木戸の「西郷への憎悪」の新たな矛先〜大久保の要請即却下の思い・大久保「自分が辞職すれば政府は潰れる」・征韓論で破裂した西郷〜|伊藤公直話22・エピソード

前回は「「人心恐々たるもの」だった明治七年〜木戸辞職で薩長土肥の首領下野・薩長分裂+ガラガラになった新政府・支那に自ら乗り込んだ大久保〜」の話でした。

目次

大久保「自分が辞職すれば政府は潰れる」:征韓論で破裂した西郷

New Historical Voyage
明治六年の政変で下野した人物たち:左上から時計回りに、西郷隆盛、後藤象二郎、板垣退助、江藤新平(国立国会図書館、Wikipedia)
出身・派閥主な人物
薩摩西郷隆盛、大久保利通、川路利良、村田新八桐野利秋篠原国幹
長州木戸孝允、山縣有朋、伊藤博文、井上馨
肥前江藤新平副島種臣、大木喬任、大隈重信
土佐板垣退助後藤象二郎、佐々木高行
公家岩倉具視、三条実美
旧幕府勝海舟、榎本武揚、大鳥圭介
明治六年頃の明治政府の主な人物たち

明治六年の政変で、西郷隆盛・江藤新平・後藤象二郎・板垣退助らが下野しました。

ついで翌年の明治七年には、

木戸孝允

もう私は
辞職させてもらう!

台湾征討で激怒した木戸孝允は、明治政府に辞表を叩きつけました。

出身・派閥主な人物
薩摩大久保利通、川路利良
長州山縣有朋、伊藤博文、井上馨
肥前大木喬任、大隈重信
土佐佐々木高行
公家岩倉具視、三条実美
旧幕府勝海舟、榎本武揚、大鳥圭介
明治七年の明治政府の主な人物たち

その結果、ガラガラになり、サッパリしてしまった明治政府の陣容。

「若者台頭の大いなるチャンス」でしたが、剛気な大久保も流石に困ってしまいました。

New Historical Voyage
小松綠「伊藤公直話」(新歴史紀行)

「伊藤公直話」には、この頃の模様が赤裸々に語られています。

大久保利通

台湾の一条については、所見を
異にしたけれども、それは行き掛かり上のことだ。

大久保利通

自分の立場と木戸君の立場と
違うために、木戸君は辞職をして帰ることになった。

大久保利通

しかし、自分は意見が合わぬからとて、
辞めてしまうという訳にはゆかなかった。

大久保利通

というのは、西郷が征韓論で破裂してしまっても、
自分がその後を引き受けている。

大久保利通

だから、自分が辞職すれば、
政府は潰れることになる。

大久保利通

こういう経緯で自分は今日まで
歩んで来たのである。

大久保利通

自分の本来の政治上の考えは、
全く木戸君の識見及び知識に符合している。

大久保利通

従って、木戸君の驥尾についてやらなければ
ならぬと常に考えている。

伊藤博文

とかいうのが
大久保公の説であった。

ガラガラになった明治政府において、大久保は「せめて木戸だけでも復職」を強く希望しました。

大久保は「自分が辞職すれば、政府は潰れる」とハッキリ言っていたことを、伊藤は明かしました。

これは想定されますが、「実際に言っていた」点は重大な点です。

木戸の「西郷への憎悪」の新たな矛先:大久保の要請即却下の思い

New Historical Voyage
明治七年末の明治政府大幹部:左上から大久保利通、岩倉具視、大隈重信、伊藤博文(国立国会図書館、Wikipedia)
伊藤博文

それで、大久保公は山口まで
木戸公を迎えに行くと言うことを予に相談された。

伊藤博文

予も、よかろうと
言ったが、

伊藤博文

しかし、貴君が山口まで
行くというのはよろしくない。

伊藤博文

大久保公が、山口に木戸公を迎えに行くとあっては、
政府の弱みを示すことになるから、

伊藤博文

貴君は大阪まで
おいでなさい。

伊藤博文

木戸公にも大阪まで来るように、
私が取り計います。

ここで、伊藤は機転を効かせて、「東京と山口のちょうど中間」の大阪での対面を企画しました。

早い話が、

伊藤博文

私が、必ず木戸公を
大阪まで引っ張ってきます!

