「最下級大名」から天下制した織田信長〜新たな「戦国の覇王」へ・「たった一日」だった関ヶ原の戦い・本能寺の変当時の足利義昭将軍〜|ルイス・フロイス「日本史」1

前回は「若き日から卓越した軍事能力を誇示した織田信長〜多数の大勢力の中の中規模大名織田家・信秀の際立った軍事能力・信虎追放劇と晴信〜」の話でした。

目次

「たった一日」だった関ヶ原の戦い:本能寺の変当時の足利義昭将軍

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左上から時計回りに、徳川家康、石田三成、毛利輝元、加藤清正(歴史群像シリーズ55 石田三成 学研、Wikipedia)

後世の視点から見ると、間違いなく「天下分け目」の戦いとなった関ヶ原の戦い。

ところが、「たった一日」で終了したのが、不思議な点でした。

「関ヶ原」以前の「天下分け目」の戦いは、諸説ありますが、小牧・長久手の戦いです。

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戦国三大英雄:左上から反時計回りに、織田信長、羽柴(豊臣)秀吉、徳川家康(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)

本能寺の変で信長が横死した後、天下は乱れに乱れました。

当時は誰がどう考えても、織田家が天下を制覇するはずでした。

織田信長

この信長が
天下を治めるのだ!

そして、信長が「何を考えていたか」は諸説ありますが、「何らかの形」で君臨するはずでした。

その「君臨の形式」が、「征夷大将軍ではなかった」説が有力です。

その理由は、信長の織田家が「平氏を名乗っていた」ことでした。

征夷大将軍は「源氏であることが前提」であり、平氏は就任することは「原則不可」でした。

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第十五代足利将軍 足利義昭(Wikipedia)
足利義昭

征夷大将軍は
私なのだ!

信長が、征夷大将軍・足利義昭を京から追放した1573年を、「室町幕府の滅亡」と呼びます。

ところが、その一方で、足利義昭は、本能寺の変時点でも「現職の征夷大将軍」でした。

そのため、本能寺の変が勃発した1582年の時点では、

足利義昭

まだ、足利家主体の
室町幕府は健在なのだ!

当時は、「幕府」という言葉が存在しなかった説が有力ですが、室町幕府は「残存していた」とも言えます。

この頃、備後・鞆の地で「室町幕府らしき政治機構」を作っていた説が有力である義昭。

織田信長

今後、天下を制するにあたり、
義昭をどうするか・・・

1582年当時の信長にとって、悩みの種は「諸大名との決戦」よりも「義昭との関係」でした。

「最下級大名」から天下制した織田信長:新たな「戦国の覇王」へ

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左上から時計回りに、戦国大名 織田信長、今川義元、上杉謙信、武田信玄(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)

そして、信長は1582年当時、悩みに悩んでいたでしょう。

名前生年
毛利元就1497年
北条氏康1515年
今川義元1519年
武田信玄1521年
長尾景虎(上杉謙信)1530年
織田信長1534年
島津義弘1535年
羽柴秀吉1537年
長宗我部元親1539年
徳川家康1543年
本願寺顕如1543年
有名戦国大名の生年

多数の戦国大名たちとの「死闘」を制した「戦国の覇王」織田信長。

織田家の「最大の敵」は、諸説ありますが、一般的には「武田家か本願寺」です。

そして、武田信玄は信長の13歳年上であり、本願寺顕如は信長の9歳年下でした。

著名な戦国武将を挙げると上の表であり、比較的若者の信長は「ちょうど中間の年齢」とも言えます。

この「ちょうど中間の年齢」という立ち位置もまた、信長が天下を制した理由の一つと考えます。

守護・守護代・国衆(地侍)出身大名
守護島津家・武田家・大友家・今川家・大内家
守護代長尾家(上杉家)・朝倉家・尼子家・三好家
国衆(地侍)織田家・徳川家・毛利家・北条家・伊達家・(豊臣家)
戦国期の大名の家柄:守護・守護代・国衆(地侍)

そもそも、当時の「家柄」では、「最低ランクに近い」立場だったのが、信長の織田家でした。

戦国の世に「覇を唱えた」戦国大名は、ほとんどが主語または守護代出身でした。

信長の頃は、「家臣同然」の徳川家、「本当の家臣」であった羽柴(豊臣)家を除くと、

織田信長

守護でも守護代でもなく、
巨大勢力となったのは、我が織田と・・・

織田信長

毛利、北条、
伊達などか・・・

1582年当時、すでに北条家は「織田家に従属」であり、毛利も「もう少しで潰せる」状況でした。

伊達家は、織田家に誼を通じていましたが、「遠い陸奥の大名」でした。

伊達政宗が「暴れる前」であった当時、「大名として最下級レベルから天下を制した」のが信長でした。

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本能寺の変(歴史道vol.13 朝日新聞出版)

信長が「織田家の天下」を思い描いていた真っ只中に、本能寺の変が勃発しました。

その結果、世の中が乱れに乱れた後に、「再び幕府の時代」となった日本。

年号出来事
1185年源頼朝、守護・地頭を設置
1192年源頼朝、征夷大将軍に就任:鎌倉幕府創設
1333年鎌倉幕府滅亡
1336年足利尊氏、征夷大将軍に就任:室町幕府開設
1573年室町幕府滅亡(諸説あり)
1603年徳川家康、征夷大将軍に就任:江戸幕府開設
1867年徳川幕府滅亡(大政奉還)
三つの幕府の始まりと終わり

「平氏」を名乗っていた信長に対して、「源氏」を名乗っていた家康が幕府を開きました。

「幕府」という呼称は当時なく、「大公儀」または「大樹様」と呼ばれた将軍。

「信長の治世」は、ほんの短い時期で、近畿周辺で終わってしまいましたが、

織田信長

私は、これまでの「幕府」のような形式
とは違うことを考えていた・・・

おそらく、信長は幕府とは異なる「新たな治世の形式」を考えていたでしょう。

仮に、信長が、朝廷に対して「征夷大将軍就任」を早々に望んでいたら。

そんな「ifの歴史」があったら、「本能寺」は起こらなかったかも知れません。

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ルイス・フロイス「回想の織田信長」(新歴史紀行)

当時、織田信長と何度も間近で話した人物の一人にルイス・フロイスがいます。

フロイスは、イエズス会に毎年詳細な報告書を送付しており、様々な著作となって結実しています。

その一つが、ルイス・フロイス著作の「日本史」という書物です。

次回から、ルイス・フロイス「日本史」をもとに、信長の人物像や構想を考えてみます。

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