前回は「ルーズベルト大統領の返礼「対日資産凍結」〜対日戦決意の一手・「平和裡に」領土拡張に成功した陸軍・「印した」進駐の第一歩〜」の話でした。
「国防上、死活の重大事態」に直面した日本:米「経済断交」の影響

RooseveltJapanが、Indiaの
France植民地に進駐、だと!



Japanが、領土を拡張し、
Asiaを征服しようとしている意図はよく分かった!



Japanの資産は
全て凍結!
1941年7月24日に、フランス・ヴィシー政府との間で「仏印に関する日仏諒解」を成立させました。
一、仏国の領土及び主権の尊重を遵守すること
二、攻撃的攻守同盟にあらざること
三、第一項の趣旨を日本政府に於て特に声明すること。右は現地仏印の無抵抗を命ずる為にも必要なること
四、駐屯の必要解消せば撤退せられ度いこと
日本側の意図は「平和裡に」でしたが、確かに「高圧的に進駐した」のが現実でした。


大東亜戦争全史(服部卓四郎著)は、太平洋戦争に関わる戦争・政治の詳細の記録です。
この南部仏印進駐の前後に関しても、極めて詳細に綴っています。



この諒解は七月二十九日、仏印の共同防衛に関する
議定書として正式調印を見るに至った。
この頃、米国大使であった野村吉三郎海軍大将は、懸命に米政府に説明していました。





米国が、日本軍の南部仏印進駐を、
シンガポール及び蘭仏に進出する・・・



第一歩なり、と
認めている様です。



野村大使は、こう報じたが、当時日本はかかる意図を
全く持っていなかったのである。
仏印進駐に対しては、確かに外国から見れば「シンガポール及び蘭仏に進出の一歩」です。
そして、この頃の陸軍・大本営が「その意図を持っていなかった」と語る服部・大東亜戦争全史。
この点は、少し「眉唾もの」であるように感じます。



資産凍結は、実質的には全面的経済断交で
あったのである。



爾来、日本と円ブロック以外の地域との
貿易は、杜絶し・・・



日本は国防上、死活の重大事態に
直面するに至った。
大日本帝国は、国防上、極めて重大な状況に追い込まれました。
帝国の反応を静かに観察するル大統領:「武力行使に勝る痛苦」と資源


日本側の視点から見れば、「一気に強硬姿勢になった」と映ったルーズベルト米大統領。
この頃、大日本帝国政府は松岡洋右外相を閣外に追い出し、豊田新外相となっていました。
| 海軍兵学校卒業期 | 名前 | 役職 |
| 26 | 野村 吉三郎 | 米大使 |
| 28 | 永野 修身 | 軍令部総長 |
| 31 | 及川 古志郎 | 海軍大臣 |
| 32 | 山本 五十六 | 連合艦隊司令長官 |
| 33 | 豊田 貞次郎 | 外務大臣 |
大本営・軍部では、明らかに陸軍の方が強い状況でしたが、帝国政府では海軍が強い状況でした。



近代国家の存立上絶対不可欠とする
液体燃料入手の方途は完全に失われた。



軍備充実と爾他の生産力拡充を犠牲にして、
人造石油の画期的増産に邁進しても・・・



到底需要を充足し得ないことが
明らかにされた。
戦時中、「人造石油の生産」に大いに取り組んだ大日本帝国。
ところが、その生産量は、陸海軍、特に海軍の需要と比較すると「雀の涙」でした。



北樺太の石油開発、又は
イラン及びペルー等からの石油入手も・・・



考えられたが、いずれも藁をも
つかむの類であった。



このまま推移したならば、
日本海軍は約二ヵ年を出でずして・・・



全く機能を喪失し、液体燃料を基礎とする
重要産業も一年を出でずして麻痺状態となり・・・



所謂ジリ貧は必死の情勢と
見られた。



経済断交は、日本にとっては、
正に武力行使にも勝る痛苦であったのである。


石油・鉄鋼・機械など、超重要物資を米国に頼り切りだった大日本帝国。
よりによって、その米国から「経済断交された」形となり、「武力行使以上の痛苦」でした。



さあ、Japanよ・・・
どう出てくる?



我がUnited Statesから
経済断交されては・・・



到底、Japanは国家運営も
軍の活動も出来なくなるだろう?



さあ、Japanの政府は
どう出てくる?



屈服して、Chinaでの占領や検疫に対して、
大きな譲歩をしてくるか・・・



あるいは、我がUnited Statesに
挑戦してくるか・・・



どっちなのだ?
何を、Japanは何を考えている?
大日本帝国に「武力行使以上の痛苦」を与えたことを、最も認識していたルーズベルト大統領。
ルーズベルト大統領は、外交文書を暗号解読しながら、静かに観察していました。
大日本帝国政府・大本営・陸海軍の出方、を。

