前回は「Noを言えない天皇と憲法の慣習法〜東京裁判における木戸発言・「謎の影響力」を有した木戸幸一内大臣・元老不在と東條首相推薦〜」の話でした。
日本の歴史に太い筋を入れる「昭和天皇独白録」:最重要時代「昭和」

昭和天皇が敗戦直後の1946年3月〜4月に、昭和天皇は側近に語った独白録。
この独白録は、敗戦直後の混乱期に出版されるはずもありませんでした。
そして、日本が復興し始めた頃にも出版されませんでした。
さらに、日本が異常に加熱して、一気に世界に躍り出たバブル期にも出版されませんでした。
この「昭和天皇独白録」が出版されたのは、昭和天皇が崩御した翌々年の1991年に出版されました。
「昭和天皇の肉声を言語化した書籍」であり「赤裸々な告白」である書籍。
内容に関しては、かなり綿密な検討が加えられ、出版された事項は一部と思われます。
戦時中、そして1945年8月までは「神」であった昭和天皇。
その人が語る様々な昭和の出来事、戦時中の出来事は、「全てを知る人物」だからこそ価値があります。
戦前まで「全てを知った神」だった昭和天皇の言葉は、最上級の価値があります。
場合によっては、多少の修正が加えられ、「都合の良い歴史」となっている可能性がある、この独白録。
全体を読んでみると、不整合な部分がほぼなく、極めて正当性が高いと考えます。
この「昭和天皇独白録」は、日本の歴史において、大事な、極めて太い一本の筋を入れると考えます。
日本の歴史の最も大事な時代である「昭和の時代」において。
昭和天皇の「・・しよ〜」という強力な決意:支那事変と三国同盟

昭和の時代は、当時、大日本帝国という国名だった日本にとって、「戦争の歴史」でした。
日清・日露で勝利した大日本帝国は、ひたすら覇権国となり、国家が膨張し続けました。
当時、「支那」と呼んでいた中国で戦線を広げ、傀儡政権・満洲国を樹立した大日本帝国。

そして、日独伊三国同盟を締結したことが、日米戦争の「直接の原因」という説が有力です。
その一方で、この三国同盟に対する、当時の大日本帝国政府大幹部の考えは、実に様々でした。
いずれにしても、支那事変から日独伊三国同盟に繋がったのは間違いありません。
今回は、昭和天皇の「支那事変と三国同盟」に対する本音を考えてみます。

昭和天皇(昭和)十二年(1937年)の初夏の頃、
北支(北中国)に於ける、日支間の対立は・・・



兪と先鋭化し、
宋子文支配下の税警団が天津を包囲した・・・
1931年に、満洲事変勃発後、日支間(日中間)は、対立の度合いを深めていました。
これは、支那(中国)から考えれば、「攻め込まれていた」ので当然の論理でした。





この軍隊は名は税警団に
過ぎないが・・・



その実、新式武装を施した
精鋭な宋家一家の私兵的なものである・・・
「宋子文の税警団」は、かなり細かな知識ですが、昭和天皇は敗戦後にも明瞭に覚えていました。
至る所に、頭脳明晰さを見せている昭和天皇は、とにかく細かな事項をきちんと覚えていました。



日支関係は正に一触即発の
状況であったから・・・



私はなんとかして、
蒋介石と妥協しよー(ママ)と思い・・・



杉山(元)陸軍大臣と
閑院宮参謀総長を呼んだ・・・
ここで、特徴的なのは「蒋介石と妥協しよー(ママ)」と記載あることです。
一般的には「蒋介石と妥協しよう、と」と記載する文章を、わざわざこのように記載しています。
これは「(ママ)」という注釈がある通り、「当時の言葉のママ」を指します。
「昭和天皇独白録」には、他にも



〜しよー(ママ)
と・・・
このように記載ある箇所があります。
これは、当時あまりに口語的であり、「天皇の言葉らしくない」と考え、検討したと考えます。
その結果、「昭和天皇の言葉通り」として、「(ママ)をつけた」と考えます。
この「〜しよー(ママ)」というのは、とても分かりやすく、筆者は好感を持ちます。
とにかく、「最高権力者」であり「神」でありながら、「決定権を持たなかった」昭和天皇。



私はなんとかして、
蒋介石と妥協しよー(ママ)と思い・・・
この「〜しよー(ママ)」という言葉にこそ、昭和天皇の強い意志が明示されていると考えます。
戦後、気さくな人柄を見せ続け、圧倒的な人気と存在感を誇った昭和天皇。
その「気さくさ」が現れていると同時に、「隠れた強い意志」を見せつけていた昭和天皇の言葉。
そして、確かに「蒋介石との妥協」こそが、大日本帝国の「歴史の分岐点」でありました。

