前回は「軍部と一緒に走った大日本帝国臣民〜「米国倒せ!」の怒号と熱気・国民的憤激に油注いだ米国「排日移民法」・「対岸の火事」欧州大戦〜」の話でした。
「謎の影響力」を有した木戸幸一内大臣:元老不在と東條首相推薦

今回は、戦前において、「謎の影響力」を有した木戸幸一 内大臣に関する話です。

「木戸」という変わった名前が示す通り、「木戸孝允の妹の子」が父で「木戸孝允は大叔父」になります。
・薩摩:西郷隆盛・大久保利通
・長州:木戸孝允
・公家:岩倉具視
明治維新の四傑の最大の人物だった西郷隆盛は、西南戦争を引き起こし、一時は賊となりました。
その後、大日本帝国憲法制定の際に恩赦されましたが、西郷一族の影響力は大きくダウンしました。
明治中期以降は、政治の世界においては、伊藤博文、山縣有朋ら長州閥が強くなってゆきます。
その影響もあってか、木戸孝允に連なる木戸幸一は、異様なほどの影響力を持っていました。
| 名前 | 生年 | 役職 |
| 杉山 元 | 1880 | 参謀総長 |
| 松岡 洋右 | 1880 | 外務大臣 |
| 永野 修身 | 1880 | 軍令部総長 |
| 木戸幸一 | 1889 | 内大臣 |
| 近衛 文麿 | 1891 | 総理大臣 |
| 昭和天皇 | 1901 | 天皇 |
1889年生まれで、昭和天皇の12歳年上の木戸幸一。
若い頃から勉強家だった木戸幸一は、京都帝国大学を卒業し、農商務省で勤務しました。
「内大臣」という役職の人物は、実は権力がありそうで、あまりない名誉職でした。

かつては「元老が首相を推薦」していましたが、元老は西園寺公望が最後となりました。
「元老不在」の中、内大臣の木戸幸一が「元老代理」のような存在となりました。
そして、1941年10月の近衛内閣崩壊時には、
木戸幸一次期首相は
東條が良いかと・・・



そうか・・・
東條か・・・
「東條首相」を推薦し、事実上「東條内閣を生んだ」のが木戸でした。
Noを言えない天皇と憲法の慣習法:東京裁判における木戸発言


昭和天皇独白録において、



所謂午前会議というものは、
おかしなものである。



全く形式的なもので、
天皇には会議の空気を支配する決定権は・・・



ない・・・
このように「御前会議=全く形式」と語った昭和天皇。
本書では、木戸内大臣が東京裁判で「昭和天皇と御前会議」に関して語った記録があります。



国務大臣の輔弼によって、
国家の意思は初めて完成するので・・・



輔弼とともに
御裁可はある・・・



そこで、陛下としては、
いろいろ(事前には)ご注意とか・・・



御戒告とかを
遊ばすが・・・



一度政府で決して参ったものは、
これを御拒否にならないというのが・・・



明治以来の日本の
天皇の態度である・・・
つまり、事前報告に対して「注意・戒告」はあっても、決定事項は「そのまま」だった昭和天皇。



これが日本憲法の実際の運用の
上から成立したところの・・・



いわば慣習法
である・・・
そして、天皇には「拒否権は一切ない」というのが「慣習法であった」ことを説明した木戸幸一。
| 大日本帝国憲法 | 日本国憲法 | |
| 公布 | 1889年(戦前・明治時代) | 1946年(戦後・昭和時代) |
| 主権 | 天皇 | 国民 |
| 天皇 | 神聖不可侵の元首 | 日本国民統合の象徴 |
| 戦争 | 天皇が陸海軍を率いる | 戦争を放棄 |
| 軍隊 | 国民に兵役義務 | 交戦権否定 |
上の表は、大日本帝国憲法と現行憲法の相違点をまとめた表です。
「主権」は天皇であり「神聖不可侵の元首」でしたが、「拒否権を持たない」という存在でした。





私がNoと
言えば、「終わり」なのだ!



このHitlerが
全てを決定する!



私は首相だが、
大統領並みの権限がある!



Sovietでは、
私に反論する人間は皆無!
当時の世界列強のトップは、異様に強い指導権・拒否権を有していました。
これに対して、大日本帝国トップの昭和天皇が「拒否権を有さなかった」こと。
| 帝国政府 | 帝国陸海軍・軍部 | |
| 行政権 | 輔弼 | – |
| 統帥権 | – | 輔翼 |
そして、行政権と統帥権において、帝国政府が輔弼、帝国陸海軍が輔翼していました。
このように、諸外国とは、決定的に異なる「曖昧な行政・統帥形態」だったのが大日本帝国でした。

