教官から敬遠されるほど強力だった草鹿無刀流剣道〜年中行事の鉄拳・徳の山下源太郎+やり手の加藤寛治・ビシバシ鍛えられた海兵生徒たち〜|草鹿龍之介15・一海軍士官の半生記

前回は「数学や物理などの教科書が英語だった海兵教育〜ハードな英語中心の学び・山下源太郎校長と加藤寛治教頭・未来の連合艦隊司令長官が睨む環境〜」の話でした。

新歴史紀行
草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)
目次

徳の山下源太郎+やり手の加藤寛治:ビシバシ鍛えられた海兵生徒たち

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一海軍士官の半生記(草鹿龍之介 著、新歴史紀行)

対米戦開戦時、第一航空艦隊参謀長であり、敗戦時には連合艦隊参謀長だった草鹿龍之介。

草鹿のミッドウェーの指揮などに関して、筆者は草鹿の能力を高く買うことは出来ません。

その一方で、確かに草鹿は優等生であり、理学・工学に秀でた人物であったのは確かでした。

その草鹿が、自らが海兵生徒だった頃も回想している「一海軍士官の半生記」。

「一海軍士官の半生記」は大変読み応えがあり、帝国海軍・連合艦隊に興味ある方にお勧めです。

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山下源太郎 連合艦隊司令長官(Wikipedia)

草鹿龍之介が海兵一年の頃は、山下源太郎が校長でした。

草鹿龍之介

生徒はいよいよ
締められることになった。

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加藤寛治 連合艦隊司令長官(Wikipedia)

教頭兼監事長は、後に連合艦隊司令長官、軍令部総長(部長)を務める加藤寛治でした。

後に帝国海軍のトップとなる山下校長+加藤教頭の元、海兵生徒たちは思い切り絞られたのでした。

草鹿龍之介

山下校長は徳の人であり、
加藤監事長はやり手であった。

草鹿龍之介

日曜日も、従来と違って、
早くからなかなか外出という訳には行かぬ。

草鹿龍之介

分隊点検、人員調査、室内点検、端艇点検とか、
次から次にと、行事が多く・・・

草鹿龍之介

結局、外出は午後からと
いうことになる。

海軍兵学校卒業期名前生年
28永野 修身1880
32山本 五十六1884
36南雲 忠一1887
37小沢 治三郎1886
39伊藤 整一1890
40宇垣 纏1890
40大西 瀧治郎1891
40山口 多聞1892
41草鹿 龍之介1892
連合艦隊・軍令部の専門・役職・海軍兵学校卒業期(1941年12月)

草鹿龍之介が海兵に在学していた1910〜1912年頃は、平穏な時代でした。

日露戦争勝利から、5年〜7年ほど経過し、帝国海軍は意気揚々としていた頃でした。

その中、ビシバシと、とにかく鍛えられ続けていたことが、この回想からよく分かります。

教官から敬遠されるほど強力だった草鹿無刀流剣道:年中行事の鉄拳

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海兵39期卒業の将星たち:左上から時計回りに、山県正郷、伊藤整一、高木武雄、西村祥治(Wikipedia)

そして、二期上の先輩たちにも、常に目を光らせられていた41期生の草鹿たち。

草鹿龍之介

その上、休暇から帰って間もなく、
三学年から一学年生徒は運動場前に集まれと言われた。

草鹿龍之介

全員整列すると、
霜上先任伍長から、

霜上伍長

休暇後、貴様等は
たるんで居る!

霜上伍長

僅かの休暇で娑婆が
恋しくなったか!

霜上伍長

今日は総員
引き締めてやる!

草鹿龍之介

総員制裁
である。

草鹿龍之介

整列して居る一方から、
鉄拳の音がだんだん近づいてくる。

「総員制裁」で、「鉄拳の音」が近づいてくるのは、なんとも恐怖感一杯です。

草鹿龍之介

歯を食いしばっていると、
遂にやってきた。

草鹿龍之介

ぽかぽかんと、
二つ三つやられる。

草鹿龍之介

別に緩んで居る訳でもないが、
毎年の行事である。

草鹿龍之介

慣れて来ると、
別に気にもならない。

「緩んでいようと、なかろう」と、「年中行事の一つ」だった「休暇後の制裁」。

帝国海軍の将兵養成学校だった海兵では、とにかく「戦場の厳しさ」を叩き込まれました。

草鹿龍之介

私は剣道の方は
入校後、間もなく一級になった。

草鹿龍之介

無刀流の達人であるというので、
上級生が勝負を挑んで来る。

草鹿龍之介

前述した如く、
竹刀の勝負となる分が悪い。

上級生

あいつ、
噂程のこともないな!

草鹿龍之介

と言われる。なんと言われても、
無刀流の太く短い刀は捨てない。

草鹿龍之介

遂に剣道の指導官である橋本才輔教官から、
勝負を挑まれた。

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宮内少輔 山岡鉄太郎・鉄舟(Wikipedia)

幕末の著名人である山岡鉄舟が開祖である、一刀正伝無刀流を小さな頃から学んでいた草鹿。

山岡鉄舟の一刀正伝無刀流と草鹿龍之介に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

草鹿龍之介

この時は、例により突いて突いて
突きまくって・・・

草鹿龍之介

教官を靴棚の隅まで追い込んで、
強かに籠手を打った。

草鹿龍之介

教官は、
遂に、

教官

待て!

草鹿龍之介


言った。

教官

俺も無刀流は心得て居るが、
お前のような剣道は無茶である!

草鹿龍之介


叱られた。

草鹿龍之介

剣道の教員で守口という先生は、私と稽古する時は
必ず無刀流の竹刀をとって、熱心に稽古する。

草鹿龍之介

然し、
一般に、

教官

あいつの剣道は面を打たれても、
胴を打たれても知らん顔をして居る。

教官

そして、時々目から火の出る様な
一撃を食わらせる。

教官

あいつのは
剣道ではない。

草鹿龍之介

と言って
敬遠する。

草鹿龍之介

誠に評判は
悪い。

草鹿龍之介

しかし、何と言われても
無刀流は捨てなかった。

要するに、どうやら「一学年の分際で異常に剣道が強かった」草鹿に対して、敬遠した教官。

上級生が下級生を鉄拳で殴り続けるような「超階級社会」において、教官は絶対の存在でした。

その教官を危うい立場にした、草鹿の無刀流の剣道。

確かに、草鹿は頭脳明晰なだけでなく、剣道も超一流でした。

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