前回は「「関東に始まり、関東に終わった」北条家と北条氏康〜「一国一城の主人」となった北条早雲の野望・急速に発展する北条家・押し開いた「戦国の風雲の扉」〜」でした。
領土という「実を取った」伊勢宗瑞:伊豆から関東へ
北条家初代 北条早雲が関東に突然殴り込みをかけて、勢力を一気に拡張した北条家。
実は、北条早雲のそもそもの名前は、伊勢宗瑞であり「北条家」ではありませんでした。
代々、幕府の政所執事である伊勢家に「連なる立場」であったと言われる伊勢宗瑞。
ところが、「政所執事・伊勢家との関係」には諸説あり、個人的には「疑わしい」と考えます。
足利将軍にもなりうる
圧倒的家格の今川家に介入したぞ!
伊勢宗瑞殿のおかげで、
今川家は安泰です・・・
超名門・今川家のお家騒動に介入したため、「それなりの立場」であったとも考えられます。
一方で、時はすでに戦国時代に入りかけており、徐々に「実力第一」が浸透しつつあった時代。
超名門である今川家の内部事情に介入するには「相応の家柄」が必要ですが、
家柄も大事だが、
実際に「混乱を鎮められる」有能な人物が欲しい・・・
のが現実だったでしょう。
「謎多き武将」であった伊勢宗瑞は、のちの武田信玄・毛利元就等と伍す能力を有していました。
その宗瑞が「今川家に関わった」時、宗瑞が表立って関わったか、
名門の今川家だからこそ、相応の「家柄・家格」の人物に
私の知略を実行してもらえば良い・・・
と「裏方に回って、事態を動かした」可能性もあります。
当の伊勢宗瑞本人にとっては、
「今川家に介入した」事実は
今後活かせるかもしれないが・・・
もっと大事なのは、褒美として
ある程度の金銀がもらえる方が良い・・・
できれば、小さくても良いから
城と領地をもらえれば、最高なのだが・・・
と考えたでしょう。
その伊勢宗瑞の思惑通りに「ことが運んだ結果」として、
伊勢宗瑞殿に、
興国寺城をお任せしましょう!
となり、伊豆の興国寺城を得た 伊勢宗瑞。
伊勢宗瑞が「それなりの家柄の身分で、表立って今川家の騒動を鎮めた」ならば、
幕府名門の伊勢家出身の伊勢宗瑞殿には、
引き続き、今川家の中核を担って頂きたい!
となったでしょう。
いくら「足利将軍に次ぐ家柄」の今川家といっても、政所執事の家柄・影響力は重要です。
それなのに、「駿河ではない伊豆の領土を褒美として任された」伊勢宗瑞。
おそらくは、「政所執事の伊勢家に、遥かに遠いどこかに縁がある」程度の伊勢だったでしょう。
よし!
我が伊勢家の新たな幕開けだ!
現実的には「ちょっと田舎」であり「生産力も低い」伊豆の端っこから、勢力を急速に伸ばした宗瑞。
伊豆から、関東地方へ乗り込み、まずは相模を制圧してゆきました。
関東に殴り込んだ伊勢宗瑞率いる新参者・伊勢家
みるみる勢力を拡張した伊勢宗瑞の伊勢家には、二代目の氏綱が登場します。
早雲亡き後を継いだ氏綱もまた、かなりの名将でした。
「北条氏綱」が通り名ですが、家を次いでしばらくは「伊勢」でした。
領土を、
どんどん広げるのだ!
しばらくは伊豆と相模の運営に集中し、鎌倉鶴岡八幡宮の造営に着手します。
強固な地盤を築き始めた伊勢氏でしたが、由緒正しい上杉家から見れば、遥かに格下です。
突然登場してきた、「単なる暴れん坊」に過ぎない伊勢家。
平将門時代から「朴訥とした武士」の多い関東の国衆からは、白眼視されます。
なあなあ、
伊勢って誰?
知ってる?
いや、知らない・・・
最近、急に出てきたよな。
時は1523年。
武田信玄が、2年前に生まれました。
そして、謙信・信長・秀吉らは、まだ生まれていません。
名門の影響力が根強かった関東:「伊勢」の名の限定的影響力
まだまだ「戦国時代の初期」であった当時。
相模を完全に支配下においた伊勢氏は、さらに北上を続け、武蔵に侵攻します。
扇谷上杉氏に続き、山内上杉氏の領土にも侵攻する氏綱。
この氏綱に続け!
我らの勢力圏を広げるのだ!
「両上杉家」と言われますが、山内上杉家は、極めて格式のある家柄です。
北の上野にいたのは、関東管領の山内上杉氏。
つまり、「関東のボス」です。
名門の影響力が、まだまだ強かった関東地方。
その関東南部に、確固たる勢力を築いた伊勢家。
氏綱様に
従いまする・・・
新たに数多くの国衆を傘下に収めるものの、
そもそも、伊勢というのは
「関東とは関係ない」のでは?
と疑念の目で見られていることを、ヒシヒシと感じていた氏綱。
政治力も軍事的能力があるものの、そもそも「関東に関係ない」伊勢氏。
このままでは、
我らが支配するのは厳しい・・・・・
国衆の統率に、氏綱は悩みます。
武田家は、
甲斐守護だ!
長尾家は、
越後守護代だぞ!
・・・・・
我が伊勢は、
なんでもない・・・
室町幕府の高級官僚の家柄とも言われる「伊勢氏の遠縁」とも言われる伊勢家。
そもそも、様々な説もあり、確たる証拠もありません。
「関東の国人たちを束ねてゆき、勢力拡張したい」氏綱。
ところが、デキ星大名で権威のカケラもない「伊勢」では、統率力に大きな困難があります。
国衆を束ねるには、
どうするか・・・・・
北条ならぬ、伊勢氏綱(当時)は考え続けます。
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