前回は「「海軍兵学校生徒を命ず」で始まった海兵生活〜人生初の正式命令・二つ上の伍長補伊藤整一との出会い・行き届すぎた規律と自治〜」の話でした。

優等生コンビ「山県正郷+伊藤整一」の指導:支那事変と航空隊

海兵41期を卒業し、連合艦隊の中枢に居続けた草鹿龍之介の回想録「一海軍士官の半生記」。
この本は、実に赤裸々に草鹿が若い頃を語っています。
全てが「行き届きすぎた規律」の人生であった海軍兵学校。
草鹿龍之介各分隊では三学年生の中の上席の者が、
伍長となり、次が伍長補となり・・・



分隊員の自治生活の指導を
行うことになっていた。
教員による指導と同時に、皆が各分隊・ユニットに分かれて、自治生活を営みました。



伍長は山県武(後、正郷)であり、
伍長補は伊藤整一であった。


ここで、後に軍令部次長・第二艦隊司令長官となる伊藤整一が登場します。
伊藤整一に関する話を、上記リンクでご紹介しています。



早速先ず伍長より兵学校の伝統、
日常の規律等事細かに説明があった。


伊藤整一と同じ39期生であり、若い頃から極めて優秀な人物だった山県正郷。
| 卒業席次 | 名前 |
| 5 | 山県 正郷 |
| 15 | 伊藤 整一 |
| 17 | 高木 武雄 |
| 21 | 西村 祥治 |
| 26 | 阿部 弘毅 |
| 45 | 角田 覚治 |
| 85 | 原 忠一 |
| ? | 志摩 清英 |
ちょうど、大東亜戦争・第二次世界大戦の時に、「大幹部となる年齢」だった海兵39期。
海兵39期からは、多数の将星が登場しますが、それらの中で山県は成績トップでした。
「海兵の卒業席次が一生を左右する」軍令承行令に対しては、様々な声があります。
この時も「山県5位、伊藤15位」の席次がそのまま影響し、「山県伍長と伊藤伍長補」となりました。
後に第三連合航空隊司令官に就任し、支那(中国)を爆撃し続けた山県第三航空隊司令官。


少し後に一期下の山口多聞が第一連合航空隊司令官となり、支那事変で戦い続けました。
山口多聞に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
| 海軍兵学校卒業期 | 名前 | 専門 | 役職 |
| 28 | 永野 修身 | 大砲 | 軍令部総長 |
| 32 | 山本 五十六 | 航空 | 連合艦隊司令長官 |
| 36 | 南雲 忠一 | 水雷 | 第一航空艦隊司令長官 |
| 37 | 小沢 治三郎 | 航空 | 南遣艦隊司令長官 |
| 39 | 山県正郷 | 航空 | 第26航空戦隊司令官 |
| 39 | 伊藤 整一 | 大砲 | 軍令部次長 |
| 40 | 宇垣 纏 | 大砲 | 連合艦隊参謀長 |
| 40 | 大西 瀧治郎 | 航空 | 第十一航空艦隊参謀長 |
| 40 | 福留 繁 | 大砲 | 軍令部第一部長 |
| 40 | 山口 多聞 | 航空 | 第二航空戦隊司令官 |
| 41 | 草鹿 龍之介 | 航空 | 第一航空艦隊参謀長 |
後に海軍省総務部長などを務め、ラバウルで第26航空戦隊司令官を務めた山県正郷。
そして、最後は中国軍に包囲されて割腹自決しました。
伊藤同様に、温厚そうで優等生肌だった山県。
山県・伊藤の「優等生コンビ」に、草鹿たち若き41期生は指導されることになりました。
最初は皆恥ずかしかった「俺と貴様」:遂に登場「鉄拳制裁の宣告」





上級生に対しては
あなた、わたし・・・



同僚間では
俺、貴様と言う。
この突然登場した「俺、貴様」に対して、



初めのうちは、誠に
気恥ずかしく板に付かぬ。



昨日までは、「君僕」と言ったものが、
途端に「俺貴様」である。
確かに、突然友人同士で「俺貴様」と言うのは、いかに軍人目指した若者も恥ずかしかったようです。



動作は全て駆け足!
時間は必ず五分前!
ここで、有名な「全て駆け足」「必ず五分前」が登場しました。



飯の食い方まで懇切丁寧、
手を取らん許りに教えてくれる。



何と聞くと見るとは
大違いであった。



然し早合点をしてはならぬ。
これは入校約二週間であった。
「丁寧」に対して「早合点はならぬ」と、やや警戒色を強めた文章となりました。



一学年生徒は
夕食後、八方園に集合!



と、三学年生徒から
命ぜられた。



貴様達は、三千百人の中から
選ばれた秀才である。
草鹿たち41期生は概ね120名なので、3100/120=25.8なので、「約26倍の倍率」でした。
現代、中学受験から大学受験において、「約26倍の倍率」はありません。
この「倍率」に関しては、試験の難易度に応じて「ある程度ばらける」ことになります。
当時、東京帝国大学(東大)と同等、或いはそれ以上と言われた海軍兵学校の入学試験。
全国から優等生が集まり、「約26倍の倍率」では、極めて難関であったことが想像できます。



貴様達は、入校以来既に二週間、
われわれ三学年生徒は・・・



実に懇切丁寧に色々のことを
教えて来た。



今にして尚教えたことが実行されないならば、
今後は腕を以て教える!



これは、一分隊伍長、即ち先任伍長の
鉄拳制裁の宣告であった。
ここで、当時の海兵・陸士で有名な「鉄拳制裁」が登場しました。
「懇切丁寧で行き届き過ぎた」海兵での生活が、にわかに「鉄拳制裁の通告」となりました。



