前回は「竹中重治 1〜智清将半兵衛登場〜」の話でした。

安藤守就の協力の元、一度は稲葉山城を奪取した重治。
信長の申し出を拒絶して、斎藤家に城を返します。

私と安藤では、
美濃の国衆がついてこない・・・
この後、織田信長の度々の美濃侵攻に対して、重治が「十面埋伏の計」で信長を悩ました逸話もあります。
これは後世の創作でしょう。


一度は城盗りをしたので、周囲の見る目はちょっと厳しくなっていたでしょう。
安藤守就共々、斎藤家とは少し距離を持っていた竹中重治。
そして、氏家卜全、稲葉一鉄、安藤守就の西美濃三人衆が信長側についたことが決定打となり、稲葉山城が落とされます。
そして、美濃は織田家のものとなります。
重治は秀吉に「三顧の礼」で迎えられます。
少し誇張ありとしても秀吉は知略に富んだ重治を配下に加え、嬉しかったでしょう。
そして、秀吉とともに重治の飛躍が始まります。


美濃を取り、上洛した信長は朝倉義景を攻め、浅井氏の離反を招きます。
浅井・朝倉と鋭く対立した織田家にあって、羽柴秀吉は近江最前線で戦いながら、多くの武将を調略します。


浅井滅亡後も秀吉を支え続け、秀吉と共に飛躍します。
秀吉のほぼ全ての作戦に強く関与して、羽柴家の屋台骨を支え続ける重治。
その活躍の白眉は、黒田孝高の息子松寿丸(後の長政)を匿ったことでしょう。
織田家の方面司令官の一人として、大きな役目を担っていた荒木村重。


1578年、毛利家の調略により、村重は信長に反旗を翻します。
当時、秀吉とも誼をもっていた小寺家の知恵袋であった黒田孝高。


自信持って、村重説得に向かいます。



私が説けば、村重殿は、
きっと翻心して織田家に戻るだろう。
しかし、あべこべに村重に幽閉されてしまいます。



余計なお世話だ!
私は信長が信用できんのだ!
「黒田孝高が村重に寝返った」と判断した信長。





黒田孝高は私を裏切って、荒木についたか!
裏切り者は許さん!
人質の息子は殺せ!
人質の息子松寿丸の処刑を、秀吉に命じます。
互いに知恵を重視する竹中重治(半兵衛)と黒田孝高は、お互いウマがあったのでしょう。



黒田殿の息子は、私が
責任持って匿います。



任せたぞ!半兵衛!



万一、信長様に見つかったら、
私が責任負います。
羽柴殿には責任が及ばぬように致す。



すまぬ。半兵衛!



後で信長様に見つかったら、
大変なことになる・・・
重治は松寿丸を匿って助けます。
その後、村重の籠城した有岡城落城の際に、黒田孝高は救出されます。
黒田孝高は織田家を裏切らず、長期間、土牢に幽閉されていたのです。
息子松寿丸を助けてくれた竹中重治には、黒田孝高は心から恩にきたでしょう。





我が息子の命を助けてくれた!
竹中殿の恩は生涯忘れぬ。
「智清将」重治の実に清々しい一面が分かります。
信長に見つかれば、大変な事態で切腹もの。
野心もなく、己の知恵を働かせることに人生の意義を見出していた重治は、断行します。
命を掛け、同じ「知恵を働かせる」同志の黒田孝高の息子を助け、心から良かったと思ったでしょう。



無益な殺生はするものではない。
本当に良かった!



私は生涯、竹中家を大事にしよう。