執銃教練によって
鍛えられる。

「カッター」とは、小型の船であり、「短艇」とも呼ばれます。

草鹿龍之介

朝食はパン半斤と、
味噌汁一杯である。

草鹿龍之介

昼と夕は麦茶と
一菜である。

草鹿龍之介

初めの間は腹は減る、
体は疲れる。

草鹿龍之介

それかと言って惰容を示せば、
鉄拳である。

概ね16歳〜19歳の若者が、朝からずっと動くのに対して、「少ない食事」で過ごさせられました。

「食べ盛りの頃」にしては、いかにも少ない食事です。

草鹿龍之介

然し、これあるが為、半月一月の後には先ず、
しゃんとした海軍軍人の基礎が出来上がり・・・

草鹿龍之介

見違えるような
男になる。

たった「半月一月の後」には、「しゃんとした海軍軍人の基礎」が出来る教育でした。

これは、ある意味で際立って優れた教育とも言えます。

草鹿龍之介

この様な生活の中に、
機会あるごとに、軍人勅諭を読まされる。

草鹿龍之介

この勅諭は、今頃(当時)これを言うと、
多くの人は復古調であるとか・・・

草鹿龍之介

或いは軍人の智能の簡単さを軽侮する等であるが、
私は今でも金科玉条と心得ている。

草鹿龍之介

只に軍人のみならず、これ天地の公道であり
人倫の常径と考えている。

悪名高い軍人勅諭でしたが、草鹿龍之介は大いに礼賛しています。

草鹿龍之介

余談になるが、かつてこの軍人勅諭を、
ドイツのライプチヒ大学の学生に・・・

草鹿龍之介

私なりに解釈を加え、
書き送った。

草鹿龍之介

ところが、学生仲間にセンセーションを
巻き起こし・・・

草鹿龍之介

真剣なる討議の対象となった
事実を知っている。

草鹿龍之介

教育勅語も
そうである。

とにかく、現代では「全否定」の傾向が強い軍人勅諭と教育勅語。

多くの人は、内容も知らずに「ただ戦前のことだから」と全否定します。

それに対して、海外で「真剣なる討議の対象」となった事実を伝える草鹿。

1892年生まれの草鹿が、海軍兵学校に入学したのは1910年です。

この話を書いている2026年は、1910年から116年後の時代です。

そして、草鹿が海兵1年生だった1910年の116年前は1794年であり、バリバリの江戸時代です。

このことを考えれば、草鹿たちの海兵生活は「現代とは全然違う」ことになります。

その一方で、全てを「昔だから」「戦前だから」と切り捨てることもまた、問題です。

草鹿の「軍人勅諭礼賛」は、歴史の多様な見方を提起しているように感じます。

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