前回は「甘い認識だった松岡洋右外相〜日本に「独ソ戦」を事前に伝えたドイツ・世界四大ブロックの一つ「東亜の覇者」目指した大日本帝国〜」の話でした。
陸海軍共に「世界最強クラス」だった大日本帝国:超強気の永野総長

後世の視点から考えると、「対米戦開戦」または「太平洋戦争勃発」の1941年。
この年は、年初から近衛文麿首相率いる大日本帝国政府は、「米英との関係」に腐心していました。

米国との戦争は
絶対に避けなければ・・・
「米国との戦争を避けたい」と考えていた近衛首相でしたが、当時の帝国陸海軍は「膨張主義」でした。


明治維新を経て、大日本帝国となった日本は、日清・日露の戦争を勝ち抜きました。
日清戦争では、「アジアのボスであり続けた」清国(中国)に対して快勝。
日露戦争では、「世界トップクラスの大国」ロシアに対して、辛勝。
そして、第一次世界大戦では、日英同盟のために「ちょっと参戦して勝利」した大日本帝国。
いわば、大日本帝国は建国以来「敗北したことがない」国家でした。
そして、1941年頃は実際に強大な陸海軍を有し、共に「世界最強クラス」だった大日本帝国。
この頃の大日本帝国は「支那事変の収拾」が最重要課題でした。



なんとしても、
支那(中国)を、早々に屈服させねば・・・



そして、支那の莫大な
国土と資源を得たい・・・
支那事変は、帝国政府が正式に宣戦布告しなかったために「事変」でしたが、明確な「戦争」でした。


この頃、世界トップクラスの空母を有していた大日本帝国は、まもなく大和が竣工を迎える頃でした。
「古い世代」であった永野総長は、大艦巨砲主義的発想であり、



もうすぐ、世界最強の
戦艦大和も完成する!



我が帝国海軍は、
油さえあれば、最強です!
永野総長は、異常なほど超強気でした。
バルバロッサ作戦を「正式通告」しなかったドイツ:驚愕した帝国政府


1941年5月〜7月頃、近衛内閣が悪戦苦闘している少し前の同年4月に海軍は一大決断をしました。
世界で初めて「空母を集中運用する機動部隊」=第一航空艦隊(一航艦)の編成でした。
上の図では、真珠湾奇襲攻撃直前に一航艦に加わった瑞鶴・翔鶴も含まれています。
まだ瑞鶴・翔鶴が進水前だった1941年4月は、赤城・加賀・飛龍・蒼龍の四空母でした。
真珠湾の「六空母」と比較すると「四空母」は、少なく感じられます。
実は、この1941年当時に「正式空母四空母をまとめた艦隊」は、帝国海軍にしか存在しませんでした。
つまり、「世界でただ一つの超大規模機動部隊」であったのが、第一航空艦隊でした。



第一航空艦隊の
編成は、我が国が先鞭つけた!
「自称天才」であった永野総長は、確かに「理解力に優れた面」がありました。
そのため、「古い発想」でありながら、空母航空隊の力は「ある程度理解していた」でしょう。
ある意味では、「陸海軍ともに万全」だった大日本帝国。
あとは「外交をうまくこなせば、世界の覇者の一角であり続ける」ことが可能でした。


大東亜戦争全史1(服部卓四郎 著、鱒書房)には、永野総長の強気発言が多数描かれています。





我がGermanyの軍事力なら、
3,4ヶ月でSovietを屈服させられるだろう・・・
訪独していた松岡外相に対して、「ソ連侵攻」を通告したリッペンドロップ外相。
ところが、「本気とは思わなかった」松岡は、「釘刺しメッセージ」を伝えました。



今の国家情勢を考えると、
ドイツがソ連と武力的衝突は避けて欲しい・・・
この松岡の行動は、日本ならば「ある程度理解」出来ます。
ところが、「二元論」の欧米的発想では、「意味不明」でした。



まったく何なんだ・・・
こっちは「通告しただけ」なのだ・・・



まあ、仕方ないか、
一応真面目に返信しておくか・・・
松岡の「意味不明メッセージ」に対して、リッペンドロップ外相は真面目に答えました。



今や独ソ戦は
不可避である。



戦争となれば、2,3ヶ月で
作戦は終了し得ると確信する。
こうして「超強気発言」をしたリッペンドロップは続けて、



既に我が軍の配置は
完了し、ソ連と対峙している!
もはや「ソ連侵攻直前」であることを、松岡外相に明確に伝えました。
ドイツにとっては、外相であるリッペンドロップの松岡外相への通告が「正式通告」でした。
ところが、松岡外相は、



欧州で英国と
対峙しているドイツが・・・



ソ連に侵攻したら、
二面作戦になり、危険すぎる・・・



そもそも、ドイツは
ソ連と不可侵条約を締結している・・・



国家の信義を大きく落とし、
博打をするとは思えんが・・・
リッペンドロップの「正式通告」を独断で「ブラフ」と受け取った松岡外相。
この「甘すぎる」と同時に「不思議すぎる」姿勢こそが、大日本帝国の外交の裏側でした。





Sovietへ
侵攻開始!



バルバロッサ作戦と
名付ける!
そして、帝国政府に「正規な通告が済んでいる」と考えたヒトラーはソ連に侵攻しました。
1941年6月22日のことでした。
ドイツ政府からの事前の公式な通告が「なかった」帝国政府及び松岡外相。



まさか・・・
こんなことが・・・



ヒトラーが
本当にソ連に侵攻した・・・
驚愕したと同時に、ドイツ政府に対する不信感を高めた帝国政府。
この「間抜け」を超えた「不思議な外交の姿勢」こそが、当時に帝国政府の本質の一部でした。
そして、この外交の甘さこそが、方針の甘さにつながっていった大日本帝国。
後に、ミッドウェー海戦をはじめとして、「曖昧な方針」が続くことになります。