前回は「智清将・竹中半兵衛の義挙の真相〜「和製孔明」の卓抜たる軍略・稲葉山城乗っ取り・たった17名で城攻め〜」の話でした。
稲葉山城奪取と織田信長の誘い
安藤守就の協力の元、一度は稲葉山城を奪取した重治。
私と安藤では、
美濃の国衆がついてこない・・・
悩んでいた重治の元に、信長から使者がやってきます。
稲葉山城を
織田家に寄越せ!
稲葉山城を寄越したら、
美濃半国をつかわそう・・・
信長は信用できん!
断る!
信長の申し出を、断固拒絶した重治。
信長も簡単には諦めません。
他に何が
望みだ?
美濃半国以外に、
銭五百貫文やろう!
諸説ありますが、銭五百貫文は、現代の貨幣価値にして5000万円〜7000万円相当です。
別にお金は
困っていない・・・
そもそも、
贅沢には興味がない・・・
そして、「金銭目当てで
稲葉山城を奪った」と世間に誤解されてしまう・・・
我が主
道三様・・・
斎藤義龍は嫌いなものの、斎藤道三に対しては、その実行力・智謀などに敬意を持っている重治。
龍興殿は
暗愚だが・・・
ここは、
斎藤家に稲葉山城を返還しよう・・・
そして、斎藤家に稲葉山城を返します。
織田信長の美濃侵攻:十面埋伏の計
何!
重治が龍興に稲葉山城を返した!?
ならば、
力で稲葉山城を奪ってやる!
尾張統一を果たし、桶狭間の戦いで今川義元を討って、戦国の世に飛び込んできた信長。
猛烈な勢いで、美濃侵攻を開始しました。
私の
知略と采配で、織田軍を撃破して見せよう・・・
この後、織田信長の度々の美濃侵攻に対して、重治も斎藤家側で戦います。
十面埋伏の
計・・・
重治が「十面埋伏の計」で、信長を悩ました逸話もあります。
ただ、これは後世の創作でしょう。
一度は城盗りをしたので、「周囲の見る目」が、厳しくなっていた重治。
竹中重治は、
また城盗りをするのでは?
舅の安藤守就が、
また曲者だからな!
安藤守就共々、斎藤家とは少し距離を持っていた竹中重治。
そして、織田信長によって1567年に稲葉山城が落とされます。
氏家卜全・稲葉一鉄・安藤守就の西美濃三人衆が信長側についたことが決定打となったのです。
・・・・・
智清将半兵衛の飛躍:羽柴秀吉の寄騎へ
そして、美濃は織田家のものとなります。
竹中重治殿、
重用しますので、ぜひ我が織田家へ!
私は信長が
嫌いだ・・・
あなたの配下・寄騎であれば、
考えましょう・・・
重治は秀吉に「三顧の礼」で迎えられます。
少し誇張ありとしても秀吉は知略に富んだ重治を配下に加え、嬉しかったでしょう。
そして、秀吉とともに重治の飛躍が始まります。
美濃を取り、上洛した信長は朝倉義景を攻め、浅井氏の離反を招きます。
浅井・朝倉と鋭く対立した織田家にあって、羽柴秀吉は近江最前線で戦いながら、多くの武将を調略します。
浅井滅亡後も秀吉を支え続け、秀吉と共に飛躍します。
秀吉のほぼ全ての作戦に強く関与して、羽柴家の屋台骨を支え続ける重治。
竹中半兵衛と黒田官兵衛の二兵衛:黒田長政を守った半兵衛
その活躍の白眉は、黒田孝高の息子松寿丸(後の長政)を匿ったことでしょう。
織田家の方面司令官の一人として、大きな役目を担っていた荒木村重。
1578年、毛利家の調略により、村重は信長に反旗を翻します。
当時、秀吉とも誼をもっていた小寺家の知恵袋であった黒田孝高。
自信持って、村重説得に向かいます。
私が説けば、村重殿は、
きっと翻心して織田家に戻るだろう。
ところが、あべこべに村重に幽閉されてしまいます。
余計なお世話だ!
私は信長が信用できんのだ!
「黒田孝高が村重に寝返った」と判断した信長。
黒田孝高は私を裏切って、
荒木についたか!
裏切り者は許さん!
人質の息子は殺せ!
人質の息子松寿丸の処刑を、秀吉に命じます。
互いに知恵を重視する竹中重治(半兵衛)と黒田孝高は、お互いウマがあったのでしょう。
黒田殿の息子は、私が
責任持って匿います・・・
任せたぞ!
半兵衛!
万一、信長様に見つかったら、
私が責任負います・・・
羽柴殿には責任が
及ばぬように致す・・・
すまぬ!
半兵衛!
後で信長様に見つかったら、
大変なことになる・・・
重治は松寿丸を匿って助けます。
その後、村重の籠城した有岡城落城の際に、黒田孝高は救出されます。
黒田孝高は織田家を裏切らず、長期間にわたり土牢に幽閉されていたのです。
息子松寿丸を助けてくれた竹中重治には、黒田孝高は心から恩にきたでしょう。
のちに、竹中半兵衛と黒田官兵衛の二人の名前に共通する兵衛から「二兵衛」と称される智将の二人。
我が息子の命を助けてくれた!
竹中殿の恩は生涯忘れぬ!
「智清将」重治の実に清々しい一面が分かります。
信長に見つかれば、大変な事態で切腹もの。
野心もなく、己の知恵を働かせることに人生の意義を見出していた重治は、断行します。
命を掛け、同じ「知恵を働かせる」同志の黒田孝高の息子を助け、心から良かったと思ったでしょう。
無益な殺生はするものではない。
本当に良かった!
私は生涯、
竹中家を大事にしよう・・・
次回は上記リンクです。