「海軍兵学校生徒を命ず」で始まった海兵生活〜人生初の正式命令・二つ上の伍長補伊藤整一との出会い・行き届すぎた規律と自治〜|草鹿龍之介7・一海軍士官の半生記・エピソード

前回は「皆一様に「純情無垢の一年坊主」へ〜草鹿龍之介41期生徒の海兵開始・「若者らしさ」全開だったエリート生徒・海兵が江田島に置かれた理由〜」の話でした。

新歴史紀行
草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)
目次

「海軍兵学校生徒を命ず」で始まった海兵生活:人生初の正式命令

New Historical Voyage
一海軍士官の半生記(草鹿龍之介 著、新歴史紀行)

第二次世界大戦の時代に、帝国海軍の中枢に居続けた草鹿龍之介。

草鹿自身が、草鹿の反省を記録した「一海軍士官の半生記」には、草鹿の全人生が記録されています。

興味深いのは、草鹿が若かった頃の話であり、海軍兵学校(海兵)での話などが赤裸々に綴られています。

草鹿龍之介

一様に作業服を着せられると、
黒い着物と黒い袴で威張っていた豪傑も・・・

草鹿龍之介

物知り顔のおっさんも、
世故に長けた江戸っ子も・・・

草鹿龍之介

皆一様に純情無垢の一年坊主に
なってしまった・・・

全国から集まった優等生たち、超エリート青年たちは一様な「海兵一年生」となりました。

草鹿龍之介

当時、兵学校は
生徒全体を十二ヶ分隊に編成していた。

草鹿龍之介

一ヶ分隊にの中には三学年生徒から、
一学年生徒まで居る。

草鹿龍之介

そして、各分隊には
一名宛分隊監事が居る。

草鹿龍之介

各々少佐或いは大尉の
教官である。

草鹿龍之介

これら監事の指導の下に、
生徒は自治生活をして居る。

草鹿龍之介

この自治生活は、今日自由とか自治とか
行ってだらしない生活をしている学生等の・・・

草鹿龍之介

思いも及ばぬ整然たる
ものであった・・・

入校した16歳から19歳の若者たちが、十二の分体に分かれ、自治生活を開始しました。

ここで、少佐から大尉が「監事となって指導」が極めて重要です。

一般的な教官と異なり、「少し年上の、未来の自分」である監事たちが指導した自治教育。

ここに、海兵の教育方針の最も重要な部分があると考えます。

草鹿龍之介

私は第二分隊に
所属された。

草鹿龍之介

新入生徒は整列させられ、
吉松茂太郎校長から・・・

吉松茂太郎

海軍兵学校生徒を
命ず!

草鹿龍之介

と、
言われた。

ここで面白いのは、校長から「海軍兵学校生徒を命ず」と、新入生徒が言われた事実です。

「海兵生徒になりたい」がために、一生懸命受験勉強に励んだ海兵新入生徒たち。

そして、超難関の試験を合格した上で、「海軍兵学校生徒を命ぜられた」新入り生徒たち。

おそらく、「正式な命令」としては、人生初であったでしょう。

二つ上の伍長補・伊藤整一との出会い:行き届すぎた規律と自治

New Historical Voyage
江田島の海軍兵学校(江田島 日本の海軍教育 別冊歴史読本 新人物往来社)
草鹿龍之介

教頭兼監事長山県文蔵大佐から
訓示があり、教官を紹介された。

草鹿龍之介

その後、分隊付の教員芝貞行一等兵曹、
構内を案内した。

芝貞行

この扉をドアーという、
開け閉ての際、この取手を・・・

芝貞行

どちらでも廻すと
戸が開く。

芝貞行

自分の海軍に於ける
永年の経験によると・・・

芝貞行

海軍では総て上の者は
アッパーと言い・・・

芝貞行

下のものは
ロワァーという。

草鹿龍之介

これは少しどうか、と
思ったが、何につけても親切で・・・

草鹿龍之介

細かいところ迄
行き届いている。

草鹿龍之介

寝室でも温習所でも清潔で
整頓されており、窓の開け方・・・

草鹿龍之介

カーテンの絞り方迄、寸分
違わず整一にされて居る。

草鹿龍之介

全く感嘆させられること
許りであった。

草鹿龍之介

愈々自分等もこの中で、
自ら規律のある日々を送らねばならぬのであった。

現在の高校生から大学生に対して、「ドアの開け方」などまで丁寧に教える教員たち。

いわば「バカ丁寧」でありましたが、それは「行き届いた規律」を説明するためでした。

草鹿龍之介

各分隊では三学年生の中の上席の者が、
伍長となり、次が伍長補となり・・・

草鹿龍之介

分隊員の自治生活の指導を
行うことになっていた。

草鹿龍之介

伍長は山県武(後、正郷)であり、
伍長補は伊藤整一であった。

新歴史紀行
伊藤整一 伍長補(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

ここで、若き草鹿龍之介は、若き伊藤整一に指導されることになりました。

海軍兵学校卒業期名前専門役職
28永野 修身大砲軍令部総長
32山本 五十六航空連合艦隊司令長官
36南雲 忠一水雷第一航空艦隊司令長官
37小沢 治三郎航空南遣艦隊司令長官
39伊藤 整一大砲軍令部次長
40宇垣 纏大砲連合艦隊参謀長
40大西 瀧治郎航空第十一航空艦隊参謀長
40福留 繁大砲軍令部第一部長
40山口 多聞航空第二航空戦隊司令官
41草鹿 龍之介航空第一航空艦隊参謀長
連合艦隊・軍令部の専門・役職・海軍兵学校卒業期(1941年12月)

後に日米戦開戦時、真珠湾奇襲攻撃の際には、伊藤は軍令部次長、草鹿は第一空艦隊参謀長になります。

そして、1945年4月の戦艦大和特攻では、伊藤は第二艦隊司令長官、草鹿は連合艦隊参謀長でした。

何かと「縁が深い関係」となる、伊藤整一と草鹿龍之介。

その二人の「深い関係」は、すでに海軍兵学校に頃から芽生えていました。

草鹿の回想録には、この伊藤整一登場時点の伊藤に対する印象等の記載はありません。

おそらく、

草鹿龍之介(架空)

真面目で温厚そうな
人だな・・・

このような印象を持ったと思われます。

誰から見ても、「ジェントルマンの典型」であった伊藤整一。

彼こそ、若き下級生たちの模範として、うってつけの人物でした。

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