前回は「「皆はらから」平和の歌詠んだ昭和天皇〜「原案通り粛々決定」国策・「暴力犯」帝国陸軍と「知能犯」帝国海軍・皇族も主戦派中心の状況〜」の話でした。
後継首相「極秘の御前会議」を知る者に限定:突然辞職した近衛首相

1941年9月6日の御前会議で国策が決定する際、強い懸念を表明した昭和天皇。

伏見宮即、近衛、及川、永野、豊田(貞次郎外相)、
杉山、東條の六人を並べて、戦争可否論をさせ、



もし、和戦両論が半々であったらば、
戦争論に決定してくれ。





ここは
戦争に踏み切るべきです!
皇族内部にも主戦派が広がる中、和平派・昭和天皇は、極めて苦しい状況に置かれていました。


当時のことを、敗戦翌年の1946年に、昭和天皇は詳細に語っています。



確固たる信念と勇気とを欠いた近衛は、
一面九月六日の御前会議の決定に縛られて、



・・・・・



この間の処理に非常に苦しみ、
遂に辞表を提出して総辞職となった。



もはやどうにもなりませんので、
総辞職します。
そして、三度目の組閣であった近衛文麿首相は、突然総辞職してしまいました。
ほとんど「投げ出す」様な状況の総辞職でした。
これに対して、昭和天皇は「信念と勇気とを欠いた」と近衛を批判しています。



近衛の辞職は、表面陸軍との衝突という
ことになっているが、



事実は、か様な処に、彼の苦衷が
あったのである。



戦争に、
私は自信はない。



自信ある人に、
やってもらわねばならん。
もはや、誰が見ても「日米戦争必至」の中、近衛首相は、突然1941年10月16日に辞職しました。
そして、現代のように内閣総理大臣は「選挙で選ぶ」ではなく、「天皇の指名」だった当時。



そこで、後継首相の人選であるが、
九月六日の御前会議の内容を知った者でなければならぬし、



且又、陸軍を抑え得る力のあるものである
ことを必要とした。



会議の内容は極秘となっているから、
内容を知った者といえば、



会議に出席した者の中から
選ばねばならぬ。
ここで、「後継首相を決定する」立場にあった主権者・昭和天皇。
その人選は、「極秘の御前会議」を知る者に限定されました。
東條英機「陸軍を抑える」期待した昭和天皇:御前会議白紙還元の行方


「御前会議出席者」に限定されることになった後継首相。



東條、及川、豊田が候補に上がったが、
海軍は首相を出すことに絶対に反対であったので、



東條が首相に選ばれることに
なったのである。
ここで、昭和天皇は、「海軍は首相を出すことに絶対に反対」だった事実を明らかにしました。
こうして考えると、確かに「東條英機しか選択肢がない」状況でした。
1.九月六日の御前会議出席者
2.帝国陸軍を抑えられる者
3.帝国海軍はなし


そして、東條英機陸相が、新たな内閣総理大臣に決定しました。



東條という人物は、先に
陸軍大臣時代に、



大命に反して、北仏印進駐をした責任者を
免職して、英断を振るった事もあるし、



又、宮中の小火事と共に田中東京警備司令官、田尻近衛師団長、
賀陽宮旅団長以下を免職した事もあり、



よく陸軍部内の人心を把握したので、
この男ならば、組閣の際に、条件をさえ付けておけば、



陸軍を抑えて順調に事を
運んで行くだろうと思った。
敗戦翌年の時点で、昭和天皇はハッキリと「東條英機への期待」を語っていました。



それで東條に組閣の大命を下すに
当たり、憲法を遵守すべき事、



陸海軍は協力を
一層密にする事、及び、



時局は極めて重大なる事態に直面せるもの
と思う、ということを特に付け加えた。



時局は極めて重大なる事態に直面せるものと思うと
云う事は、九月六日の御前会議の決定を白紙に還して、



平和になる様、極力尽力せよと云う事なのだが、
之は木戸をして東條に説明させた。


ここで、昭和天皇は、東條新首相に対し、自ら、ではなく、木戸幸一内大臣に説明をさせました。
「九月六日御前会議白紙撤回」を。



九月六日の御前会議決定は
白紙還元だ。



はっ、
御上の思し召しとあらば。
当時、「天皇陛下第一」であり、「忠誠を極める」という意味の「忠狂」とも言われた説がある東條英機。
その東條英機に対し、昭和天皇は、



東條ならば、陸軍を抑えて、
平和へ、なんとか持っていけるか・・・
「大日本帝国を平和へ導くこと」を期待して、新首相に任命しました。





Japanの、新たなPMは
Tojoだと?



Tojoとは、
誰だ?



Japanの陸軍の
ボスです。



なんと・・・
ということは、



Japanは、いよいよ我が国と
戦争を決めた、か・・・



おそらく、
そういうこと、かと・・・
ところが、ルーズベルト大統領はじめ、諸外国は「大日本帝国政府が戦争決定」と見たのでした。
昭和天皇の御心は、諸外国に対して「正反対のメッセージ」となってしまったのでした。

