前回は「「最下級大名」から天下制した織田信長〜新たな「戦国の覇王」へ・「たった一日」だった関ヶ原の戦い・本能寺の変当時の足利義昭将軍〜」の話でした。
織田信長に関する様々な記録や資料たち:一次資料と二次資料

近代から現代にかけて、戦国大名に関する書物は多数あります。
具体的な統計を筆者は知りませんが、織田信長に関する書籍が最も多いと考えられます。
それらの書籍は、当時の様々な資料をもとに丹念に紐解いている書籍もあれば、「架空」の話も多いです。
現在2026年から考えると、信長が「本能寺」で横死した1582年は、444年前となります。
そして、当時の資料は限られていますが、様々な記録や日記などの資料が残されています。

近代以降は、歴史の重要人物自らの著作や独白録などがあり、これらが最も貴重な資料です。
昭和天皇独白録に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

信長に関する資料としては、第一級資料として「信長公記」が有名です。
「信長公記」は様々な現代語訳が出版されており、それらは平易な日本語で書かれています。
資料には、一次資料や二次資料などがあり、最も信頼性が高いのが一次資料です。
対象とする人物や出来事と同時期に作成された著作・記録・自伝・工芸品・日記など
「一次資料」は原則として、「対象とする時代に作成」です。
一次資料から引用した事実などが多い著作・記録・自伝・工芸品・日記など
対して、二次資料は「一次資料」となり、このプロセスにおいて、どうしても主観が入ります。
場合によっては、「意図的な作為」も入る可能性が高い可能性もあるのが二次資料です。
そして、「二次資料を引用」となると、三次資料・・・・となってゆきます。
この観点から考えると、「歴史の現実」を知るためには、「一次資料」は、ぜひ読みたいです。
その一方で「「一次資料を読む」ことは、比較的ハードルが高いのも事実です。
「一次資料をまとめた書籍」の方が読みやすく、理解が進む傾向があります。
信長に関しては、多数の資料・日記などがあり、フロイス「日本史」は重要です。
超一級資料のルイス・フロイス「日本史」:「信長公記」との違い

1532年に生まれたルイス・フロイスは、1548年に16歳の時に、イエズス会に入会しました。
Frois イエズス会の
教えを世界に広めたい・・・
若きフロイスは、ポルトガルに居た頃に、日本人にであった説があります。



遥か遠い
東洋のJapan・・・



行ってみたい
ものですね・・・
若い頃から、語学や文才の能力を買われていたフロイスは、日本に派遣されることになりました。



Japanに
行きましょう!
そして、1563年、31歳の時に九州に上陸したルイス・フロイス。
当時、外国人から見て「日本の入り口」は、ほとんどの場合、九州でした。


当時は、京・山城中心の国家像であり、九州からは船で上方へのアクセスもありました。



ここがJapan
ですか・・・
日本に来たフロイスは、積極的に布教に務めました。
そして、フロイスにとって、時代もまた「ちょうど良い」のが幸いしました。


フロイスが来日した1563年は、織田信長が盛んに美濃を攻撃していた時代でした。
信長に関する第一級資料である「信長公記」は、事実や出来事が詳細に記録されています。
中には、明らかな「時系列の誤認」もあり、「不自然な誤認」もあります。
そして、「信長公記」の大きな特徴は、「淡々と事実を語っている」点です。
筆者の太田牛一の感想などは、少ないです。
ある意味で、「面白みが少ない」のが「信長公記」ですが、「客観性は高い」のは事実です。
それに対して、フロイス「日本史」では、



彼(信長)は中くらいの
背丈で、華奢な体格であり・・・



髭は少なく、甚だ声は
快調で、極度に戦さを好み、



軍事的修練にいそしみ、
名誉心に富み・・・



正義において
厳格であった・・・
このように「信長の人物像」を端的に、そして「思い切り主観を入れて」記載しています。
中には、信長に対して「極めて辛辣な記述」も多数あるフロイス「日本史」。
これらの「人物像」などは、「フロイスの主観」であり、注意が必要な点があります。
また、彼の立場や記載当時の状況を考慮する必要があります。
これらを加味しても、むしろ「主観が入っている」点が面白く、「信長公記」より読みやすいです。
ある意味で、筆者はフロイス「日本史」は、信長および戦国期の超一級資料と考えます。
次回も、フロイス「日本史」を読み進めてゆきます。
次回は上記リンクです。



