「脱藩=重大犯罪」敢行した龍馬と武市瑞山〜脱藩「ありえない」西郷と桂・「討幕勃興」の象徴=桜田門外ノ変・片務的最恵国待遇と攘夷〜|坂本龍馬4・人物像・エピソード

前回は「大きな飛躍果たした坂本龍馬の発想の根源〜脱グループと脱藩・薩長土肥の中核となった「志士グループ」・土佐藩の土佐勤王党〜」の話でした。

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土佐藩士(脱藩) 坂本龍馬(Wikipedia)
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「討幕勃興」の象徴=桜田門外ノ変:片務的最恵国待遇と攘夷

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桜田門外の変(Wikipedia)

1860年に勃発した桜田門外ノ変。

江戸幕府の機構は、将軍は超越した存在であり、老中が首相格となり政治を運営しました。

そして、ごく稀に「老中の上の非常職」として大老が置かれました。

家名人数(名)
井伊6
酒井3
土井1
堀田1
徳川幕府の大老輩出家

いわば、現代の感覚で言えば「総理大臣の上」である、不思議な存在であった大老。

徳川幕府の270年ほどの治世において、大老は上の11人しかいませんでした。

将軍は15名だったので、「将軍よりも少ない、希少な存在」であったのが大老でした。

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大老 井伊直弼(Wikipedia)
井伊直弼

ぐふっ・・・
ま、まさか・・・

この「超越した権力」を握っていた大老・井伊直弼が暗殺されたのは、幕末を象徴していました。

いわば「討幕勃興」の象徴となったのが、桜田門外ノ変でした。

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左上からH.Parkes英国公使、Matthew Perry米提督、Townsend Harris駐日米大使、Leon Roches駐日フランス帝国公使(Wikipedia)

一般的には、「幕末」の時期は、ペリー来航1853年から戊辰戦争1868年を指します。

確かに、日本に大激震を与え、「攘夷の嵐」が生まれる契機となったペリー・ハリスたち。

日米和親条約(現代語、Wikipediaより)

第1条

・日米両国・両国民の間には、人・場所の例外なく、今後永久に和親が結ばれる。

第2条

・下田(即時)と箱館(函館)(1年後)を開港する(条約港の設定)。この2港において薪水、食料、石炭、その他の必要な物資の供給を受けることができる。

・物品の値段は日本役人が決め、その支払いは金貨または銀貨で行う。

第3条

・米国船舶が座礁または難破した場合、乗組員は下田または箱館に移送され、身柄の受け取りの米国人に引き渡される。

・避難者の所有する物品はすべて返還され、救助と扶養の際に生じた出費の弁済の必要は無い(日本船が米国で遭難した場合も同じ)

第4条

・米国人遭難者およびその他の市民は、他の国においてと同様に自由であり、日本においても監禁されることはないが、公正な法律には従う必要がある。

第5条

・下田および箱館に一時的に居留する米国人は、長崎におけるオランダ人および中国人とは異なり、その行動を制限されることはない。

・行動可能な範囲は、下田においては7里以内、箱館は別途定める。

第6条

・他に必要な物品や取り決めに関しては、両当事国間で慎重に審議する。

第7条

・両港において、金貨・銀貨での購買、および物品同士の交換を行うことができる。

・交換できなかった物品はすべて持ち帰ることができる。

第8条

・物品の調達は日本の役人が斡旋する。

第9条

・米国に片務的最恵国待遇を与える。

第10条

・遭難・悪天候を除き、下田および箱館以外の港への来航を禁じる。

第11条

・両国政府が必要と認めたときに限って、本条約調印の日より18か月以降経過した後に、米国政府は下田に領事を置くことができる。

第12条

・両国はこの条約を遵守する義務がある。

・両国は18か月以内に条約を批准する。

米国に対して「片務的最恵国待遇を与える」という、誰が見ても不平等条約でした。

最恵国待遇

日本が他国と結ぶ条約において、米国に対する条件より有利な条件を与える場合、自動的に米国に対しても、同条件を与える規定

ここにおいて、「幕末」が始まりました。

筆者は、「幕末の本丸開始は、1860年・桜田門外ノ変」と考えるのが良いと思います。

「脱藩=重大犯罪」敢行した龍馬と武市瑞山:脱藩「ありえない」西郷と桂

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土佐藩士・土佐勤王党首領 武市瑞山(半平太)
武市瑞山

土佐藩を挙げて
勤王化するのだ!

武市瑞山

土佐藩全土を
勤王軍団とするのだ!

現代、「幕末・土佐と言えば坂本龍馬」ですが、幕末中期の1860年頃は違いました。

土佐藩は、武市瑞山(半平太)率いる土佐勤王党が、圧倒的勢力であり、

坂本龍馬

この坂本龍馬も
土佐勤王党の一員ぜよ!

坂本龍馬は「土佐勤王党の一員」でしかありませんでした。

幕末三大志士グループ

・長州・松下村塾:高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、伊藤博文、井上馨など

・薩摩・精忠組:西郷隆盛、大久保利通、有馬新七、大山綱良など

・肥前・義祭同盟:江藤新平、大隈重信、副島種臣、大木喬任、島義勇など

幕末には様々なグループが登場し、筆者は上の三つを「幕末三大志士グループ」と呼んでいます。

一時は、かなりの勢力を持った土佐勤王党は、これらの「幕末三大志士グループ」から抜けます。

名前生年所属
大村 益次郎1825長州
西郷 隆盛1827薩摩
武市 瑞山1829土佐
大久保 利通1830薩摩
木戸 孝允1833長州
江藤 新平1834佐賀(肥前)
坂本 龍馬1835土佐
乾(板垣)退助1837土佐
後藤 象二郎1838土佐
中岡 慎太郎1838土佐
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
幕末の志士たちの生年

上のように、幕末の志士たちを並べると、実は土佐出身の志士に人物が多いのが分かります。

ところが、「幕末三大グループ」に入り損ねた土佐。

この大きな理由は、「土佐勤王党が途中で分裂してしまった」ことでした。

正確には「分裂したかどうか」よりも、「多数の脱藩者を出した」ことが重要でした。

名前生年所属脱藩
武市 瑞山1829土佐✖️
坂本 龍馬1835土佐
乾(板垣)退助1837土佐✖️
後藤 象二郎1838土佐✖️
中岡 慎太郎1838土佐
幕末の志士たちの生年

上の表は、土佐出身の大人物たちの脱藩の有無をまとめました。

「脱藩を◯」とするか、「脱藩しない」視点で「脱藩を✖️」とするかで、見方が大きく変わります。

ここでは、坂本龍馬を主軸に」見立てているので「脱藩=◯」で考えます。

坂本龍馬

土佐には
いられない・・・

坂本龍馬

こうなったら、
脱藩するぜよ!

1862年に思い切って脱藩した坂本龍馬。

後世の視点から見れば、「脱藩=かっこいい」ですが、当時の理念では「大犯罪」でした。

いわば「大犯罪」を引き起こした「犯罪者」であったのが坂本龍馬でした。

西郷隆盛

脱藩
ごわすか?

桂小五郎(木戸孝允)

この桂は、
長州人なのだ!

後に龍馬が結びつける薩長両藩に所属する藩士たちは、脱藩は「考えもしないこと」でした。

この「脱藩ありえない」薩摩と長州に対して、息苦しい藩=国家だった土佐。

この違いが、土佐勤王党だけでなく、坂本龍馬と武市瑞山の運命を変えました。

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