前回は「教官から敬遠されるほど強力だった草鹿無刀流剣道〜年中行事の鉄拳・徳の山下源太郎+やり手の加藤寛治・ビシバシ鍛えられた海兵生徒たち〜」の話でした。

「丸暗記」兵学を馬鹿馬鹿しいと感じた草鹿龍之介:数学物理は得意

若い頃から優等生で、無刀流の達人であった草鹿龍之介。
全国から選りすぐられたエリートばかりの海兵生徒の中でも、草鹿龍之介は光っていました。

敗戦後、草鹿龍之介自身が著した「一海軍士官の半生記」で、海兵の生活が如実に描写されています。
教官あいつのは
剣道ではない。



誠に評判は
悪い。



しかし、何と言われても
無刀流は捨てなかった。
あまりに強かったこともあり、「評判が極めて悪かった」草鹿の無刀流。



・・・・・
しかし、当然のことながら、草鹿龍之介は無刀流を、むしろ大事にし続けました。



私は良い成績で入学したが、
あまり勉強しなかったため・・・



一度に席順が
下がった。



一年から二年になる時は、
百二十名中、二十一番になった。
一高(東大相当)にも合格していた草鹿龍之介は、海兵に次席入学しました。
「席順が落ちた」と言っても、優等生ばかりの中「21/120名」は優秀です。



普通学、特に数学物理力学といった
ものは、割合に良いのであったが・・・



兵学の方が
あまり香ばしくない。
根っからの理系少年であった草鹿は、数学や物理は得意でした。
その一方、当時の兵学は「暗記中心」だったこともあり、草鹿少年は不得意としていました。



砲術の試験の前日に、侠客列伝という
本を読んでいるところを・・・



砲術の先任教官堀田弟四郎中佐に
見つかり、叱られはしなかったが・・・



苦い顔をされたことを
今でも覚えている。
「とにかく鉄拳」だった海兵生活でしたが、試験前日にサボっていても「鉄拳」にはなりませんでした。
この点は、生徒の自主性を重んじているようで、とても良いです。



教えられることを丸暗記すれば
済む様なことが多いので・・・



心の一隅に何となく
馬鹿馬鹿しい様な気分があった。
「丸暗記」を「馬鹿馬鹿しい」と感じていた、草鹿少年は、丸暗記科目に苦戦しました。
既に「海軍将校の敬礼」受けた海兵生徒たち:「別格扱い」教育の是非





二学年となれば
学校の事情にも通ずる。



万事要領
よくやる。



受ける鉄拳も
少なくなる。
「鉄拳の連続」の海兵の生活も、一年こなすと「大体の要領がわかる」のでした。



学科の方も、二学年から三学年に
進級の際は十何番であったが・・・



優等生の末尾に連り、
金マークを貰った。



総合得点90%以上の者には、
金モールの小さな桜の襟章が授与され・・・



錨の襟章の外側に、
これを付ける。



このほかに品行方正にして他の
模範なる者には、銀マークが授与される。



この銀マークは、とても
貰えそうもなかった。
とにかく競争社会であった海兵では、少なくとも毎年席次が公表されました。
このように暑苦しい環境の中、「品行方正の模範」も表彰した点は極めて重要です。
「ただ試験が出来れば良い」ではなく、「品行方正であれ」と奨励していた海兵の教育。
学生・生徒にとっては、極めて厳しい環境でしたが、学校教育の模範でした。



三学年が卒業して、
二学年が三学年ともなると・・・



今迄蟄伏していたのが
俄然威張り出す。



新二学年は、要領よく
立ち廻り、何事も傍観的位置に立つ。



兵学校には、武官の教官以外に
多数の文官の教官がいる。



それぞれ英語や数学、物理、科学、力学等、
所謂普通学を受け持っている。



直接生徒の訓育には携わらないが、
常に教官たるの品位を保たなければならぬ。



教室に出る時は、必ず
モーニングを着用する。



隊列を組んだ時、
生徒は、「頭右(左)」の敬礼をする。



即ち海軍将校と同様の
敬礼を受ける。
「海軍将校の卵」であった海兵生徒は、すでに「海軍将校と同様の敬礼」を受けました。
いわば、学生の分際ながら、将校同等という「別格扱い」の教育でした。
このような環境では、生徒たちは思い上がってしまいそうです。
帝国海軍将校の中にも、思い上がったような人物はいましたが、少数派でした。
対して、同様に「若い頃から特別扱い」されていた陸軍士官学校(陸士)。
陸士卒業生たちは更に「特別扱い」されたために、かなり思い上がっていた人物が多かったようです。
この「特別扱い」「別格」の教育に関しては、もちろん、是非があります。
「多数の将兵の命を預かって指揮する」軍人ならでは、の教育は、とにかく特別でした。

