「尊皇派決起」の一味にカウントされた西郷隆盛〜尊皇と攘夷の違い・「過激派」尊皇精忠組のボス有馬新七:決起軍団の思惑〜|西郷隆盛13・人物像・エピソード

前回は「わざわざ島津久光を激怒させた西郷隆盛〜二度目の島流しへ・有馬新七と大山綱良が「二強」だった精忠組・示現流と薩摩〜」の話でした。

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薩摩藩士 西郷隆盛(国立国会図書館)
目次

「過激派」尊皇・精忠組のボス有馬新七:決起軍団の思惑

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薩摩国父 島津久光(国立国会図書館)
島津久光

西郷は、
この私の命令を無視したのだな!

島津久光

よく分かった!
西郷は、もはやいらん!

島流しにされて帰還したばかりの西郷は、事実上の藩主・島津久光から大事な命令を受けていました。

薩摩藩が幕府と朝廷に対して、政治力を発揮するために、先発隊として先に向かった西郷。

そして、長州藩内である下関(馬関)で、「久光を待つ」はずだった西郷。

ところが、下関で、西郷は「京で兄貴分の有馬新七達が暴発する可能性」を聞きつけた西郷。

西郷隆盛

新七どんが・・・
決起する、だと・・・

西郷隆盛

今は、まだ早い・・・
今決起しても、上手く行かない・・・

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薩摩藩士 有馬新七(WIkipedia)

当時、薩摩藩では、若者達が集まって「精忠組」と呼ばれる軍団を結成していました。

そして、その中で有馬新七と大山綱良がボス格でした。

名前生年
有馬 新七1825
大山 綱良1825
西郷 隆盛1828
大久保 利通1830
村田 新八1836
篠原 国幹1837
桐野 利秋1839
幕末:薩摩精忠組に関わる人物

精忠組には、多数の幕末維新の星達がおり、当時、西郷は大久保達の兄貴分でした。

その一方で、薩摩独特の示現流があり、剣術が異常なまでに尊ばれた西郷は剣術が苦手でした。

それに対して、剣術においては「異常な達人」であった有馬新七と大山綱良の二人がいました。

西郷の存在感も大きかったのは事実ですが、精忠組は「有馬と大山あっての組織」でした。

薩摩の中で、尊皇派の巣窟であった精忠組。

有馬新七

今の幕府の世界は
ダメだ・・・

有馬新七

我らが天子様を中心とする
政治に変化させるのだ!

有馬新七

そして、天朝を中心とする
新たな世を作る!

有馬新七達は、同志達と共に決起して世を変えることを画策していました。

有馬新七

もうすぐ、薩摩から
吉之助達も来る・・・

有馬新七

吉之助も
我らと一緒に決起するだろう・・・

そして、「西郷上京」の情報を得た有馬は、「西郷も一緒に決起」と考えました。

「尊皇派決起」の一味にカウントされた西郷隆盛:尊皇と攘夷の違い

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商人・白石正一郎邸(Wikipedia)
西郷隆盛

有馬さぁが
決起する、だと・・・

この「有馬決起構想」を下関で知った西郷。

当然、西郷自身も「決起軍団の一人」にカウントされているだろうことは予想できました。

ところが、西郷の「政治感覚」から考えると、NGでした。

多数の才能を有した西郷隆盛の資質の中で、最も煌めいたものは「卓越した政治感覚」と言えるでしょう。

この「政治感覚」は「政治力」と言っても良いですが、ある種の「政治的嗅覚」と考えます。

動物的なまでに「政治的嗅覚」に優れた西郷は、「世の流れ」を嗅ぎ分ける異常な才能を持っていました。

ここの「世の流れの嗅覚」は理屈ではなく、才能と経験から生まれたものでした。

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薩摩第11代藩主 島津斉彬(国立国会図書館)
島津斉彬

西郷よ、
江戸や京で工作せよ!

若い頃から、既に亡くなってしまった前藩主・島津斉彬の密命を受けて奔走した西郷。

江戸と京で奔走した西郷は、時代の節目に様々な人物と会い、様々な場面に出会いました。

おそらく、元々「政治的センス」「政治力」「政治的嗅覚」に優れていた西郷。

西郷のこれらのセンスや力は、この頃に急速に磨き上げられました。

西郷隆盛

今、決起しても
潰されて終わるごわす・・・

いかに有馬達が「剣術の達人」としても、「時代の流れ」に「先んじ過ぎていた」当時。

西郷隆盛

おいどんが、
有馬さぁを止める!

ある意味敬愛していた有馬を止めるために、西郷は久光の「下関待機」の命令を無視しました。

島津久光

西郷を、
島流しにせよ!

そして、京へ向かう途中に、久光の一手によって捕縛された西郷。

西郷隆盛

うぐ・・・
おいどんが有馬さぁを止めねば・・・

この時、西郷と一緒に行動し続けていた村田新八も一緒に捕縛されました。

有馬新七

吉之助達が
捕縛されただと・・・

有馬新七

それは困った・・・
吉之助の政治力は必要だった・・・

西郷の剣術には全く期待していなかったものの、「自分にはない卓越した政治力」に期待していた有馬。

有馬新七

そして、
久光様が、京へ向かっている・・・

有馬新七

・・・・・

ここで、尊皇派であり、幕府を潰す決意を固めていた有馬は、様々な方法を検討しました。

幕末は、「尊皇」または「尊王」と呼ばれ、同じ意味に使われることが多いです。

その一方で、日本において天皇崇拝は文字通り「尊」であるべきです。

「尊」の対象は「王」であり、当時の日本において、王は大名を指します。

いずれにしても、「尊皇攘夷」と「尊皇」と「攘夷」はセットで考えられることが多い幕末。

その一方で、「尊皇」と「攘夷」は必ずしも連動するコンセプトではなく、本来別個でした。

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孝明天皇(Wikipedia)
孝明天皇

夷狄どもは
大嫌いだ!

孝明天皇

夷狄どもを
排除して、神州を守るのだ!

1831年に生まれ1846年から在位していた孝明天皇は、「大の夷狄嫌い」でした。

この影響もあり、「尊皇」は「天皇の意思を汲む」ため「攘夷」と合体したと思われます。

有馬新七

もはや
決起するしかない・・・

そしてバリバリの尊皇であった、有馬は、決起のために「究極の策」に出ることを決心しました。

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