異様に実戦的・早期育成の海兵教育〜海兵卒業生たちの結束力守り続けた級会・「英国海軍流の貴族主義」違和感感じた草鹿龍之介・全て英国式の海軍〜|草鹿龍之介18・一海軍士官の半生記

前回は「教官の講義に対し「論争」海兵生徒たち〜自主性強きハイレベル軍団・海軍兵学校の「スーパーエリート教育」・外国教員と密接なふれあい〜」の話でした。

新歴史紀行
草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)
目次

「英国海軍流の貴族主義」違和感感じた草鹿龍之介:全て英国式の海軍

New Historical Voyage
鹿鳴館(Wikipedia)

まだまだ「鹿鳴館の香り」が濃厚だった1910年頃に、海兵生徒だった草鹿龍之介。

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戦艦三笠に座乗する東郷平八郎連合艦隊司令長官(Wikipedia)

1905年の日本海海戦の5年後であり、帝国海軍は「帝国の守護神」として、尊敬される立場でした。

この頃は、日英同盟が継続中で、日英が極めて良好な関係であった時代でした。

そもそも「英国式海軍」だった帝国海軍は、「英国式・英国流」から成り立っていました。

草鹿龍之介

遂にはボールなど眼中になく、
鉄拳を振い掴み合いに夢中となり、

草鹿龍之介

ボールはとんでもない所に
転がっている。

マーター教授

おお!
江田島ゲーム、ストップ!ストップ!

草鹿龍之介

と叫びながら、
マーター教授は汗を流して駆け回る。

英国から来た教官たちは、江田島の海兵で、当時のエリート少年たちの頭と心身を鍛えました。

草鹿龍之介

二学年の一年は、
瞬く間に過ぎ去った。

草鹿龍之介

私達もいよいよ
三学年になった。

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海兵39期卒業の将星たち:左上から時計回りに、山県正郷、伊藤整一、高木武雄、西村祥治(Wikipedia)

草鹿たちが一学年だった時に、「鉄拳を与え続けた」三学年だった海兵39期の将星達。

そして、「鉄拳を受け続けた」草鹿たち海兵41期の少年たち。

今度は、草鹿たちが三学年となり「鉄拳を与える」側となりました。

草鹿龍之介

しかし、三学年ともなると、
反省の余裕さえ出てきた。

草鹿龍之介

英国海軍流の貴族主義も
必ずしも悪いとは思わぬ。

草鹿龍之介

特に英国では、平素威張っている貴族も、
一朝国家の有事には、

草鹿龍之介

貴族が挺身国難に殉ずる伝統美風が
あるという。

草鹿龍之介

帝国海軍も、成程、皇族方を始め、
華族や良家の子弟も居るには居るが、

草鹿龍之介

大部分は一般庶民の
子弟である。

草鹿龍之介

これに、海軍士官としての貴品を
養うため、衣服の洗濯を始め、

草鹿龍之介

便所掃除等、いわゆる卑しき仕事はさせず、
使丁賄等の使用人は、

草鹿龍之介

頭ごなしに呼び捨てに
させるということは、

草鹿龍之介

何か割り切れぬものを
感じさせた。

異様に実戦的・早期育成の海兵教育:海兵卒業生たちの結束力守り続けた級会

延暦寺:西塔(新歴史紀行)

北辰一刀流の達人であり、寺で修行経験がある草鹿龍之介は、多彩な経歴の持ち主でした。

草鹿龍之介

仕事そのものを
卑しんではならぬ。

草鹿龍之介

兵学校生徒でも、便所掃除や、
自分の衣服の洗濯等、

草鹿龍之介

その他下士官の諸作業を、
どんどんやらしたら良い。

草鹿龍之介

その間に、海軍将校たるの真の気品を
養う道はあると思った。

この草鹿龍之介の意見は、尤もであると筆者も考えます。

当時と現代では、全く時代環境が異なるため、一概には比較できません。

確かに、若いうちは「何事もトライ」です。

その一方で、海軍兵学校の教育は、「とにかく帝国海軍の指揮官養成」が最優先でした。

これを、たった3年(4年の時もあり)で成し遂げるのは、かなり難しいです。

現代の大学教育を考えると、通常の「4年間の大学教育」で、なんらかの「指揮官養成」は到底無理です。

そもそも、「レジャーランド」とまで言われる、現代の日本の大学と海兵では、比較になりません。

理系の大学院を含めても「6年間の教育」では、到底「指揮官養成」にはなり得ません。

大学院の6年間で、例えば「物理学のある研究を指揮する人物」を要請するのは不可能です。

それを、海兵は「半分の3年間で行う教育」でした。

現代の視点から考えれば、「どう考えても時間が不足」していたのは、容易に推測できます。

帝国海軍

海兵卒業生は、
即「少尉候補生」となる。

帝国海軍

そして、一年ほどで、
少尉に任官する。

帝国海軍

少尉となると、純然たる指揮官であり、
戦争を指揮するのだ!

帝国海軍

そのためには、海兵の三年間では
全く時間が足りないが、

帝国海軍

なんとしても、英国海軍風・少尉候補生に
三年間で育て上げるのだ!

おそらく、当時の帝国海軍、教育を司る海軍省は、このように考えていたでしょう。

この点を考えると、「貴族主義」の行き過ぎは良くないですが、「雑用する暇はない」のも事実でした。

草鹿龍之介

卒業前、三学年は、兵学校練習船
二河川丸にて、瀬戸内巡航に出た。

草鹿龍之介

艦船勤務実習の
為である。

とにかく実戦的だった海兵の教育は、「机の上の学び」に留まりませんでした。

そして、実際に「練習艦に座乗」して、実地訓練を行なっていました。

草鹿龍之介

九州の宇佐沖停泊中、
宇佐神社に参拝し、

草鹿龍之介

その後、生徒としての最後の
級会を、神宮横の田舎料理屋で開いた。

草鹿龍之介

若い教官も
一緒であった。

激しい実地訓練の後は、楽しい「級会」がありました。

三年間、一緒に寮生活をしていた海兵卒業生たちは、かなり強い結束力を持っていました。

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山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)
山本五十六

今度、〜で
級会を久しぶりにやろう!

山本五十六も、連合艦隊司令長官の頃に、このように同期生に語った記録があります。

20歳そこそこの、現代の大学卒業時に味わい続けた「級会」。

同期生との級会は、海兵卒業生たちの結束力を守り続けました。

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左上から時計回りに、山本五十六 連合艦隊司令長官、南雲忠一 第一航空艦隊司令長官、草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長、宇垣纏 連合艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社、歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)

そして、この「同期の絆」こそが、「海で戦う」帝国海軍将星たちを育て続けました。

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