「強面度」No.1だった宇垣纏〜「帝国海軍戦艦の超集大成」戦艦武蔵・「ジェントルマン」の帝国海軍軍人・引き裂かれた帝国陸海軍〜|宇垣纏5・能力・エピソード

前回は「戦艦の戦術と設計を考え続けた「黄金仮面」宇垣纏〜超弩級戦艦に夢を賭けた宇垣・帝国海軍航空隊「育ての親」山本五十六〜」の話でした。

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宇垣纏 連合艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)
目次

「ジェントルマン」の帝国海軍軍人:引き裂かれた帝国陸海軍

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戦艦大和(Wikipedia)

第二次世界大戦(太平洋戦争)に敗北した直後に解体された、帝国陸海軍。

どの国でも陸海軍は険悪ですが、帝国陸海軍の仲は「険悪を超えた」異常な仲だったようです。

この「帝国陸海軍の不仲」の原因は、それぞれが「全く異なった規範を求めた」ことが原因の一つです。

帝国陸海軍国家名
陸軍フランス(後にドイツ)
海軍大英帝国
帝国陸海軍の規範

欧米やソ連の陸海軍は、外国から学ぶことがあっても、「それぞれの国の雰囲気」が根幹にありました。

それに対して、当初は「海外から全てを直輸入」して成立したのが大日本帝国の陸海軍でした。

帝国陸軍

我が帝国陸軍は、
フランスを範とする!

帝国海軍

我が帝国海軍は、
大英帝国を範とする!

「帝国陸軍はフランスが模範」であり、「帝国海軍は大英帝国が模範」でした。

そのため、「同じ大日本帝国の軍隊」であったのに、陸海軍は「異なる国家」のようになりました。

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江田島の海軍兵学校(江田島 日本の海軍教育 別冊歴史読本 新人物往来社)
海軍兵学校

帝国海軍軍人は、
ジェントルマンたれ!

とにかく「大英帝国流」であった帝国海軍では、「ジェントルマンであること」が最も求められました。

そして、海軍兵学校では、若者たちに「ジェントルマンになる」ように教育しました。

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陸軍士官学校(Wikipedia)
陸軍士官学校

帝国陸軍の将校は、
超エリートなのだ!

それに対して、帝国陸軍では「超エリート」であることが刷り込まれた帝国陸軍将校たち。

陸軍士官学校では、「超エリートである」ことが繰り返し指導されました。

「フランス流vs英国流」の相違に「超エリートvsジェントルマン」が加わり、巨大な相違が生まれました。

その結果、帝国陸海軍は「引き裂かれた」と表現しても良いでしょう。

「強面度」No.1だった宇垣纏:「帝国海軍戦艦の超集大成」戦艦武蔵

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左上から時計回りに、永野修身 軍令部総長、山本五十六 連合艦隊司令長官、伊藤整一 軍令次長、小沢治三郎 南遣艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社、Wikipedia)

この巨大な相違のためか、帝国陸軍軍人には、比較的「強面の将校」が多いです。

それに対して、帝国海軍軍人には「強面の将校」は少なく、どことなく穏やかな雰囲気があります。

若い頃から問題児だった小沢治三郎は、少し強面ですが、陸軍将校よりも柔和な雰囲気です。

小沢治三郎に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

宇垣纏

この宇垣纏が
帝国海軍の戦艦を指揮するのだ!

そして、「強面度」では、おそらく帝国海軍No.1である宇垣纏。

宇垣纏は、海軍兵学校と同時に陸軍士官学校を受験し、両方に合格する快挙を果たしました。

設置年大学名
1868年陸軍士官学校(前身の兵学校)
1869年海軍兵学校(前身の海軍操練所)
1877年東京帝国大学(帝国大学)
1897年京都帝国大学
1907年東北帝国大学
1911年九州帝国大学
1918年北海道帝国大学
1924年京城帝国大学(韓国、のちに廃止)
1928年台北帝国大学(台湾、のちに廃止)
1931年大阪帝国大学
1939年名古屋帝国大学
海軍兵学校・陸軍士官学校・帝国大学設置年(Wikipedia)

現代の大学受験では東大が筆頭ですが、軍人が国家の根幹であった大正から昭和初期は異なりました。

陸軍士官学校と海軍兵学校は超難関であり、東大よりも難関だった説があります。

それにも関わらず、「海兵と陸士両方合格」を果たした宇垣は極めて優秀でした。

そして、「陸士にも合格した」点が、「帝国陸軍らしい雰囲気」も併せ持った理由かもしれません。

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世界で初めて完成した空母:空母 鳳翔(Wikipedia)

1922年に空母鳳翔を進水させ、その後次々と空母を建造、改造し続けた帝国海軍。

宇垣纏

確かに空母航空隊は
強力な力になりうる・・・

宇垣纏

だが、海戦は戦艦の
砲撃で最終的に決まるのだ!

宇垣纏

そのためには、超巨大戦艦を
我が帝国海軍が持つのだ!

時代は「戦艦から空母へ」と移行する時期に、帝国海軍で実務を続けていた宇垣。

宇垣にとって「大艦巨砲主義」は、信念を超えた「超信念」でした。

まさに、「大艦巨砲主義という概念を人間にした」ような存在であった宇垣は、

宇垣纏

とにかく、不沈の
超巨大戦艦で敵を倒す!

宇垣纏

巨大な砲弾による
砲撃で、敵を一瞬で倒して見せよう!

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戦艦大和(Wikipedia)

1938年、48歳ころの脂が乗り切った時期に軍令部第一部長に就任した宇垣。

前線の指揮官として模範的であった宇垣は、「軍令の事実上トップ」も適任でした。

この頃は、まだ日米関係が良好でしたが、帝国陸軍がドイツに傾倒しつつあった時期でした。

宇垣纏

我が帝国が、米英を
倒しうる戦力をつけるのだ!

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戦艦武蔵(Wikipedia)
宇垣纏

戦艦大和に続き、
戦艦武蔵を建造する!

1937年に建造が始まっていた戦艦大和は、さらに改良が加えられ「大和型」の建造が予定されていました。

その「大和型」二号が戦艦武蔵でした。

この頃、ちょうど軍令部第一部長であった宇垣は、武蔵の建造にかなり関わったと考えます。

宇垣纏

戦艦は第一に砲撃だが、
速力も重要だ・・・

宇垣纏

砲撃を的確に加えるには、
砲台をこのようにして・・・

綿密に考えることが好きであった宇垣は、細かく検討を加えたでしょう。

そして、戦艦武蔵は「帝国海軍戦艦の超集大成」となりました。

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