前回は「「大周旋家」伊藤俊輔の大技「木戸と大久保」究極調停案〜元老院と大審院設立・「木戸+大久保調停」タイミング見計らう伊藤・改革案同意した大久保〜」の話でした。
木戸の元に押しかけてきた板垣退助と井上馨:国会開催と民権論

仲良く「共通の敵」徳川幕府を倒した後は、とにかく内輪揉めが続いた.明治政府。
| 出身・派閥 | 明治政府 | 下野 |
| 薩摩 | 大久保利通、川路利良 | 西郷隆盛、村田新八、 桐野利秋、篠原国幹 |
| 長州 | 山縣有朋、伊藤博文、井上馨 | 木戸孝允 |
| 肥前 | 大木喬任、大隈重信 | 江藤新平、副島種臣 |
| 土佐 | 谷干城、佐々木高行 | 板垣退助、後藤象二郎 |
| 公家 | 岩倉具視、三条実美 | |
| 旧幕府 | 勝海舟、榎本武揚、大鳥圭介 |
上の表から、討幕時点の影響力を考えると、どう考えても「下野側が強い」状況でした。
特徴的なのは、公家と旧幕府の人物は、概ね明治政府側についていた事でした。
この時は、王政復古によって、久しぶりに公家が強い状況にありました。

いわば、1192年設立(諸説あり)の鎌倉幕府以来の「朝廷復活」でした。

途中に、後醍醐天皇による「建武の新政(建武中興)」がありましたが、4年ほどで終わりました。
いわば「約680年ぶり」の朝廷となった明治政府。
その朝廷を支えたのが、かつての薩長土肥を中核とする組織と人物たちでした。
「木戸孝允・下野」の異常事態を解決するために、伊藤博文は暗躍しました。
一、元老院設立
二、大審院設立
三、地方官会議設立
四、内閣分離:輔翼と行政
伊藤博文それから予は、わざと
木戸公を訪ねなかった。



伊藤のヤツ、
来たか。



と
言ったそうだ。
木戸に「新たな案を提示する」タイミングを見計らっていた伊藤博文。



さて、木戸さんは
どう出てくるか・・・



この時、板垣は岡本健三郎や小室信夫と
共に木戸公に会って、



例の立志社の民権論で、国会を
開かなければならぬということを議論した。



井上も来て、一番先に
木戸公と会って、議論をした。


「長い髭をした泰然とした写真」が有名な板垣退助は、若い頃はバリバリの軍人でした。



木戸さん、
早く国会を開きましょう!



確かに
そうだ!
そして、山口に引っ込んでいた木戸が大阪に来ると、途端に大勢の人物が押しかけてきました。
それほど木戸の影響力は強く、「木戸がどこにいるのか?」は極めて重要な情報でした。
どこまでも「木戸に折れ続けた」大久保の深謀:伊藤俊輔「おとぼけ」戦略





板垣や井上と話すのも
良いが・・・



伊藤は、
なぜやって来ぬのだ・・・
木戸にとっては、とにかく「伊藤に会うこと」が最大の目的であった当時。



それで、予が佐賀屋に泊まっていると、
木戸公がやって来て、



君が手紙をよこして、
大久保と面会してくれという話だが、



会ったところで到底議論の
合う気遣いはない。



そうして俺が入閣したところが
何の効能もないから、出る訳にはいかぬ。



それよりも君が大久保と申し合わせてやれば、
異存もなくて良かろう。



やはり、
そう出てきたか・・・
木戸が「大久保とは会うことすらしない」ことを予期していた伊藤博文。



それは一つの御議論
である。



何の効能もないと仰るが、
効能がある様にしたらどうです。



効能がある様にすると言っても、
俺には別に考えもない。



そこで、予は
かの四カ条を出して、



これだけのことを断行すれば、
一歩を進める訳だから、貴君はお出になるか。
そして、いよいよ必殺技「木戸・大久保調停案」を見せた伊藤博文。



・・・・・



と言うと、公は、
ジッと考えておられたが、やがて、



その通りに
行われば出る。



しかし、大久保はどうだ。
折り合いが出来るか。



出来るか、出来ないか、
一つ当たってみましょう。



大久保公が同意されたら、
貴君はきっと出られるのですな。



と念を押した。
すると、公は、



とても難しかろうが、
やってみたまえ。



と言うので、話はすっかり
面白くなって来た。
事前に大久保に見せて、「大久保了解」を得ていた伊藤。
その気配すら一切消して、「木戸だけに初めて案を提示した」かのように振舞いました。
いわば、伊藤俊輔は「おとぼけ」戦略で、「大久保をなんとか説得する」ように見せかけたのでした。



それから、大久保公がやって来たが、
もとより打ち合わしていることだから、



異論のあろうはずはない。
そこで、木戸公が言うには、



俺は入るとしても、
初め板垣と会わなければ良かったが、



板垣と種々話をしたから、
彼を捨て置いて、



俺ばかり入る訳には
ゆかぬ。



それはなんとか
話をしよう。



と、それから大久保公に、こう言う訳だと、
話し込んだ。





自分はそんなことは
歯牙にもかけぬが、



木戸君がそういうお考えなら、万事自分は
木戸君の驥尾についてやる覚悟だから同意する。
ここで、大久保は、とことん木戸に折れる姿勢を続けました。
大政治家であり、大戦略家であった大久保利通。
木戸と「完全に決裂してしまった」事実に対して、



とにかく、木戸さんを政府に
引っ張り出すこと、が全てだ・・・



当面は、木戸さんの方針に
従い、俺の考えは徐々に・・・
| 名前 | 生年 | 所属 |
| 岩倉 具視 | 1825 | 公家 |
| 西郷 隆盛 | 1827 | 薩摩 |
| 大久保 利通 | 1830 | 薩摩 |
| 木戸 孝允 | 1833 | 長州 |
| 板垣 退助 | 1837 | 土佐 |
| 山縣 有朋 | 1838 | 長州 |
| 伊藤 博文(俊輔) | 1841 | 長州 |
木戸孝允の3歳年上だった大久保利通。
若い頃から、幕末維新の志士たちの総帥であり続けた木戸孝允



この木戸は、桂小五郎という名の頃、
ずっと長州藩士たちを束ねたのだ・・・



大久保は確かに、維新において
大きな役割を果たしたことは認める・・・



だが、だがだ・・・
大久保の功績は、この木戸には遥かに及ぶまい・・・
当時、木戸孝允は、こう考えていたでしょう。



木戸さんは、確かに維新期は
「最大の政治家」であった・・・



長州閥を全て束ねているし、
ここは、木戸さんに出てきてもらおう・・・
年齢的には、大久保の方が上でしたが、木戸の方が「維新の歴史の長さ」は上でした。
大久保利通はは、どこまでも木戸孝允に折れ続け、11歳年下の伊藤博文に全てを任せました。
この度量もまた、大久保の人物としての大きさを物語っていると考えます。



もう一度、新政府で
仕事してみるか・・・
そして、いよいよ木戸が政府に戻ってくることになりました。

