前回は「戦国の民衆から大人気「救いの神」織田信長〜「是非もなし」記載なし・本能寺と二条城を猛火で包んだ光秀・緻密な放火による信長「全て灰塵」〜」の話でした。
京市民「明智は掠奪と放火をするのではないか」:残忍な明智像

静寂で、落ち着いた文化都市として、日本の首都としての風格を取り戻した1582年の京都。

明智光秀信長を
討つのだ!
突然、織田家の中核であったはずの明智光秀が謀反を決行したのが「本能寺」でした。





そして、わずか二時間の間に、
彼(信長)は現世の財宝や快楽と富を残したまま、



未来永劫に
地獄に葬られるに至った。
ルイス・フロイスの「日本史」には、「本能寺」に関して、詳細に記録に残しています。
まさに「当事者に近い」立場であったフロイス。
フロイスは、明智軍の兵力、変が勃発した時刻・経緯などを克明に記しています。
その一方で、



是非も
なし・・・
有名な「是非もなし」は記載なく、「客観的視点」が目立ちます。



明智の兵士たちは、
その数が多かったので、



信長の家臣、武士ならびに嗣子の
高貴な殿たちの首を刎ねて、



それらを提出すべく、街路や家々の
捜索を開始した。



そして、明智の前には、
すでにそれらの首が山積みされ、



死骸は街路に
遺棄された。
フロイスは、「本能寺」直後の、落武者狩りに近い状況を、ありのままに描写しています。



これが、我が軍が
打ち果たした者たちか・・・
本能寺で信長軍、二条城で信忠軍と戦闘した明智軍は、多数の首を取得しました。
そして、それらの首を確認して、「信長の首」と「信忠の首」を探したはずの光秀。



都の住民たちは、皆この事件が終結するのを
待ち望んでおり、



明智が、家の中に隠れている者を
思いのままに殺すことができるので、



その残忍な性格に鑑みて、市街を掠奪し、
ついで放火を命ずるのではないかと考えていた。



明智のことだ、
この後、我らの市街を掠奪したり、



街に放火を
するのではないか・・・
京都の市民たちが、光秀に対して「戦々恐々として恐れていた」様子をフロイスは描いています。
とにかく、フロイスの明智像は「極めて残忍」です。
明智「イエズス会に悪意」記録したフロイス:征夷大将軍の足利義昭


フロイスが記録に残していた「本能寺」のこの時点では、まだ存在していた安土城。
高い建物が、ほとんどなかった当時、京都から遠望出来たかもしれません。



我々が教会で抱いていた憂慮も
それに劣らぬほど大きかった。



というのは、そのような市の人々と
同様の恐怖に加え、



明智は悪魔とその偶像の大いなる友であり、
我らに対しては、至って冷淡であるばかりか、



悪意をさえ抱いており、デウスのことについて、
何の愛情も有しないことが判明していたから、



今後、どのようになるかまったく検討が
つかなかったからである。
確かに、明智光秀とイエズス会、キリスト教の関係は、あまり明らかになっていません。


おそらく、織田家四天王初めとする諸将は、キリスト教に対し「信長の意向に従っていた」はずです。
ところが、フロイスは、「本能寺」のことによる「明智への極めて強い悪意」に加えて、



明智は、我らに対して悪意をさえ
抱いており、
明確に、光秀が「イエズス会に対して悪意を抱いていた」事を記録しています。
これらの「好悪の感情」は、少し注意して読む必要がありますが、「事実無根」とも思えません。
当時は、丹波・近江の一部を領土とし、寄騎に丹後・細川、大和・筒井を従えていた明智光秀。
後世、「近畿管領」とも呼ばれるような立場であり、事実上の「京都軍事長官」でした。
その明智光秀は、「イエズス会に悪意を抱ける」立場に、そもそもあったのかどうか。


当時は、京都所司代だった村井貞勝が京都の政治を差配していました。
その一方で、他の時代よりも軍事力が極めて重要だった戦国の当時。
この点から、明智光秀は、京都周辺の政治に強い影響力を持っていたと考えます。
京都周辺の軍事力を握っていた明智光秀の意向は、大きな力を持っていたのは当然でした。



私は、キリスト教や
イエズス会には冷淡なのだ・・・
明智光秀が、このように「イエズス会に冷淡な姿勢」を取るのは難しかった、と考えます。
そんな事をすれば、「イエズス会保護者」であった、信長から睨まれることになります。
その一方で、そもそも「幕府側」だった明智光秀は、当時、織田家で特殊な立場にいました。


1573年に、織田信長が足利義昭を京都から放逐し、事実上「室町幕府は崩壊」となりました。
ところが、



余は、現在も
征夷大将軍なのだ!
まだ「一応」征夷大将軍だった足利義昭。
足利義昭の政治力が「ゼロになったはずはない」のが、当時の状況でした。
この中、いかに軍事力がものを言う戦国時代においても、「征夷大将軍との関係」は極めて重要でした。
そして、「織田家と旧幕府を繋いでいた」明智光秀の特異な立場は、残存し続けていました。



イエズス会など得体の知れない
連中より、古来からの仏教が良い!
「旧体制側」の権化であった足利将軍家は、当然「反イエズス会」でした。



私は旧幕府側の立場として、
「反イエズス会」だ・・・
すると、明智が「イエズス会に対して極めて冷淡だった」のは、事実と考えて良いと考えます。

