前回は「陸海軍の大方針を決めようとした松岡外相〜スターリンと日ソ中立条約・極めて重要な「第一級資料」大東亜戦争全史・服部卓四郎の思い〜」の話でした。
「小田原評定」化した帝国最高首脳会議:及川古志郎の謎の意見

1941年6月22日の独ソ戦勃発直後の6月27日、政府大本営は会議を続けていました。
政府からは近衛首相と松岡外相、大本営からは杉山参謀総長と永野軍令部総長のメンツでした。

諸外国と異なり、「帝国内部に二つの決定機関がある」ような体制だった大日本帝国。
そこで、政府・大本営から「代表者二名づつ」によって、迅速に方針を決定する必要がありました。
近衛文麿・・・・・
ところが、目立つのは「政府トップ」であるはずの近衛首相が、ほぼ無言であることです。



支那事変を、ある程度止めても、
北をやるのが良いのではないか。
それに対して、陸軍の大方針にまで介入する松岡外相。
ここで、本来「ツートップ同士話し合う」はずでしたが、東條陸相が割り込んできました。





支那事変は続いて
解決しなければならぬ。
東條陸相の視点から考えると、「支那事変を放って北へ」は論外でした。



世界戦争は
十年の問題だ・・・



この間に支那事変は
吹っ飛んでしまう・・・



この間に北をやるが
宜しい!
そして、主として陸軍に関する事項に、割って入ってきた及川海軍大臣。
漢籍に異常に詳しい及川大臣は、本来、海軍兵学校は校長あたりが相応しい存在でした。
実際に、海兵校長に就任した経験を持つ及川古志郎は、実務よりも教育に向いていたはずでした。
後世の視点から考えれば、「世界戦争は十年」は完全に誤りで、第二次世界大戦は六年で終了しました。
さらに「支那事変が吹っ飛ぶ」という謎の意見を出した及川海相。
もはや「会議は踊る」又は「小田原評定」の様相を呈してきました。
「日米交渉悲観論」を発した松岡洋右:「要検討」で終了した会議


この直前の1941年4月13日に、松岡外相は自ら主導した日ソ中立条約に署名。



吾輩は同義外交を
主張する。



三国同盟は
止められぬ。



日ソ中立条約は
初めから止めても良かった。
ここで、松岡外相は「謎の発言」をしました。
ここで、自分自身で強行した日ソ中立条約を「止めても良かった」と言い出した松岡外相。



・・・・・



・・・・・
これには、流石に東條陸相も及川海相も無言とならざるを得ませんでした。



吾輩は北を先にやることを
決め、これをドイツに通告したいと思う。
「ドイツから大日本帝国に正式な通告」がなかった独ソ戦。
それに対して、松岡外相は「あくまで道義外交」を主張し続けました。



道義外交は
尤もだが・・・



日本は現在、支那に大兵を
用いつつあって、実際は出来ぬ。
ついに杉山参謀総長は、「北攻撃は不可能」とハッキリ言いました。
第二の二
帝国は自存自衛上南方用域に対する各般の施策を促進す
之が為対英米戦準備を整へ、先づ「南方施策促進に関する件」に拠り仏印及泰に対する諸方策を完遂し以て南方進出の体制を強化す帝国は本号目的達成の為対英米戦を辞せず
第二の三
独ソ戦に対しては三国枢軸の精神を基調とするも暫く之に介入することなく密かに対ソ武力的準備を整へ自主的に対処す
独ソ戦争の推移帝国の為極めて有利に進展せば武力を行使して北方問題を解決し北辺の安定を確保す
第二の四
前号遂行に方り各種の施策就中武力行使の決定に際しては対英米戦争の基本態勢の保持に大なる支障なからしむ



「極めて有利」の
極めては嫌だ。
この松岡外相の指摘は、尤もでした。
「極めて有利」は、非常に主観的であり、基準が全く不明です。
この「極めて」の文章によって、今後の帝国政府・大本営の方針が決まる状況だった当時。



この状況は「極めて」
有利だろう?



いや、流石に「極めて」とまでは
言えないのでは?
このように「極めて」の解釈次第で、如何様にも変わってしまう可能性がある文章。
この文章を潰そうとした松岡外相の姿勢は、正しいものでした。
こういう「ハッキリした」点は、松岡洋右の真骨頂でした。
ただし、問題だったのは「ハッキリ決めた」ことをコロコロ変えた点であり、ここが松岡の最大の弱点でした。



ソを討つと
決められたい!



それは
いかぬ。



相当大きな問題ゆえ、
統帥部も考えよう。



大体、大本営案に
異存なし。
ここで、松岡外相は、急に折れました。



ただし、吾輩の意見を
入れるか、入れぬか。



外交のことは
これに加えよう。



それでは最後に「これに即応するよう
外交交渉を行う」と入れれば宜しい。
長い間協議した結果、「要検討」で終わりそうになった連絡懇談会という名の最高首脳会議。



外交をやれというても、米国との
工作はこれ以上続かぬと思う。
ここで、松岡外相は、日米交渉(対米交渉)に対して「かなり悲観的な意見」を発しました。
この「日米交渉悲観論」は、「正しい意見」であったことは歴史が証明しています。
次回は上記リンクです。


