城山と桜島〜西郷隆盛のそばに控えていた「薩摩の若き星」たち・政府軍の降伏勧告を一蹴して自刃した西郷・海外からも大注目浴びた「世紀の大内戦」西南戦争〜|西南戦争4・エピソード

前回は「西郷隆盛が抱いた「最後の思い」と西郷隆盛洞窟〜政府軍の「投降」を蹴って散った「西郷のケジメ」・討幕の中核から反乱軍の首領へ・西郷隆盛の数奇な運命〜」の話でした。

目次

海外からも大注目浴びた「世紀の大内戦」西南戦争

城山から桜島を見る(新歴史紀行)

西南戦争の最後の地、城山。

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西南戦争(仏紙ル・モンド)(Wikipedia)

2月15日に雪の中、勇んで出陣した西郷軍は、大いに勇んで状況を目指しました。

仏紙ル・モンドでは「日本人から見ると異和感を感じる」侍のような西郷のイラストが紹介されました。

Japanで
Saigoという巨頭が反乱だぞ!

Saigoって、もと首相格であり、
陸軍大将の大物だろう?

これは、Japanは
とんでもない内戦になるのでは・・・

海外からも「熱い視線」で見られた正規の大内戦の西南戦争。

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維新の四傑:左上から時計回りに、木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(Wikipedia)

徳川幕府を討幕した1868年から9年余りの間、明治新政府は足並みが乱れ続けました。

そして、何度も「政府瓦解」の危機があったのですが、ついに「明治六年の政変」で決裂しました。

その結果、下野して力を蓄えていた西郷は、

新政府のやり方は
問題あり!

と薩軍13,000を率いて出陣しました。

途中で、

西郷先生!
我らもお加えください!

西郷先生!
我らもお加えください!

多数の不平士族が合流し、西郷軍は30,000名ほどに膨れ上がりました。

西郷軍政府軍
兵力(人)約30,000名約90,000名
戦死者(人)約6,800名約6,400名
西南戦争の兵力と戦死者数

軍勢が3倍ほどで、物量は「圧倒していた」政府軍に対して、

チェスト!
ゆけっ!

政府軍に対して、6,400名の戦死者を出し、西郷軍もほぼ同じ6,800名となった西南戦争。

途中からは政府軍に押されまくり、なんとか鹿児島まで戻ります。

死ぬのは
薩摩だ・・・

城山と桜島:西郷隆盛のそばに控えていた「薩摩の若き星」たち

西郷 隆盛(国立国会図書館)

西郷隆盛洞窟から少し上がると、城山の頂上に至ります。

ここから、西郷隆盛も桜島を眺めていたに違いないでしょう。

桜島!
素晴らしか!

城山から桜島を見る(新歴史紀行)

西郷に限らず、薩摩隼人の心の故郷とも言える桜島。

若き日々から、東奔西走し、二度も島流しにされたものの、明治維新を主導した西郷。

桜島をみて、何を思ったのでしょうか。

・・・・・

現代は大いに市街地化された鹿児島。

西郷がいた頃は、平屋の木造建物が立ち並ぶ光景だったでしょう。

一時は、30,000名ほどの軍勢にまで膨れ上がった西郷軍は「巨大な反乱軍」でした。

そして、多数の優れた人物が兵を率いました。

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篠原国幹 前陸軍少将(Wikipedia)

人格的にも将兵から尊敬を集めていた指揮官の猛将篠原国幹。

撃てっ!
撃てっ!

銃撃戦では、大勢の将兵が「身を伏せて」銃撃するのに対して、

とにかく
敵を倒しまくるのだ!

「たったまま狙撃を続ける」という凄まじい戦いを続けたのち、

マントの男は篠原だ!
狙え!

うむう・・・
無念だ・・・

狙撃されて戦死しました。

桐野利秋 前陸軍少将(Wikipedia)

篠原国幹 前陸軍少将たち大勢の将兵は、「田原坂の戦い」で戦死しました。

おいどんは
「人斬り半次郎」と呼ばれた桐野だ!

そして、幕末は「人斬り半次郎」として、殺人の名手だった桐野利秋 前陸軍少将が指揮しました。

元薩摩藩士 桂久武(Wikipedia)

薩摩藩で重役を勤め、西郷と共に維新の原動力となった桂久武もいました。

西郷どんと
一緒に戦うのだ!

元薩摩藩士 村田新八(Wikipedia)

そして、優れた見識と頭脳を持ち、岩倉たちの欧州視察にも同行した村田新八。

村田は島流しになった際も、西郷と一緒でした。

西郷どんとも、
本当に長い付き合いであった・・・

長年の同志である村田もまた、西郷のそばに控えていました。

政府軍の降伏勧告を一蹴して自刃した西郷

陸軍卿 山縣有朋(Wikipedia)

城山を包囲していた山縣有朋陸軍卿。

賊軍・西郷軍を
完全包囲して、殲滅せよ!

一方で、「汚職事件」で政治生命が絶たれるところを「西郷に救われた」山縣。

だが、西郷さんを
無碍には殺せん・・・

山縣以外にも「西郷に世話になった」人物達が「西郷を包囲する側」にいました。

皆のもの!この中で、
西郷さんに世話になってない者はおるか!

いえ・・・
あの・・・

最後は大久保卿の意思もあり、
降伏を勧告する!

そして、新政府軍からの「降伏勧告」を見た西郷は、

おいどんに降伏とは、
山縣どんも偉くなったごわすな・・・

ふふふ・・・
政府軍も強くなったごわす!

そして、降伏勧告を一蹴した西郷。

おいどんは、
ここで死ぬ・・・

みなは
自由にしてくれ!

私はもちろん、
西郷先生と共に死にます!

私も!

私も!

そうかあ・・・

みんな、
おいどんと死んでくれるか・・・

名前生年
西郷隆盛1828年
桂久武1830年
村田新八1836年
篠原国幹1837年
桐野利秋1839年
別府晋介1847年
辺見十郎太1849年
西郷軍幹部の生年

「薩摩の星」であった西郷には、多数の若者達が「運命を共にする」気概に溢れていました。

皆、この15年ほど、
一緒に時代を駆け抜けたのう!

こんな会話が、政府軍による最後の夜にあったのでしょう。

1868年に明治維新となり、明治新政府が誕生しました。

そして、誰もが考えもしなかったスピードで一気に近代化へ向かった日本。

最後に、西郷軍は政府軍の総攻撃と戦い、

みんな、最後に
一花咲かせようぞ!

うぐっ!

うぐっ!

将兵達は次々と戦死してゆき、西郷は別府晋介に対して、

晋どん、
もうここらでよか・・・

西郷は自決して、西郷軍は壊滅して西南戦争が終わりました。

1868年に明治維新となり、同年に「維新完了」となった明治維新。

現実には、明治維新は西南戦争が終わる「1877年に維新完了」と考えるのが良さそうです。

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