前回は「戦艦大和のペーパークラフト作成 5〜戦艦大和の対空砲火砲・排気口のディテール・艦艇にとって非常に重要な排気・「戦艦の心臓部」艦橋・大和特攻の伊藤整一第二艦隊司令長官の思い〜」の話でした。
複雑な形状の艦橋
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長官や幕僚たち司令部が搭乗する艦橋の下部が完成してきました。
全体を眺めてみましょう。
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まだまだ未完成ですが、戦艦大和の優美な姿が見えてきました。
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ありし頃の戦艦大和を思い浮かべてみると、写真で見るイメージよりも流線型のデザインが秀逸に感じます。
艦橋の作成を進めてゆきます。
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非常に複雑な形状をしている環境を「忠実に再現」しようとする歴史群像。
そのこだわりから、ペーパークラフトのパーツも非常に複雑になってきました。
上の写真で、「切れ目が少し雑」なのは小学校2年生の子どもと一緒に製作しているためです。
昔は「宇宙戦艦ヤマト」が一斉を風靡しましたが、最近の子どもにとっては、戦艦大和は「遠い存在」かもしれません。
とても
細かいパーツだね。
艦橋の部分は、接着面などが非常に細かいので、その部分は僕がカッターで切断します。
折れ目に丁寧にカッターで薄く切れ目を入れて、作成してゆきます。
海軍艦政本部の造船技師たちの思い:福田造船中将の設計への執念
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なんとか
出来たね。
鉛筆の太さと比較するとわかりますが、非常に小さなパーツです。
この小さく、複雑な形状のパーツを切るのが大変ですが、折り込んで接着するのは一苦労です。
この「一苦労」の背景にも「歴史群像のこだわり」を随所に感じます。
![新歴史紀行](https://h-voyage.net/wp-content/uploads/2022/05/d82627ffa494f306261c15c52e4fbe9a.jpg)
巨大な砲塔を持ち、世界最強の防御力を有した「世界最大の戦艦」であった戦艦大和。
この戦艦大和を設計・作った方達の思いが伝わってきます。
![新地球紀行](https://h-voyage.net/wp-content/uploads/2023/01/c7f8a30c2942e87452fc45b1d5476459.jpg)
東京帝国大学(東大)造船科卒業を卒業し、海軍技師となった福田啓二 海軍艦政本部第四部基本計画主任。
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大日本帝国海軍の
技術を総結集するのだ!
福田たちは「空前の巨大戦艦」という大変困難な艦船設計に取り組みました。
福田造船中将たちの懸命な尽力により、あの巨大戦艦は生まれたのでした。
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艦橋の根幹が完成しました。
複雑な形状は、「風圧の低減」などの理由があると考えます。
造船技師の方が「どのように考えて、複雑な形状をデザインしたのか」は非常に興味があります。
「軍機」「軍極秘」「極秘」「秘」「部外秘」の5ランクに分かれていた、日本軍の機密ランク。
戦艦大和の建造は、この機密ランクで最高位の「軍機」扱いでした。
そのため、非常に限られた方にしか全容は分からないように、情報管理は非常に徹底していました。
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続けて、小さなパーツを地道に作成して、少しずつ形を作ってゆきます。
![](https://h-voyage.net/wp-content/uploads/2023/01/Yamato284ma.jpg)
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また複雑な形状で、小さなパーツが出てきました。
子どもが「ハサミで切る」のは非常に難しい小ささなので、この後僕がカッターで適宜形を整えます。
![](https://h-voyage.net/wp-content/uploads/2023/01/Yamato286ma.jpg)
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これらの小さなパーツを組み合わせて、環境の姿がいよいよ本格化してきました。
鉛筆のサイズと比較して、このサイズでこれだけ精巧なペーパークラフトであることに改めて驚きます。
本当に
よく出来ているな。
そう感じながら、艦橋の仕上げを行なってゆきます。
![](https://h-voyage.net/wp-content/uploads/2023/01/Yamato288ma.jpg)
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「切るのが大変」なほど、非常に小さなパーツが出てきました。
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さらに艦橋周辺の機銃も、非常に細くて、カッターで切断するのも一苦労です。
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排気塔などを付けて、艦橋が完成しました。
多数の将星が座乗した戦艦大和の艦橋
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本体に接着してみると、まだまだ「大和象徴である巨砲」が不在であるものの、「大和らしく」なってきました。
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司令長官・司令官・艦長などの立場で、この戦艦大和の艦橋から米軍を見据えた様々な将星たち。
その将星たちに想いを馳せながら、製作を続けてゆきます。
最後に戦艦大和率いる第二艦隊は「海上特攻」として、沖縄へ突入しました。
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航空隊の護衛なしに、
我が戦艦大和が沖縄に突入するのは不可能・・・
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だが、命令が下りた以上、
軍人としてはベストを尽くす!
開戦時に軍令部次長として、山本長官の真珠湾奇襲攻撃に反対を続けた「頭脳派」の伊藤長官。
その風貌から分かる通り、比較的穏健で誠実な人柄でした。
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もはや時代は
空母・航空隊主軸だが・・・
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戦艦大和の雄叫びを
米軍に見せつけてくれる!
そして、最後の戦艦大和艦長となった有賀幸作 大和艦長は、最後の最後まで大和艦橋で戦闘指揮しました。
![新歴史紀行](https://h-voyage.net/wp-content/uploads/2022/02/652944313e5fcec1246ad1b2be300ef0.jpg)
![新歴史紀行](https://h-voyage.net/wp-content/uploads/2022/02/652944313e5fcec1246ad1b2be300ef0.jpg)
結局、戦艦大和の沖縄突入は叶わず、米軍の航空隊に袋叩きのようにされて撃沈されました。
この歴史を噛み締めながら、戦艦大和の模型作成を続けてゆきました。
子どもとペーパークラフト「戦艦大和」を作る話を外部サイト「新教育紀行」で書いています。
こちらでは、教育と子どもの話中心となり歴史の話は少なめの記事です。
ぜひご覧ください。
次回は上記リンクです。