前回は「最初は皆恥ずかしかった「俺と貴様」〜遂に登場「鉄拳制裁の宣告」・優等生コンビ「山県正郷+伊藤整一」の指導・支那事変と航空隊〜」の話でした。

「懇切丁寧の世界」から「鉄拳の世界」へ:殴られた後「双方敬礼」

草鹿達41期生たちを指導する、二学年先輩の39期生達。
山県正郷貴様達は、入校以来既に二週間、
われわれ三学年生徒は・・・



実に懇切丁寧に色々のことを
教えて来た。



今にして尚教えたことが実行されないならば、
今後は腕を以て教える!



これは、一分隊伍長、即ち先任伍長の
鉄拳制裁の宣告であった。
「懇切丁寧」だった二週間に続き、「鉄拳制裁」の時代が始まりました。



どうも毎年同じ様なことを
言うらしい。



これから後は朝起きて体操のために
運動場に行く時でも・・・



駆足をしないと直に
叱られる。
とにかく「全ては駆足」が命ぜられた、41期生たち。
まだ16歳から19歳の現代の高校生〜大学生にとって、この環境は厳しいです。



見つけた
三学年は・・・



待て!



と、
怒鳴る。



態度が悪いと
鉄拳が飛ぶ。



ドカン!



殴られた方の要領は
既に教えられて居る。



殴られた後は
直に敬礼をする。



これは鉄拳を以て
教えてくれたのに対する礼である。



殴った方でも
これに答礼する。



中には殴られた者の帽子の位置を
直す者もある。



禅堂に於ける
警策とよく似ている。
この「殴られたら敬礼」、そして「殴った方も答礼」と言うのは、ある意味「すごい世界」です。
つまり、



おい、
貴様!



今、駆足
しなかったな!
このように三号生に見つかって、警告を受けた上でガツンとやられ、



・・・・・
殴られた痛さを我慢しつつ、必死に敬礼を行い、



・・・・・
殴った方も多少は手が痛い中、きちんと答礼した、のが海兵の伝統であり重要な教育でした。
現代の通常の教育においては、「論外」である鉄拳。
その鉄拳でしたが、「生きるか死ぬかを左右する軍隊指揮官」の教育では必須でした。
「命令服従の鉄則」叩き込まれた若き海兵生徒達:華族も百姓も平等





ある土曜日、
昼食後、私は便所に駆け付けた。



その入口で、
西村祥治君に型の如く殴られた。



これが私の殴られ
初めであった。
西村祥治は、後にレイテ沖海戦で司令官として指揮し、戦死しました。



おい、貴様!
今、駆け足ではなかったな!
山県正郷、伊藤整一に続き、西村祥治が登場し、後の連合艦隊・海軍省のスター達が続きます。
| 卒業席次 | 名前 |
| 5 | 山県 正郷 |
| 15 | 伊藤 整一 |
| 17 | 高木 武雄 |
| 21 | 西村 祥治 |
| 26 | 阿部 弘毅 |
| 45 | 角田 覚治 |
| 85 | 原 忠一 |
| ? | 志摩 清英 |
西村祥治は、山県正郷、伊藤整一ほどの優等生ではありませんが、海兵21位卒業は、かなり優秀でした。



私は第一学年第二部の部長
即ち級長であった為・・・



人よりも
少し余計殴られた。
「クラスのまとめ役」だった草鹿龍之介は、「見せしめ」として数多く殴られました。



遠くに居た
教官に、



頭ら右!



の敬礼をしなかったとか、
印刷所の所員を教官と間違えて・・・



部隊の敬礼をしたとか、
部長としての失敗を問われたからである。
一気に「鉄拳の世界」に突入した、若き草鹿は、戸惑いながら成長したようです。



然し、凡そ一週間に一回は、
一学年生徒が、三学年生徒でも、二学年生徒でも・・・



公然と殴り得る機会が
ある。



それは、土曜日の午後、大掃除の直後行われる
棒倒しの時である。



この時だけは、面と向かって
殴り得る。



この時と許りに、鬱憤を晴らす訳でも
ないが、思う存分やる。
「鉄拳」は「上級生が下級生のみ」でしたが、「下級生が上級生を殴れた」棒倒し。
棒倒しでは、「日頃やられた鉄拳」を奮起して、下級生が「やり返していた」ようです。
これは、高校生から大学生の男子生徒ならば「当然の心意気」であり、とにかく若者らしいです。



この鉄拳制裁は、やったりやられたりするが、
私憤を交えないから、後は光風斉月である。



妙な
ものである。
誰でも殴られたら、「殴った相手に怒りを感じる」のが当然です。
ところが、「私憤を交えない」ため、「殴られても、そういうもの」という「妙な世界」でした。



私が剣道の達人であろうが、
禅をやろうが・・・



或いはまた華族の子弟であろうが、
百姓の出であろうが・・・



命令服従の鉄則の下には、
一切平等である。



真箇服従の体験なき者は、
部下を指揮することは出来ない。
「何かといえば、鉄拳制裁」だった海兵の生活。
現代の普通の学校生活では、考えられない環境であり、教育理念から考えれば論外です。
その一方で、現代はなくなった華族という特権階級でも、百姓でも一緒であり「平等」でした。
そして、海兵の若き子弟たちは「平等に命令服従」の鉄則を叩き込まれて成長してゆきました。

