前回は「大きな飛躍果たした坂本龍馬の発想の根源〜脱グループと脱藩・薩長土肥の中核となった「志士グループ」・土佐藩の土佐勤王党〜」の話でした。

「討幕勃興」の象徴=桜田門外ノ変:片務的最恵国待遇と攘夷

1860年に勃発した桜田門外ノ変。
江戸幕府の機構は、将軍は超越した存在であり、老中が首相格となり政治を運営しました。
そして、ごく稀に「老中の上の非常職」として大老が置かれました。
| 家名 | 人数(名) |
| 井伊 | 6 |
| 酒井 | 3 |
| 土井 | 1 |
| 堀田 | 1 |
いわば、現代の感覚で言えば「総理大臣の上」である、不思議な存在であった大老。
徳川幕府の270年ほどの治世において、大老は上の11人しかいませんでした。
将軍は15名だったので、「将軍よりも少ない、希少な存在」であったのが大老でした。

井伊直弼ぐふっ・・・
ま、まさか・・・
この「超越した権力」を握っていた大老・井伊直弼が暗殺されたのは、幕末を象徴していました。
いわば「討幕勃興」の象徴となったのが、桜田門外ノ変でした。


一般的には、「幕末」の時期は、ペリー来航1853年から戊辰戦争1868年を指します。
確かに、日本に大激震を与え、「攘夷の嵐」が生まれる契機となったペリー・ハリスたち。
第1条
・日米両国・両国民の間には、人・場所の例外なく、今後永久に和親が結ばれる。
第2条
・下田(即時)と箱館(函館)(1年後)を開港する(条約港の設定)。この2港において薪水、食料、石炭、その他の必要な物資の供給を受けることができる。
・物品の値段は日本役人が決め、その支払いは金貨または銀貨で行う。
第3条
・米国船舶が座礁または難破した場合、乗組員は下田または箱館に移送され、身柄の受け取りの米国人に引き渡される。
・避難者の所有する物品はすべて返還され、救助と扶養の際に生じた出費の弁済の必要は無い(日本船が米国で遭難した場合も同じ)
第4条
・米国人遭難者およびその他の市民は、他の国においてと同様に自由であり、日本においても監禁されることはないが、公正な法律には従う必要がある。
第5条
・下田および箱館に一時的に居留する米国人は、長崎におけるオランダ人および中国人とは異なり、その行動を制限されることはない。
・行動可能な範囲は、下田においては7里以内、箱館は別途定める。
第6条
・他に必要な物品や取り決めに関しては、両当事国間で慎重に審議する。
第7条
・両港において、金貨・銀貨での購買、および物品同士の交換を行うことができる。
・交換できなかった物品はすべて持ち帰ることができる。
第8条
・物品の調達は日本の役人が斡旋する。
第9条
・米国に片務的最恵国待遇を与える。
第10条
・遭難・悪天候を除き、下田および箱館以外の港への来航を禁じる。
第11条
・両国政府が必要と認めたときに限って、本条約調印の日より18か月以降経過した後に、米国政府は下田に領事を置くことができる。
第12条
・両国はこの条約を遵守する義務がある。
・両国は18か月以内に条約を批准する。
米国に対して「片務的最恵国待遇を与える」という、誰が見ても不平等条約でした。
日本が他国と結ぶ条約において、米国に対する条件より有利な条件を与える場合、自動的に米国に対しても、同条件を与える規定
ここにおいて、「幕末」が始まりました。
筆者は、「幕末の本丸開始は、1860年・桜田門外ノ変」と考えるのが良いと思います。
「脱藩=重大犯罪」敢行した龍馬と武市瑞山:脱藩「ありえない」西郷と桂





土佐藩を挙げて
勤王化するのだ!



土佐藩全土を
勤王軍団とするのだ!
現代、「幕末・土佐と言えば坂本龍馬」ですが、幕末中期の1860年頃は違いました。
土佐藩は、武市瑞山(半平太)率いる土佐勤王党が、圧倒的勢力であり、



この坂本龍馬も
土佐勤王党の一員ぜよ!
坂本龍馬は「土佐勤王党の一員」でしかありませんでした。
・長州・松下村塾:高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、伊藤博文、井上馨など
・薩摩・精忠組:西郷隆盛、大久保利通、有馬新七、大山綱良など
・肥前・義祭同盟:江藤新平、大隈重信、副島種臣、大木喬任、島義勇など
幕末には様々なグループが登場し、筆者は上の三つを「幕末三大志士グループ」と呼んでいます。
一時は、かなりの勢力を持った土佐勤王党は、これらの「幕末三大志士グループ」から抜けます。
| 名前 | 生年 | 所属 |
| 大村 益次郎 | 1825 | 長州 |
| 西郷 隆盛 | 1827 | 薩摩 |
| 武市 瑞山 | 1829 | 土佐 |
| 大久保 利通 | 1830 | 薩摩 |
| 木戸 孝允 | 1833 | 長州 |
| 江藤 新平 | 1834 | 佐賀(肥前) |
| 坂本 龍馬 | 1835 | 土佐 |
| 乾(板垣)退助 | 1837 | 土佐 |
| 後藤 象二郎 | 1838 | 土佐 |
| 中岡 慎太郎 | 1838 | 土佐 |
| 高杉 晋作 | 1839 | 長州 |
| 久坂 玄瑞 | 1840 | 長州 |
上のように、幕末の志士たちを並べると、実は土佐出身の志士に人物が多いのが分かります。
ところが、「幕末三大グループ」に入り損ねた土佐。
この大きな理由は、「土佐勤王党が途中で分裂してしまった」ことでした。
正確には「分裂したかどうか」よりも、「多数の脱藩者を出した」ことが重要でした。
| 名前 | 生年 | 所属 | 脱藩 |
| 武市 瑞山 | 1829 | 土佐 | ✖️ |
| 坂本 龍馬 | 1835 | 土佐 | ◯ |
| 乾(板垣)退助 | 1837 | 土佐 | ✖️ |
| 後藤 象二郎 | 1838 | 土佐 | ✖️ |
| 中岡 慎太郎 | 1838 | 土佐 | ◯ |
上の表は、土佐出身の大人物たちの脱藩の有無をまとめました。
「脱藩を◯」とするか、「脱藩しない」視点で「脱藩を✖️」とするかで、見方が大きく変わります。
ここでは、坂本龍馬を主軸に」見立てているので「脱藩=◯」で考えます。



土佐には
いられない・・・



こうなったら、
脱藩するぜよ!
1862年に思い切って脱藩した坂本龍馬。
後世の視点から見れば、「脱藩=かっこいい」ですが、当時の理念では「大犯罪」でした。
いわば「大犯罪」を引き起こした「犯罪者」であったのが坂本龍馬でした。



脱藩
ごわすか?



この桂は、
長州人なのだ!
後に龍馬が結びつける薩長両藩に所属する藩士たちは、脱藩は「考えもしないこと」でした。
この「脱藩ありえない」薩摩と長州に対して、息苦しい藩=国家だった土佐。
この違いが、土佐勤王党だけでなく、坂本龍馬と武市瑞山の運命を変えました。

