陸海軍の大方針を決めようとした松岡外相〜スターリンと日ソ中立条約・極めて重要な「第一級資料」大東亜戦争全史・服部卓四郎の思い〜|陸海軍の迷走16・日米開戦と真珠湾へ

前回は「松岡洋右が若き頃に米国で受けた超衝撃〜「日本は支那の一つの州」という誤解・異様なほど巨大国家であり続けたアメリカ合衆国・50の強力な州の連合〜」の話でした。

目次

極めて重要な「第一級資料」大東亜戦争全史:服部卓四郎の思い

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大東亜戦争全史1(服部卓四郎 著、鱒書房)

戦後、陸軍大本営の中枢に居続けた服部卓四郎 陸軍大佐がまとめた「大東亜戦争全史」。

この本をまとめた服部卓四郎の意図は、「正しい歴史を残すこと」だったでしょう。

GHQの完全支配下にあった当時の時代において、この書籍を作成することは、

GHQ幹部P

Japanは、確かに
我がUSに対して、良く戦った・・・

GHQ幹部P

私が「逆の立場」だったら、
とてもここまで踏ん張れなかっただろう・・・

GHQ幹部P

Japanの戦いの
歴史は、きちんと記録に残しておくべきだ・・・

GHQ幹部の意向があったと思われます。

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大本営作戦課長 服部卓四郎 (Wikipedia)

陸軍の中枢にいて、「ほぼ全てを把握していた」稀有な人物である服部卓四郎。

戦争直後のことであり、「敗北の戦史」をまとめる役となったのが陸軍の「全てを把握していた」服部卓四郎でした。

服部自身の「敗北の歴史」を書くことでもあり、

服部卓四郎

私は、出来るだけ
正しい戦史を伝えたい・・・

特に、陸軍に関しては「多少割引く」必要があるかもしれません。

この「大東亜戦争全史」を読んで、まず思うことは「陸軍の弁護」が、あまり見受けられないことです。

ある程度「客観的に描写されている」雰囲気が伝わってくるのが、この「大東亜戦争全史」です。

この「客観性」には、事実上の「検閲をしていた」はずのGHQの意向もあるでしょう。

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大東亜戦争全史8(服部卓四郎 著、鱒書房)

そして、「大東亜戦争全史」を読んで驚くことは、極めて精緻であることです。

重要会議の各者の会話が、非常に緻密に記録されていることです。

辻政信と並び、「陸軍の悪」とされることが多い服部卓四郎。

この「大東亜戦争全史」を通読して思うことは、彼の頭脳の明晰さと緻密な事実の描写力です。

大東亜戦争全史に対して、筆者は極めて重要な「第一級資料」と考えます。

陸海軍の大方針を決めようとした松岡外相:スターリンと日ソ中立条約

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1941年6月頃の日本政府・大本営幹部:左上から時計回りに、松岡洋右外相、近衛文麿首相、永野修身軍令部総長、杉山元参謀総長(Wikipedia)

そして、「大東亜戦争全史」1巻には、対米戦前夜の政府・大本営大幹部の会話が記録されています。

この記録には、近衛首相・松岡外相・杉山参謀総長・永野軍令部総長が登場します。

軍の力が強かった当時、杉山と永野の主張が多いのは当然です。

その一方で、松岡外相が「ひたすら捲し立てている」印象を受けるのが、この頃の会議です。

1941年6月22日、独ソ戦が勃発し、大日本帝国は「抜本的方針の再検討」が必要となりました。

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日ソ中立条約(Wikipedia)

この直前の、1941年4月13日に、松岡外相は自ら主導した日ソ中立条約に署名。

日ソ中立条約は、1941年4月25日から発効となりました。

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日独伊三国同盟(Wikipedia)

そして、この頃ずっとドイツと仲良くしていた大日本帝国は、前年1940年に一線を超えました。

1940年9月27日に、ベルリンで調印された日独伊三国同盟。

つまり、1941年6月末時点では、「長い同盟国・ドイツ」と「最近から同盟国・ソ連」が戦争となりました。

これら全ての「同盟の流れ」は、事実上「松岡外相発」であったのでした。

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J.Stalinソビエト連邦指導者(書記長)
Stalin

Matsuokaさん、
ようこそSovietへ!

ソビエト連邦指導者であったスターリンからは、「異常な大歓迎」を受けた松岡外相。

そして、スターリンと熱い握手を交わして、日ソ中立条約に調印してから3ヶ月経過していませんでした。

ところが、松岡外相は、

松岡洋右

独ソ戦が
始まった以上・・・

松岡洋右

まずは、北をやり(攻撃)、
次に南に出よ!

しきりに「ソビエト攻撃」を主張していました。

松岡洋右

虎穴に入らずんば、
虎児を得ず!

もはや、「私の言う通りにしろ」とでも言いたげな雰囲気の松岡外相。

陸海軍部新国策案:1941年6月24日(抜粋)

第二の二

帝国は自存自衛上南方用域に対する各般の施策を促進す

之が為対英米戦準備を整へ、先づ「南方施策促進に関する件」に拠理仏印及泰に対する諸方策を完遂し以て南方進出の体制を強化す帝国は本号目的達成の為対英米戦を辞せず

第二の三

独ソ戦に対しては三国枢軸の精神を基調とするも暫く之に介入することなく密かに対ソ武力的準備を整へ自主的に対処す

独ソ戦争の推移帝国の為極めて有利に進展せば武力を行使して北方問題を解決し北辺の安定を確保す

第二の四

前号遂行に方り各種の施策就中武力行使の決定に際しては対英米戦争の基本態勢の保持に大なる支障なからしむ

松岡外相は、陸海軍部新国策案に対して「曖昧路線」を否定して、「北へ」を主張し続けていました。

東條英機

支那事変との
関係を如何にするか?

松岡洋右

昨年暮れまでは、
先ず南、次で北と思っていた。

松岡洋右

南をやれば、
支那は片付くと思っていたが駄目になった・・・

松岡洋右

北に進み、蒋介石に影響を及ぼし、
全面和平になるかも知れぬと思う・・・

この、松岡外相の「異様な北進楽観論」は謎でした。

仮に、帝国陸軍が北=ソ連に突き進んだとしても、そんなに事態は簡単ではありません。

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左上から反時計回りに、東條英機 陸相、杉山元 参謀総長、永野修身 軍令部総長、及川古志郎 海軍大臣(国立国会図書館)
東條英機

支那事変を止めても
北をやるのが良いと思うのか?

松岡洋右

ある程度止めても、
北をやるのが良いのではないか。

東條英機

何を勝手なことを
言っているのだ・・・

もはや、陸海軍に「指示をする」大元帥であるかのような松岡外相でした。

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