最初は皆恥ずかしかった「俺と貴様」〜遂に登場「鉄拳制裁の宣告」・優等生コンビ「山県正郷+伊藤整一」の指導・支那事変と航空隊〜|草鹿龍之介8・一海軍士官の半生記・エピソード

前回は「「海軍兵学校生徒を命ず」で始まった海兵生活〜人生初の正式命令・二つ上の伍長補伊藤整一との出会い・行き届すぎた規律と自治〜」の話でした。

新歴史紀行
草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)
目次

優等生コンビ「山県正郷+伊藤整一」の指導:支那事変と航空隊

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一海軍士官の半生記(草鹿龍之介 著、新歴史紀行)

海兵41期を卒業し、連合艦隊の中枢に居続けた草鹿龍之介の回想録「一海軍士官の半生記」。

この本は、実に赤裸々に草鹿が若い頃を語っています。

全てが「行き届きすぎた規律」の人生であった海軍兵学校。

草鹿龍之介

各分隊では三学年生の中の上席の者が、
伍長となり、次が伍長補となり・・・

草鹿龍之介

分隊員の自治生活の指導を
行うことになっていた。

教員による指導と同時に、皆が各分隊・ユニットに分かれて、自治生活を営みました。

草鹿龍之介

伍長は山県武(後、正郷)であり、
伍長補は伊藤整一であった。

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伊藤整一 伍長補(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

ここで、後に軍令部次長・第二艦隊司令長官となる伊藤整一が登場します。

伊藤整一に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

草鹿龍之介

早速先ず伍長より兵学校の伝統、
日常の規律等事細かに説明があった。

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山県正郷 第三連合航空隊司令官(Wikipedia)

伊藤整一と同じ39期生であり、若い頃から極めて優秀な人物だった山県正郷。

卒業席次名前
5山県 正郷
15伊藤 整一
17高木 武雄
21西村 祥治
26阿部 弘毅
45角田 覚治
85原 忠一
志摩 清英
海兵39期卒業生の卒業席次

ちょうど、大東亜戦争・第二次世界大戦の時に、「大幹部となる年齢」だった海兵39期。

海兵39期からは、多数の将星が登場しますが、それらの中で山県は成績トップでした。

「海兵の卒業席次が一生を左右する」軍令承行令に対しては、様々な声があります。

この時も「山県5位、伊藤15位」の席次がそのまま影響し、「山県伍長と伊藤伍長補」となりました。

後に第三連合航空隊司令官に就任し、支那(中国)を爆撃し続けた山県第三航空隊司令官。

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山口多聞第一連合航空隊司令官(Wikipedia)

少し後に一期下の山口多聞が第一連合航空隊司令官となり、支那事変で戦い続けました。

山口多聞に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

海軍兵学校卒業期名前専門役職
28永野 修身大砲軍令部総長
32山本 五十六航空連合艦隊司令長官
36南雲 忠一水雷第一航空艦隊司令長官
37小沢 治三郎航空南遣艦隊司令長官
39山県正郷航空第26航空戦隊司令官
39伊藤 整一大砲軍令部次長
40宇垣 纏大砲連合艦隊参謀長
40大西 瀧治郎航空第十一航空艦隊参謀長
40福留 繁大砲軍令部第一部長
40山口 多聞航空第二航空戦隊司令官
41草鹿 龍之介航空第一航空艦隊参謀長
連合艦隊・軍令部の専門・役職・海軍兵学校卒業期(1941年~1942年)

後に海軍省総務部長などを務め、ラバウルで第26航空戦隊司令官を務めた山県正郷。

そして、最後は中国軍に包囲されて割腹自決しました。

伊藤同様に、温厚そうで優等生肌だった山県。

山県・伊藤の「優等生コンビ」に、草鹿たち若き41期生は指導されることになりました。

最初は皆恥ずかしかった「俺と貴様」:遂に登場「鉄拳制裁の宣告」

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江田島の海軍兵学校(江田島 日本の海軍教育 別冊歴史読本 新人物往来社)
山県正郷

上級生に対しては
あなた、わたし・・・

山県正郷

同僚間では
俺、貴様と言う。

この突然登場した「俺、貴様」に対して、

草鹿龍之介

初めのうちは、誠に
気恥ずかしく板に付かぬ。

草鹿龍之介

昨日までは、「君僕」と言ったものが、
途端に「俺貴様」である。

確かに、突然友人同士で「俺貴様」と言うのは、いかに軍人目指した若者も恥ずかしかったようです。

山県正郷

動作は全て駆け足!
時間は必ず五分前!

ここで、有名な「全て駆け足」「必ず五分前」が登場しました。

草鹿龍之介

飯の食い方まで懇切丁寧、
手を取らん許りに教えてくれる。

草鹿龍之介

何と聞くと見るとは
大違いであった。

草鹿龍之介

然し早合点をしてはならぬ。
これは入校約二週間であった。

「丁寧」に対して「早合点はならぬ」と、やや警戒色を強めた文章となりました。

山県正郷

一学年生徒は
夕食後、八方園に集合!

草鹿龍之介

と、三学年生徒から
命ぜられた。

山県正郷

貴様達は、三千百人の中から
選ばれた秀才である。

草鹿たち41期生は概ね120名なので、3100/120=25.8なので、「約26倍の倍率」でした。

現代、中学受験から大学受験において、「約26倍の倍率」はありません。

この「倍率」に関しては、試験の難易度に応じて「ある程度ばらける」ことになります。

当時、東京帝国大学(東大)と同等、或いはそれ以上と言われた海軍兵学校の入学試験。

全国から優等生が集まり、「約26倍の倍率」では、極めて難関であったことが想像できます。

山県正郷

貴様達は、入校以来既に二週間、
われわれ三学年生徒は・・・

山県正郷

実に懇切丁寧に色々のことを
教えて来た。

山県正郷

今にして尚教えたことが実行されないならば、
今後は腕を以て教える!

草鹿龍之介

これは、一分隊伍長、即ち先任伍長の
鉄拳制裁の宣告であった。

ここで、当時の海兵・陸士で有名な「鉄拳制裁」が登場しました。

「懇切丁寧で行き届き過ぎた」海兵での生活が、にわかに「鉄拳制裁の通告」となりました。

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