高杉晋作「吾々の腕前を御覧にいれる!」〜中岡を見送った坂本龍馬・田中光顕が存命中に語った「維新風雲録」・「伊藤公直話」との違い〜|維新風雲回顧録2・エピソード

前回は「田中光顕「維新風雲回顧録」語る様々な志士たち〜「倒幕」目指し薩長同盟画策した中岡慎太郎・「倒幕」と「討幕」・宮内大臣と書記官長〜」の話でした。

目次

田中光顕が存命中に語った「維新風雲録」:「伊藤公直話」との違い

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維新風雲回顧録(田中光顕 著、新歴史紀行)

幕末維新の志士たちを、晩年の80歳頃に語った田中光顕「維新風雲回顧録」。

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小松綠「伊藤公直話」(新歴史紀行)

1928年に出版された「維新風雲回顧録」は、1936年に出版された「伊藤公直話」と並ぶ重要記録です。

「伊藤公直話」に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

名前生年所属
大村 益次郎1825長州
西郷 隆盛1827薩摩
武市 瑞山1829土佐
大久保 利通1830薩摩
木戸 孝允1833長州
坂本 龍馬1835土佐
中岡 慎太郎1838土佐
山縣 有朋1838長州
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
伊藤 博文1841長州
田中 光顕1843土佐
幕末維新の志士たちの生年

土佐藩出身である田中光顕は、明治政府では陸軍へゆきました。

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内閣書記官長 田中光顕(国立国会図書館)

その後、宮内大臣、警視総監、内閣書記官長などを努めた田中光顕。

「長州閥の中心」であった伊藤博文より、地味な存在だったものの重要な足跡を残しました。

「伊藤公直話」は、伊藤の立場から、明治新政府の超大物の話が中心です。

それに対して、田中光顕「維新風雲回顧録」は、書名の通り「幕末維新の頃」を語っています。

「維新風雲回顧録」が重要な記録であることは、「維新風雲回顧録」が田中存命中に発売したことです。

「伊藤公直話」は、伊藤博文の死後27年後に、小松緑という人物が編纂して出版しました。

それに対し、当時の政府の超重鎮であった田中光顕存命中の出版ということは、信頼性が高いです。

「昭和」の時代に出版した「維新風雲回顧録」には、幕末の風雲がありありと記録されています。

前回に続いて、「天才高杉晋作」の章をご紹介します。

高杉晋作「吾々の腕前を御覧にいれる!」:中岡を見送った坂本龍馬

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土佐(脱藩)藩士 中岡慎太郎(Wikipedia)
中岡慎太郎

今日の場合、どうしても、薩州と長州とが
私怨を忘れて、提携せぬことには、

中岡慎太郎

倒幕運動は、
難しい。

中岡慎太郎

自分は坂本(龍馬)と共に、そのため、
折角両藩の有志に入説している

中岡慎太郎

足下にも、一骨折って貰おうと
思って、十津川から招いたわけである。

当時、「藩=国家」のような状況だった江戸時代の末期。

「天才高杉晋作」の章の冒頭には、田中光顕にとって大先輩の土佐・中岡慎太郎が登場します。

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土佐藩士 田中光顕(若い頃、Wikipedia)
田中光顕

無論、我々も
賛成だ。

そして、まだまだ若かった田中光顕は、大先輩・中岡慎太郎の「薩長同盟論」に大賛成しました。

田中光顕

相談は、一決して、私は中岡に随って、
直ちに長州へ降ることになった。

田中光顕

この時、坂本らは、京都に止まることになり、
中岡と私は、七月十九日に京都を出発した。

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土佐藩士(脱藩) 坂本龍馬(Wikipedia)
坂本龍馬

俺は京都に
留まるぜよ。

ここで、中岡とともに京都で暗躍していた坂本龍馬が登場します。

坂本龍馬は、京都に留まり、

田中光顕

坂本は、私共を伏見まで、
見送ってくれた。

ここで、「坂本龍馬が伏見まで見送ってくれた」事実を田中は明らかにしています。

後世のイメージでは、「見送る」イメージは薄い坂本龍馬。

実像の坂本龍馬は、人を見送るなど、細かな面もある人物でした。

田中光顕

折から、長州の国情は、私が
招賢閣に滞在した頃とは、ころり変わっていた。

田中光顕

蛤御門の一戦、武運拙く、会薩両藩のために、
敗られて帰国した正義党は、全く勢いを失した。

田中光顕

俗論党は、それ見たことか、と言わぬばかり、
益田、福原、国司三太夫の首を幕府に献し、

田中光顕

敬親父子も謹慎となり、大きな声で
談話をすることも差し控えるというような有様、

田中光顕

全く俗論党の
天下となり切った。

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長州藩主 毛利敬親(Wikipedia)
毛利敬親

しばらく
謹慎します・・・

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禁門の変(Wikipedia)

禁門の変で思い切り叩き潰された長州は、藩主が謹慎状態に追い込まれ、解体寸前となりました。

田中光顕

彼等はすすんで、奇兵隊をはじめ、
遊撃、南園、膺懲、御盾、八幡、集義、鴻城の諸隊をも

田中光顕

解散せしめようとしたので、これら諸隊の総督が
太田駅に集合した。

田中光顕

太田会議というのが
これだ。

田中光顕

筑前に亡命中の高杉晋作は、
故国の急を聞き、

田中光顕

孤憤、措く能はずして、
単身、海峡を渡って、馬関に乗り込んだ。

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長州藩士 高杉晋作(国立国会図書館)
高杉晋作

長州、尚男子あり、
吾々の腕前を御覧にいれる!

そして、いよいよ歴史の表舞台に「幕末の戦神」ともいうべき高杉晋作が登場しました。

俗論党に追い立てられ、長州から海を渡って、海の向こうの筑前に逃亡していた高杉。

高杉は単身帰国し、馬関で決起しました。

ここから、幕末維新の新たな章が始まった、と言って良いでしょう。

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