高杉晋作「西へ行く人を慕うて東行く」〜田中「今も眼底にありありと」・中岡「洛西の一奇才・高杉晋作!」・高杉「役人になるのは御免!」〜|維新風雲回顧録6・エピソード

前回は「中岡慎太郎「天下を興さんものは必ず薩長両藩」〜微動し始めた薩長の和・坂本龍馬と中岡慎太郎「薩長の感情を融和」・「あり得なかった」薩長同盟〜」の話でした。

目次

中岡「洛西の一奇才・高杉晋作!」:高杉「役人になるのは御免!」

左上から反時計回りに坂本龍馬、中岡慎太郎、桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作(国立国会図書館,Wikipedia)

幕末維新の志士たちの中では、かなり若手だった田中光顕は、昭和初期に回想録を著しました。

New Historical Voyage
維新風雲回顧録(田中光顕 著、新歴史紀行)

その名も「維新風雲回顧録」であり、実に面白い書籍です。

名前生年所属
大村 益次郎1825長州
西郷 隆盛1827薩摩
武市 瑞山1829土佐
大久保 利通1830薩摩
木戸 孝允1833長州
坂本 龍馬1835土佐
中岡 慎太郎1838土佐
山縣 有朋1838長州
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
伊藤 博文1841長州
田中 光顕1843土佐
幕末維新の志士たちの生年

志士の中で若手、というより下っぱだった伊藤俊輔(博文)よりも更に二歳年下だった田中。

中岡慎太郎

自今以後、天下を興さんものは、
必ず薩長両藩なるべし、

中岡慎太郎

吾思うに、天下近日の中に、
二藩の命に従うこと、

中岡慎太郎

鏡にかけて見るが
如し。

土佐藩を脱藩して、長州藩を頼っていた中岡慎太郎は、「時勢論」において、このように名言しました。

田中光顕は「予言」と書いていますが、「予言」というよりも「決意書」だった中岡「時勢論」。

田中光顕

この時、長州で、私が最も世話になったのは
高杉晋作である。

田中光顕

中岡は、

中岡慎太郎

兵に臨んで惑わず、機を見て動き、
奇を以って人に勝つものは高杉東行、

中岡慎太郎

是亦
洛西の一奇才!

田中光顕

と称賛しているが、彼は
長州に於ける人物のみならず、天下の人物である。

田中光顕

最初、私が、高杉に会うたのは、
文久三年春、国元から京都に出た時であった。

田中光顕

高杉は、当時、髪を剃って、
クリクリ坊主になって、

田中光顕

法衣のようなものをまとい、
短剣を一本指していると言うような風体。

田中光顕

それには
訳がある。

田中光顕

長藩では、彼を国元へ帰して、
政務座に抜擢しようとした。

田中光顕

ところが、
高杉は、

高杉晋作

役人になるのは
御免だ。

田中光顕

と
言い張った。

確かに、高杉晋作に「最も似合わない職業」は、役人でした。

高杉晋作「西へ行く人を慕うて東行く」:田中「今も眼底にありありと」

新歴史紀行
長州藩家老 周布政之助(Wikipedia)
周布政之助

高杉よ、
そこをなんとか・・・

高杉晋作

私には
役人など、とても・・・

田中光顕

藩の家老の周布政之助が
しきりに勧めたが、なんとしても聞き入れない。

高杉晋作

拙者は、是非とも、勤王の師を
起こして、幕府を倒さずにはおかぬ。

高杉晋作

役人になることなどは、
思いもよらぬ。

周布政之助

と言って、今、急に、
そうは行くまい。

周布政之助

段々時勢が進めば、
足下の望み通りの時機が参ろう。

周布政之助

まず、これから
十年は待つことだな。

田中光顕

周布が
そう言った。

高杉晋作

然らば、拙者に十年の
お暇を願いたい。

周布政之助

・・・・・

高杉晋作

さすれば、外にあって、
毛利家のために働きます。

周布政之助

それほど、足下が
熱心なら強ってとも参るまい。

周布政之助

十年の御暇は、
何とかして、取り計うて進ぜる。

高杉が突然要求した、有名な「十年の御暇」。

何とも突飛な話でしたが、家老であり真面目な性格だった周布政之助。

周布は、「十年の御暇」を請け負いました。

田中光顕

周布が中に入ったので、
君候からも御許が出た。

なんと、高杉自身が「到底難しい」と考えていたはずの「十年の御暇」。

それが、毛利家の君主が「認める」ことになりました。

田中光顕

そこで、彼は、すぐに
藩籍を脱して坊主となったのである。

高杉晋作

西へ行く人を
慕うて東行く。

高杉晋作

我心をば
神や知るらん。

田中光顕

これは此時の
述懐だ。

田中光顕

西へ行く人というのは
西行法師をさす。

田中光顕

西行法師が隠遁したのを
したって、反対の東へゆくという心持ちは、

田中光顕

神より外に知るものはない、
と言う諷意だ。

田中光顕

私と初対面の時は、
正にこういう際であって、

田中光顕

何でも場所は東山にある料亭で、
高杉は、首に頭陀袋をかけていた。

田中光顕

芸妓が寄って集って、
物珍しそうに、この新発意をからかい始めた。

突然「十年の御暇」を頂戴して、「東行」と名乗り、「首に頭陀袋」となった高杉晋作。

田中光顕

すると、高杉は
坊主頭を叩いて、謡い出したもんだ。

高杉晋作

坊主頭を叩いてみれば、
安い西瓜の音がする。

田中光顕

満座、笑い崩れて
しまった。

田中光顕

その剽逸な態度というものは、
今も尚、眼底にありありと残っている。

「あまりに突拍子もない」を超えて、誰もが理解不能だった高杉晋作。

田中光顕は、その高杉の姿を「今も尚、眼底にありありと残っている」と評しました。

そして、時代が高杉を求めることになります。

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