このように、大久保に確約した伊藤。

新歴史紀行
前参議・木戸孝允(国立国会図書館)
木戸孝允

大久保君が
この私に会いたい、と。

伊藤博文

なんとか、木戸さんには
戻って頂かないと、

伊藤博文

我らが新政府は
潰れてしまいます!

木戸孝允

・・・・・

伊藤博文

また、幕末維新の頃のような
ことになっては、元の木阿弥です!

伊藤博文

ここは、なんとか、
なんとか・・・

木戸孝允

分かった・・・
大阪までは行こう・・・

おそらく、このような「木戸と伊藤の間だけの話し合い」があったのでしょう。

伊藤博文

というような訳で、結局、
大久保公と木戸公が大阪で出会った。

伊藤博文

これが大阪会議までの
筋道だ。

木戸と大久保という、当時の二大巨頭の歴史的対面が実施となりました。

当時の政府の運命を左右する対面だったため、「大阪会議」と特別な名称がついています。

伊藤博文

その大阪会議の折、前もって
大久保公は予に向かって、

大久保利通

自分は自分の精神をもって
説くが、万一この精神が徹しなかった時は、

大久保利通

どうか、君出て
来てくれ。

伊藤博文

ということ
であった。

伊藤博文

果たして、案の通り、
木戸公は聞き入れなかった。

木戸孝允

・・・・・

大阪までは、伊藤のメンツを立てて出てきた木戸。

しかし、木戸は、大久保の「明治政府への再登板」要請を即却下しました。

それもそのはずであり、木戸から見れば、

木戸孝允

大久保には、何度も何度も
嘘をつかれている・・・

当時、木戸は、大久保利通を「大嘘つき」と考えていたでしょう。

そもそも、「征韓論大反対」の最大の根拠として、

大久保利通

今は、外国に出兵などしている
余裕は、我が国にはない!

大久保利通

とにかく、国内で様々な
産業を起こして、内政を最優先です!

「国内の内政最優先」であった大久保に対して、「その通り」と同意した木戸。

木戸孝允

それにも関わらず、
大久保は、翌年に台湾出兵した・・・

木戸孝允

どこが、私の「識見及び知識に符合」
なのだ・・・

木戸孝允

よくぞ
言ったものよ・・・

岩倉使節団の頃から、少し神経質になっていた木戸孝允。

そして、幕末維新の頃から、ずっと「西郷大嫌い」だった木戸孝允。

木戸孝允

大体、大久保は、あの西郷の
子分だったではないか・・・

その西郷自身が、明治六年の政変で辞職して鹿児島へ戻ってしまいました。

そして、西郷は、木戸の前から消えてしまいました。

すると、行き先がなくなってしまった、木戸にとって永遠に続く「西郷への憎悪」。

「西郷への憎悪」の矛先は、必然的に「西郷の弟分・大久保」へ向かわざるを得ませんでした。

この中、大久保が何を、どう言おうと、

木戸孝允

大久保が何を言おうと、
どうせまた、前言を翻す・・・

普通に考えると、当時、木戸が大久保と「仲直りする」可能性は、0%でした。

New Historical Voyage
左上から時計回りに木戸孝允、大久保利通、伊藤俊介(博文)(国立国会図書館,Wikipedia)
伊藤博文

・・・・・

この状況に、仲介役であった伊藤博文は、困り果ててしまっていたでしょう。

明治維新が成立した1868年から、大阪会議開催の1875年まで、「たった7年」でした。

まだまだ、「幕末維新は過去ではない」時代であったのは当然でした。

伊藤博文

私がなんとか
まとめてみせる!

「大周旋家」伊藤博文の手腕が、大いに試されていました。

New Historical Voyage

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次