前回は「大久保利通と川路利良が使用した「凄まじい隠語」〜坊主と一向宗と黒砂糖・薩摩の蠢動と薩摩軍団オールスター・大久保を「止めた」伊藤博文〜」の話でした。
「伊藤公直話」の信頼性:「軍人バッコ」二・二六事件の年に発刊

伊藤博文が「話した内容」をまとめた「伊藤公直話」という本があります。
この本は、「伊藤博文が直接著した」のではなく、小松緑という人物がまとめています。
そのため、「伊藤が本当に話した内容なのかどうか」は、少し疑問符がつきます。
その一方で、読んでみると、「いかにも伊藤が言いそうなこと」が多数あります。
そして、「直話」というタイトル通り、口語体そのものであり、とっても読みやすい内容です。

1936年(昭和11年)7月20日に発売された、この「伊藤公直話」という本。
1936年と言えば、真っ先に「二・二六事件」が思い浮かびます。
1936年2月に、陸軍将校による大規模な決起事件が勃発した「二・二六事件」。
当時の大日本帝国は、極めて不安定な状況にありました。
そして、1931年の満洲事変から5年経過し、軍部の横暴さが目立ってきた頃でした。

昭和天皇今度の時はあたかも
第一次世界大戦の独国の如く・・・



軍人がバッコして
大局を考えず・・・



進むを知って
退くことを知らなかったからです。
このように昭和天皇が、軍人が「バッコしていた」と表現した昭和の時代。
この時代は、何か軍部に逆らうと「即座に消される・殺される」空気が蔓延していました。
昭和天皇が、軍人バッコに関して語った話を、上記リンクでご紹介しています。
明治政府の巨頭であり、明治天皇とも極めて近い存在だった伊藤博文。
その「伊藤の話」として、「虚偽の内容」を発刊することは極めて困難だったはずです。
仮に「明らかに虚偽の内容」が記載されている場合、伊藤を慕う人物に狙われた可能性が高いです。
このことを考えても、この「伊藤公直話」は信頼性が高いと考えます。
初代内閣総理大臣・伊藤博文の赤裸々な告白:爆発的に売れた本


この「伊藤公直話」は、猛烈な勢いで版を重ねているのが特徴的です。
昭和11年7月15日第一版、その後、7月20日再版、7月27日第三版、7月29日第四版・・・
とにかく、凄まじい勢いで再版を続けていた書籍でした。
それほど、当時は「爆発的に売れた」のが「伊藤公直話」でした。





この伊藤博文は、
初代内閣総理大臣なのだ・・・



私は、1885年12月22日に
初代内閣総理大臣となった・・・
44歳2ヶ月で、総理大臣に就任した伊藤博文。
若さでは、近衛文麿が続きます。
おそらく、「若さ」において、伊藤博文は永遠に「日本の総理大臣トップ」でしょう。
戦前と戦後で憲法が変わった、我が国・日本。
憲法が「変わった」という程度ではなく、「根本的に変わった」と表現しても良いほど変わりました。
さらに、この「憲法が変わった」のは自主的ではなく「米国に無理やり変えさせられた」のでした。
加えて、「新憲法は米国が作成した」こともまた事実です。
| 大日本帝国憲法 | 日本国憲法 | |
| 公布 | 1889年(戦前・明治時代) | 1946年(戦後・昭和時代) |
| 主権 | 天皇 | 国民 |
| 天皇 | 神聖不可侵の元首 | 日本国民統合の象徴 |
| 戦争 | 天皇が陸海軍を率いる | 戦争を放棄 |
| 軍隊 | 国民に兵役義務 | 交戦権否定 |
1889年に、大日本帝国憲法が交付されました。



我が内閣は、
憲法公布の下準備が最重要であった・・・
第一次伊藤内閣発足後の4年後に、大日本帝国憲法交付となりました。
そのため、伊藤は何がなんでも憲法公布に情熱を燃やしていました。
1888年には、



私は憲法公布に
集中するため・・・



枢密院を開設し、
枢密院議長となる・・・



後継は、黒田清隆に
任せよう・・・
在職3年余りで総理を辞任し、枢密院議長となった伊藤博文。
その後も、「政界最大の重鎮」として生き続け、1909年、韓国で暗殺されました。
次回は、伊藤公直話の具体的内容を見てゆきます。


