「ハル・ノート」への茨の道〜「凄まじい気迫」をビンビン撒き散らした松岡・超激怒+米案「即却下」・露呈した外交不一致〜|陸海軍の迷走28・日米開戦と真珠湾へ

前回は「「松岡外交の守護神」斎藤良衛の登場〜「全てが論外」の斎藤分析・「三国同盟脱退」「日本の発展妨害」・密接だった満鉄と外務省〜」の話でした。

目次

「凄まじい気迫」をビンビン撒き散らした松岡:露呈した外交不一致

New Historical Voyage
外務省顧問 斎藤良衛(Wikipedia)
斎藤良衛

私が、現状の外交関係を
分析し・・・

斎藤良衛

米国の対案とハル・オーラルステートメントに関し、
意見を述べます・・・

「松岡外交の守護神」であり、松岡の盟友であり続けた斎藤良衛。

世界の陣営方針主義
米国・大英帝国など現状維持民主主義
大日本帝国・ドイツ帝国など現場打破全体主義
斎藤良衛の世界状況分析

官僚らしく、明確に陣営を分け、それらの方針と主義を明らかにしました。

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大東亜戦争全史1(服部卓四郎 著、鱒書房)

「大東亜戦争全史1」では、1941年7月10日の連絡会議の詳細な記録が描写されています。

斎藤良衛

本案は、要するに日満華共同宣言を
白紙に戻して、日支交渉をせよというのである・・・

斎藤良衛

これでは、東亜新秩序の建設の如きは
不可能である・・・

一言で言えば「米国対案+ハル・ステートメント」は「論外」と切り捨てた斎藤。

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1941年6月頃の日本政府・大本営幹部:左上から時計回りに、松岡洋右外相、近衛文麿首相、永野修身軍令部総長、杉山元参謀総長(Wikipedia)

そして、いよいよ「外交のボス」松岡洋右が捲し立てることになりました。

松岡洋右

斎藤顧問の報告と
大体同意見であるが・・・

松岡洋右

若干の意見を
申し述べたい・・・

ここで、一息置いた松岡でしたが、

松岡洋右

おのれ・・・
ハルめが・・・

松岡洋右

この松岡を
舐めおって・・・

松岡洋右が怒り心頭であることは、周囲にビンビン伝わってくる状況でした。

近衛文麿

・・・・・

杉山元

・・・・・

永野修身

・・・・・

いつも以上に「凄まじい気迫」を既に見せていた松岡の発言を、近衛らは固唾を飲んで待ちました。

そして、この「ビンビンした松岡の気迫」は、如実に表していました。

「米国と協調」を軸とする近衛首相と、松岡の外交方針が明確に異なること、を。

そして、このことは、総理大臣と外相の外交方針不一致を露呈していました。

「ハル・ノート」への茨の道:超激怒+米案「即却下」

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Cordell Hull米国務長官(Wikipedia)
松岡洋右

ハルのステートメントは
乱暴千万であるが・・・

松岡洋右

こんな無礼千万なるステートメントを
取りつぐが如きは、これ亦不届千万である・・・

冒頭から「千万」という言葉を三連発させた松岡外相。

この「千万」三連発を政治の場で使うのは、古今東西、松岡外相くらいなものでしょう。

松岡洋右

内閣改造の如きことを、世界的に
強大なる日本に対し要求したのを・・・

松岡洋右

黙って聞いているとは、
実に驚き入った次第である・・・

松岡洋右

そこで早速自分から、君はあんなステートメントは
取り次ぐべきではなかったと思うが・・・

松岡洋右

何か錯覚はなかったか、当時の状況を知らせよ、と
云うてやった次第であるが、何の返事もない・・・

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野村吉三郎 米国大使(丸 戦争と人物11 軍事テクノロジーへの挑戦 潮書房)

すでに、野村米大使に「何やってるんだ!」と激怒を伝えた松岡外相。

松岡洋右

三国同盟の抹殺は
到底できない・・・

松岡洋右

米国の案を容れることは、
大東亜新秩序建設をゆすることであり・・・

松岡洋右

事極めて
重大である・・・

もはや、ここまでで、「米国対案却下」を明言した松岡外相。

松岡洋右

不愉快なのは、国民中にも日清日露談判のとき、
米国を始め第三国の世話になったことを例にして・・・

松岡洋右

三十年後の日本の地位を忘れ、
東亜の新秩序を建設せんとして・・・

松岡洋右

四年間も戦い抜いてきた今日この際、
尚且第三国の世話により・・・

松岡洋右

講和をした方が良いと
考えているものがあることである・・・

要するに、当時の近衛首相を始めとする「支那事変を米国仲介でまとめる」に真っ向反対しました。

近衛文麿

・・・・・

そもそも、外交方針の根本的姿勢で火花を散らしていた近衛首相と松岡外相。

これで、「近衛と松岡の決裂は決定的」となりました。

松岡洋右

要するに米国は日本の東亜の指導権を
抹殺しようと考えている・・・

地域覇者
西欧ドイツ
東亜大日本帝国
米州米国
ロシアソ連
「世界四大ブロック」の松岡構想

「松岡構想」の根幹をなすのは、「東亜の覇者は大日本帝国」でした。

これを「米国が否定・抹殺」する場合、松岡が応じられるはずがありませんでした。

松岡洋右

自分はハル案を受け入れることは
出来ない・・・

松岡洋右

何とかして話合をつけたいと
思うが、到底成功の見込みはない・・・

松岡洋右

元来、米国は日本案を
四十日も放置した・・・

松岡洋右

先方の言分を受け入れることは
絶対に出来ぬ・・・

松岡洋右

国家の外交機密は外務大臣から大使へ、
大使からハル国務長官へと話されるべきに拘らず・・・

松岡洋右

多人数が関係しているが如きは
不届だと野村に詰問してやった・・・

近衛文麿

・・・・・

大東亜戦争全史

以上を以て、十日の
会議は終わり・・・

松岡外相が、ひたすら怒りをぶち撒けて、十日の会議は終了しました。

この時点で、松岡外相、というよりも帝国政府は、気づくべきでした。

「ハル・オーラルステートメント」の内容の是非以前に、「正式な対案とは別」であること、を。

Hull

私の私案、という戦略は
今後も使う・・・

1941年7月上旬に、帝国政府に来襲した「ハル・オーラルステートメント」。

これが、4ヶ月余り後の1941年11月26日の「ハル・ノート」につながります。

おそらく、ハル国務長官は、「ハル・オーラルステートメント」の時点で、決めていたでしょう。

Hull

最後の最後に、また
出してやろう・・・

日米戦超直前に「ハル・ノートを出すこと」を。

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