前回は「「ハル・ノート」への茨の道〜「凄まじい気迫」をビンビン撒き散らした松岡・超激怒+米案「即却下」・露呈した外交不一致〜」の話でした。
悠長すぎた帝国政府の姿勢:斎藤分析+松岡激怒の二日後の連絡会議

松岡洋右この松岡はヒトラーやスターリンと
直接交渉してきたのだぞ・・・



この松岡を、ハルは
舐めおった・・・



おのれ・・・
絶対に許せん・・・



自分はハル案を受け入れることは
出来ない・・・
いわば、ハル国務長官から「挑戦状を叩きつけられた」形となった松岡外相。
不幸にして政府の有力なる地位に在る日本の指導者中には国家社会主義の独逸及其の征服政策の支持を要望する進路に対し抜き差しならざる誓約を与へ居るものあること
及之等の人が是認すべき合衆国との諒解の唯一の種類は合衆国が自衛に関する現在の政策を実行することに依り
欧州の戦闘行為に捲き込まるるが如き場合には日本がヒットラーの側に於て戦ふことを予見するが如きなるものべしとの確証が長年に亘り日本に対し真摯なる好意を表し来れる筋寄りの報告を含む世界中有ゆる筋より益々本政府に達しつつあり、
日本国政府の「スポークスマン」に依り何等理由なきにも拘らず為されたる三国同盟の下に於ける日本の誓約及意図を強調せる最近の公式声明(複数)の論調は看過し得ざる態度を例証し居れり
斯る指導者達が公の地位に於て斯かる態度を維持し且公然と日本の興論を上述の方向に動かさんと努る限り現在考究中の如き提案の採択が希望せらるる方向に沿ひ実質的結果を収むるための基礎を提供すべしと期待するは幻滅を感ぜしむることとなるに非程ずや
故に国務長官は本政府は日本国政府が全体として諒解案の目的を構成するが如き平和的進路の追求を希望するものなることに関し現在迄に与へられたるよりも一層明白なる何等かの指示を期待せざるを得ずとの結論に遺憾ながら到達せり、
日本政府は日本国政府が斯かる態度を表明せられんことを真に希望するものなり
確かに、ハル「オーラル・ステートメント」は無礼を超えた文書でした。


「大東亜戦争全史1」では、1941年7月10日、12日の連絡会議の詳細な記録が描写されています。
外務省顧問 斎藤良衛の分析に続き、松岡外相が捲し立てた上で、



以上を以て、十日の
会議は終わり・・・
そして、二日後の同月7月12日に再度、連絡会議が開催されました。
真珠湾奇襲攻撃まで5ヶ月を切った中、なんとも悠長な状況だったのが帝国政府でした。
「対米交渉決裂」に即飛躍した松岡洋右:冷静に反論する杉山参謀総長


そして、7月12日に再開した連絡会議では、再び松岡洋右が捲し立てました。



前回云うたことで尽きているが、
さらに附言すれば・・・



ハルのステートメントは、読んだ時に
実際は直に返すべきものである・・・



実に言語道断
である・・・



米国が日本を保護国乃至は属領と
同一視氏をるもので・・・



日本がこれに甘んぜざる限り
受理すべきものではない・・・
要するに「突っ返すべきであった」という松岡外相。



米人は弱者には
横暴の性質がある・・・
ここで「米大学卒業で、自他共に認める米国通」の「松岡・独自米国分析」が続きます。



吾輩はステートメントを
拒否することと・・・



対米交渉は、これ以上継続
出来ぬことをここに提議する・・・
怒り心頭の松岡外相は、「対米交渉決裂」を明言しました。



・・・・・



・・・・・



・・・・・



暫く沈黙が
続いた・・・
松岡の「論理飛躍」に、皆呆然としましたが、ここで杉山参謀総長が話しました。



外相の意見には
自分も同感である・・・
怒り狂った松岡に対して、まずは「同感」を示した杉山参謀総長。



・・・・・
松岡のような性格の人物が怒っている時には、「まずは同意」が肝要でした。



然し、軍部としては、
南方には近く仏印の進駐もあり・・・



北方には関東軍の戦備増強と云う
重大なる事態を直後に控えている・・・



この際、米国に断絶のような
措置を取るのは適当ではない・・・



交渉の余地を残すのが
適当である・・・
松岡に「同意」しつつ、松岡の「交渉打ち切り」に明確に反論した杉山参謀総長。
「便所のドア」と揶揄された杉山でしたが、さすがに参謀総長だけに冷静に事態を見ていました。



日本が如何なる態度を取っても、
米国の態度は変わらぬと思う・・・



米国民の性格より、
弱く出るとつけあがる・・・
さらに、「松岡・独自米国分析」を披露しつつ、



故にこの際強く出るのが
宜しいと思う・・・
松岡流・三段論法では、明確に結論が出ていました。


ここで、首相経験者であり、内務大臣であった平沼騏一郎が登場します。

